迷路を歩く / 牧之瀬雄亮

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

私が9年弱の宇都宮での生活の最後に友人となった朝倉すぐるは、引っ越していく私を見て、「まるで着替えるように去っていった」と言いました。

私は“引っ越し魔”と言われるまでではないと思いますが、自分の生家を出て現在に至るまで、数えてみると14もの家を転々としていたことに気付きました。

20年と少しでその数は多いといえば多いのだと思います。

何がしたかったのかと今の自分が過去の自分を過度に謙る(へりくだる)ことなく分析を試みれば、基本的に感覚に没入したり、それを反芻することで生きている私は、現世的な「生活力」というものを欠いた私は、住居という三次元的かつ社会的な「区分け」に棲まわっているうちに段々と息が詰まっていき、打開策として「引っ越すこと」を選択していたのだろうと思います。

結婚する前の私は、先述したとおり生活力のない私は、没頭する時間や習慣と引き換えに、住まいを乱雑な状態に保たざるを得なかったのです。

今でこそ学習として「片付いている部屋は快適であり、没頭する場合の感覚もこれまた整理された部屋の方が良い」ということがわかって来てはいますが、当時は敬愛する坂口安吾大先生の書斎の致命的な乱雑ぶりを心の灯火として、「まだ平気だろう」と無理やりに思うことで、部屋を片付ける理由及び必要性を、脳の中のto do リストから抹殺しておった、という状況でした。

なんにつけてもそうであって、どっかの誰かが言っていた、「美は乱調にあり」を独自解釈し実行しておりました。
余談ですが、聴く者に「なんでこんな音楽を作る気になったのか本当に謎」でお馴染みのCaptain beef heart and his magic bandの『シャイニー・ビースト』も邦題は『美は乱調にあり』でした。

哲学書の隣にエロ本があり、積んだ漫画と国語学のゼミ資料、スーパーファミコンを置く台として活躍する鬼萩茶碗の入った桐箱、芋焼酎を飲む際に使用するittalaのグラス。
それらは概ね布団の周りの、なにかの下の層のどこかにあったわけです。普通に暮らすだけで一苦労の乱雑散らかり様は、正に「迷路」でした。

ところで、重度訪問介護が私に妙にフィットしたのは、自分ではできない誰かの暮らしに関わってみるという側面も、多分にあった気がします。

流れ者の私が、シッカリとそこで根を張って暮らしておられる方のお宅にお邪魔して、時には夜通しああでもないこうでもないと、お互いの思い出話や先々のことを、お宅におられるご本人は勿論、ご家族や他の事業所の方と一緒に襟を開いてお話しする、そういう体験は酒場でもなかなかないなと振り返ります。

時には勿体無いほど貴重な死生観を聞かせていただいたこともありました。
明け方前を「逢魔時」とは言いますが、この流れ者の私に、一個人の人生を辿って見えたある境地を、わけてくださったことなど、銭金では勘定できない、そして他と比べられない宝物(ほうもつ)という以外、言葉はありません。

冒頭でご紹介した、友人朝倉すぐる君、もう一つ私を評して、「あの人は迷路を全部行かないと気が済まない人だ」と言いました。

重度訪問介護をやり始めて少ししてから、街や路線図が、私の行き交う迷路となりました。またその行く先々で、街やご家庭の時間軸を行ったり来たり、今度は四次元ですね。

今は私は、成人知的障害者入所施設で働いています。主に制度やそれと人々がどう相対して来たかを見つめています。

「迷う道」と書きますが、人間どうせ、「最初から最後まで迷っているのだ」と腹を決めてしまえば、道が読めないことで慌てたりしないのです。だってそうでしょう、全てが「道」であり、それを歩くのは自分を置いて他にないのです。
寄り道、逃げ道大いに結構。あなたが私が歩む道です。

その現実を直視することから逃げなければ、悩みは迷いは、時を経て教養として残り、苦しみは他者への寛容を生みます。
「だからキミの悩みは黄金に輝く」とは、私の師匠である故・西部邁の、私が思う1番の名著のタイトルです。

 

◆プロフィール
牧之瀬 雄亮(まきのせ ゆうすけ)
1981年、鹿児島生まれ

宇都宮大学八年満期中退 20+?歳まで生きた猫又と、風を呼ぶと言って不思議な声を上げていた祖母に薫陶を受け育つ 綺麗寂、幽玄、自然農、主客合一、活元という感覚に惹かれる。思考漫歩家 福祉は人間の本来的行為であり、「しない」ことは矛盾であると考えている。

 

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