人工呼吸器を付けますか?-人工呼吸器をつけなかった人たちの話-③ / 田中恵美子

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

前号で触れた調査が実施された後、私はALS協会の人たちと関わり、橋本操さんや佐々木公一さんなど人工呼吸器を装着して社会活動に参加している人たちと出会うことになった。

人工呼吸器は、目が悪くなったら眼鏡をつけるのと同じように、呼吸筋が弱ったらつけるものという考え方に全面的に賛同していた時期があった。今はどうか。はっきりとそう断言することができない自分がいる。

2008年から2011年の間にある地域で18の遺族にインタビューを行った(※)。そのうち13例は人工呼吸器を装着しないまま亡くなった人たちだった。

なぜ人工呼吸器を装着しなかったのか。当人たちは亡くなっているから、はっきりとは分からない。いや、おそらく生きておられたとしても、はっきりとした理由を理路整然と述べることのできる人はいないのではないだろうか。

変わっていく自分の身体を受け止める余裕もない中で何も考えられなくなってしまった人、ゆっくりと自分の体が変化していく中でこのままでいいと思った人、年齢や家族の有無が影響すると考えられたが、若く幼い子どもがいるけれどつけないと決めた人もいた。

あるいは装着した人たちの中には、呼吸器をつけないといっていたけれど、呼吸苦が襲ってきて思わずつけてほしいといってしまってあとから後悔した人もいた。

もちろん、私たちがよく知っているように、呼吸器を装着して積極的に社会活動をしている人たちもいる。彼らのような人工呼吸器を装着している人たちをテレビで見て、勇気をもらったという人もいれば、悲観的になったという話も聞かれた。

身体状況の変化、家族の状況、制度の在り方や同病者の情報の提供の仕方・時期、すべてが個別的なパズルのピースのようなもので、はまり方もはめ方も違う。何がどう作用するのかなんてその時のその人によって違っている。

だから今、私が呼吸器をつけることは当たり前だと思いながらも、自分の身にその事実が突き付けられたとき、その時の自分の、家族の、社会の状態によってはその考えを覆してしまうかもしれない。自分にもわからない。

今、私たちができることは、そうした本人の揺れや最後の決定を尊重できる環境を作ることぐらいだ。理由が自分の思いだけになるために、使えるものをできるだけ用意し、簡単に手に入るようにしておき、使うも使わないも本人次第にしておくこと。

患者になる場合に備えて、固定観念を取り除く練習はしておいた方がいい。変わりゆく身体を受け止めるのはおそらく壮絶な価値転換を要求される。

役割についても同様に柔軟に受け止められるようにしておく必要があるだろう。夫や妻、子どもだけにしか介護を任せられない人がいたが、家族の負担は心理的なものだけでなく肉体的に大きくなる。患者だけではない。男性介護者が介護の負担を相談できずに一人ため込んでいた例にも出会った。

そう、病を発症してから準備をしても遅い。病が発症してからの生き方は、発症していない今の生き方と連動しているのだ。

(※)田中恵美子 土屋葉 平野優子 大生定義 「人工呼吸器非装着の筋萎縮性側索硬化症患者と家族の病の経験と生活」『社会福祉学』2013,第53巻第4号:82-95

 

◆プロフィール
田中 恵美子(たなか えみこ)
1968年生まれ

学習院大学文学部ドイツ文学科卒業後、ドイツ・フランクフルトにて日本企業で働き2年半生活。帰国後、旅行会社に勤務ののち、日本女子大学及び大学院にて社会福祉学を専攻。その間、障害者団体にて介助等経験。

現在、東京家政大学人文学部教育福祉学科にて、社会福祉士養成に携わる。主に障害分野を担当。日本社会福祉学会、障害学会等に所属し、自治体社会福祉審議会委員や自立支援協議会委員等にて障害者計画等に携わる。

研究テーマは、障害者の「自立生活」、知的障害のある親の子育て支援など、社会における障害の理解(障害の社会モデル)を広めることとして、支援者らとともにシンポジウムやワークショップの開催、執筆等を行い、障害者の地域での生活の在り方を模索している。

関連記事

TOP