社内公募企画「自分と自分の夢について」 / 三原拓洋(福山事業所)

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

私には成し遂げたい夢があります。
『人生100年時代のウェルネスをデザインする』です。

ウェルネスという言葉を聞いたことはあっても、イマイチ意味がわからないという人が多いと思います。ではウェルネスとは何かというと…

※ウェルネスとは…
より良く生きようとする生活態度のこと。1961年にアメリカのハルバート・ダン博士が「輝くように生き生きしている状態」と提唱したのが最初の定義。

世界保健機関(WHO)による「健康」の定義「肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」よりもさらに広い視野でとらえた健康観であり、「前向きに生きようとする心」や「自分に適したライフスタイルの確立」など、より自発的な健康促進に重きを置く概念である。

“人生100年時代といわれるようになった世界で、心身の健康を保ちつつ、ひとりひとりが自分の人生を前向きに全うする”

私はこれがウェルネスだと捉えています。

医療の発達、栄養状態や衛生環境の改善などによって、人生は100年時代を迎えています。私たちの人生が100年続くとなったとき、働き方や生き方はどのように変化させるとよいのでしょうか。

コロナ禍の中で新しい生活様式への適応も求められ、健康への関心も高まってはいますが、心身ともにハツラツとした人々はどのくらいいるでしょうか?

今の世の中を見てもそうですが、どんよりとした暗い雲が空全体を覆い、国としても緩やかに終わりを迎えにいっているように思います。
高齢者が増え、若者が減り、医療や福祉に多くの税金が投入され、今後私たちの世代や子ども達の世代はますます負担が大きくなることでしょう。

そこは仕方のないこととしても、そんな世の中でもやりたいこと、夢や目標を持ち、会いたい人に会い、行きたい場所に行きたいと思えるような、希望を持てる社会が必要だと思うのです。

それには何よりも、全世代ひとりひとりの心身の健康増進が必要となります。心身が健康であるからこそ、働いてお金を稼ぎ、学び遊び、余裕があるからこそ他人にも関心が湧いてくるのです。

しかし、不規則な生活やお酒やジャンクフード、ストレスなどで腸内環境が乱れるとホルモンバランスは崩れます。
内臓脂肪の蓄積や血管の劣化で生活習慣病にもかかりやすくなります。

それらはカラダだけではなく、精神にも大きく影響を及ぼします。これを防ぐにはどうしたら良いか、解決方法は運動や睡眠、正しい食生活です。

数年前では芸人の松本人志さんが筋トレを始めたり、最近では俳優の武田真治さんが筋トレを勧めていたり、歌手のT.M.Revolutionの西川貴教さんがボディメイクの大会に出るなどで、メディアでも扱われることが多くなりました。

またプロ野球チームのソフトバンクでは、トレーナーにボディビルダーの方を迎えて選手の肉体改造を実施して長きに渡り結果を出し続けたり、今季からは巨人もボディビルダーの鈴木雅さんをトレーナーとして迎えることにもなりました。

日本はアジアでもフィットネス後進国であり、運動や健康に関する興味がとても薄いのが現状でしたが、ここ数年で徐々に流れは変わってきています。

“健康的な心身は資産である”と感じる人々が増えてきたと感じています。

巷で最近よく耳にすることの多いSDGsを例に出すと、SDGsの目標3には「すべての人に健康と福祉を」と書いてあります。
運動とスポーツを行うことは、アクティブなライフスタイルと精神的な安定をもたらし、それが健康問題を解決することにつながるとしています。

SDGsの目標3に取り組むことは、ESGのS、すなわちSOCIALに繋がります。そしてこれは私が目的、理念とする『人生100年時代のウェルネスをデザインする』と同義なのです。

私はフィットネス分野でボディメイク競技をしながら、整体師の資格も有しています。

過去にはバスでの事故でカラダが不自由になり、そこから鬱病なども経験しましたが、フィットネスを介することで今ではウェルネスに近付くことが多少なりとも出来ていると感じています。

なので私は『人生100年時代のウェルネスをデザイン』する。
これを“有言実行”する為に、まずは私の手の届く範囲から、手の届く人々の『人生100年時代のウェルネスをデザイン』しようと思います。

ここに向けて、まずは現在までイベントを打ち、然るべき人達と繋がり動いてきました。
これは社会貢献への第1歩でもあります。

それにともなう目標があります。

『子ども達の生きる力を養う』『障害を持ったアクティブな方々へのフィットネスの提供』です。

フィットネスやウェルネスの分野が注目され始めたのはとても良いことです。
しかしその先を見据えないと、真のウェルネス、社会全体としてのウェルネスには辿り着けないのではないかと考えています。

スポーツジムにはもちろん安くはない会費がかかります。
この場合、フィットネスに興味はありながらも、家庭の金銭的事情でスポーツジムには行けないシングル家庭の子ども達や児童養護施設の子ども達は省かれてしまうのでしょうか?

私はそんな社会にしたくはありません。

今後も分断や貧富の差が拡がるのは分かりきっている世の中ですが、貧富の差により未来を生きる子ども達の機会が、掴みそこねたくない未来が潰されてしまうようなことは避けたいのです。

もちろんこれは文学や歴史、数学や物理、パソコンやゲームなど様々なカテゴリーに興味がある子ども達がいる中での一つのカテゴリーに過ぎません。
全ての子ども達に手を差し伸べることはできません。

しかしもし、運動のカテゴリーが好きな子ども達がフィットネスに触れる機会が持てたとしたら、栄養学や解剖生理学などから将来の目標ができる可能性があります。
今やっているスポーツでより良い結果が残せる可能性だってあります。

それがなかったとしても、未来への選択肢は従来と比べて広がります。
そしてその場から多くの人達と新たな関わりや繋がりが出来たら、さらに選択肢が広がります。

私自身、アル中ヤク中ギャンブル中毒のシングル家庭でDVを受けながら育った身として感じることは、“社会とのまともな繋がりがなかなか持てない”、これに尽きました。

私の場合は、中学高校と新聞配達や土方や飲食店でバイトをしながら学校に通っていた為、なんとか社会との繋がりを持つことも出来ました。
しかしそれでも真っ当な繋がりは少なかったり、家庭によっては繋がりさえ持てない、そんな子ども達が多いと感じています。

子どもの頃は大人から見て見ぬふりをされ、大人になると過去の話をするな、大人になってしまえば過去も自己責任だと言われる。
己の生き方で変えることが可能だとしても、今その時間を生きる子ども達にとって、それは非情で哀しいことだと思います。

なので、人生100年時代のウェルネスをデザインする人間として、未来を生きる子ども達へ向けた機会を増やす活動はセットになってくるのです。

大人達が子ども達に向けて適切な繋がりや機会を提供する。これは大人の義務だと私は考えています。

なので『子ども達の生きる力を養う』を実施していきます。

そして『障害を持ったアクティブな方々へのフィットネスの提供』。

フィットネスが浸透し始めて24時間ジムも地方だけでもかなりの数が増えました。
オリンピックだけでなくパラリンピック、パラリンピアンも注目される世の中になってきました。

ですがどうでしょう。24時間ジムや大手スポーツジムで車椅子に対応していたり、難聴の方に対応しているジムはどれほどあるでしょうか?

ほとんどありません。

シングル家庭の子ども達や児童養護施設の子ども達と同じく、省かれてしまうのでしょうか?

私は嫌です。

もちろんこちらも全ての方に対応できるとは思っていませんが、僕は車椅子でもフィットネスをしたいアクティブな方、パラリンピアンの方や難聴の方にもフィットネスを提供できる形を整えようと考えています。

そしてその先には、上記全ての人達がなるべくお互いを尊重しながら利用できる空間を提供したいと考えています。
より良い社会の為に、寛容な利己主義に不必要なボーダーラインは取っ払います。

これに関しては35歳までに行いたいのですが、規模が大きくなるので個人の努力だけでは難しいところもあります。
しかし実現するとおそらく日本で初めてだと思うので、私が命を燃やすことによってその周りから変革が起きるのであれば、それを信じて歩みを進めます。

そして実行された後は、さらに未来の社会に向けた活動への選択肢が確実に増えることを確信しています。

これらは達成出来ると信じているのですが、子ども達へ向けた活動等の話をするとよく言われることがあります。

「みんなを救うことはできないよ」という言葉です。

そもそも私はみんなを救えるとは思っていませんし、公共機関でもないのでみんなを救おうとも思っていません。

私の活動から何かを選択したり、何かに気付く子ども達が出てきたり、それを見て何かに気付く大人達が増えればよいのです。

その輪が増え続けることが『人生100年時代のウェルネスをデザインする』ことであり、100年後の子ども達に残したい未来のスタートがそこにあると考えています。

もうひとつ言われることは「それはお金持ちがやることだから」です。

確かに前澤さんのようにお金持ちになれば多くの人達に援助が出来ると思います。

でもお金持ちにならないと何も出来ないのでしょうか?
それは違うと思いますし、お金持ちになる過程の中で寿命が来てしまうかもしれません。

私たちはいつ死ぬかわかりません。

明日死ぬかもしれません。
これを書いている途中に心臓が止まることもあるかもしれません。

だから早く始める、出来ることから始めるに越したことはないのです。

資本主義の世の中で資本主義以外の面も大切にしたいのです。

お金持ちになったとしたらまた大きいことをすればいいですし、お金は使い方次第で自分も周りも社会も幸せにすることができます。

別に奉仕の精神がどうだとか、個人を犠牲にするだとか、高尚な考えなどではないのです。

これらは全て“私がやりたいからやるだけ”なのです。

やりたいならできることから始めてしまえば良いのです。

ここまで長々と書いてきましたが、最後になぜそんなことがしたいのか、私自身の根幹にある想いをとても簡単に述べさせていただきます。

・生きた証を残す
・どこでどう死にたいかを大事にする
・上記2点を踏まえた上でやりたいからやる

これだけです。

フィットネス、ウェルネスや子ども達への支援、車椅子や難聴の方などへの支援は、私自身の生まれ育ちのバックボーンや得意なことなどがあるのだと思います。

その目的の為に、具体的な目標と期限、その達成に必要なものを漏れやダブりなく把握し、実現可能なタイムラインを引き、それを年/半期/四半期/月/週/日に落とし込んで、日々優先すべき事項を明確にする。

事故、病気、天災などいつ寿命が来るかわからないので、私は淡々と実行していきます。

三原 拓洋(みはら たくみ)
福山事業所

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