地域で生きる/23年目の地域生活奮闘記125~障がい当事者の最期を地域でどう支えるか ~ 渡邉由美子

先日、私にとってとてもショックなことがありました。長年、重度訪問介護の制度をつくるために奔走してきた方の奥様が自宅ではなく施設で最期を迎えることになってしまったというのです。

「人間誰しもいつかは死ぬ」という事も、どんな人でも生まれた瞬間から死に向かって生きているのだということも頭では理解しています。それでも地域で社会資源をフル活用しながら何とか生きていた障がい当事者が、灯が消えるように最期を迎えたという話を聞き、悲しいといった単純な言葉では語れない、何ともいえない気持ちになったものです。

そんなことをこの歳になって、先輩が亡くなったことをきっかけにしみじみと感じさせられました。

重度訪問介護の制度は、いまから45年ほど前から、「重度な障がいをもっていても、地域で自立した生活が送れるように」と、障がい当事者の先輩たちの運動の積み重ねによって少しずつ制度が確立されてきました。

障がい者の多くは見た目の不自由さだけでなく、外からは見えない部分で痛みと闘っています。そのような状態にあっても、ときには行政と対峙しながら命がけで制度をつくりあげ、病院や入所施設、親元でなく、地域のコミュニティの中で自立して生きるという暮らしの選択肢ができあがったのです。

まだまだ制度が十分に生かされているのは大都市が中心で、少し足を延ばして地方都市に行くと、地域生活は暮らしの選択肢として当たり前にあるとは言いがたいのが現状なのですが…。

とはいえ、近年やっと全国の重度障がい者を対象に介護派遣事業を行う会社ができてきたようで、頑張ってがんばって望めば地域生活が可能になってはきています。

でもこれらの生活は障がい当事者が、常に持てる力の全てを投入して運動を続けながら成り立っているのが実情だと感じます。障がい当事者の中には120%、150%くらい頑張らないと自立生活ができないという方もまだまだいます。

障がい者運動を最初に始めた、いわゆる第一世代の人たちがいまや高齢となり、数年前から訃報を聞く機会も増えてきました。今回、私の身近で亡くなられた障がい当事者の先輩の奥様は、第一世代の後半で、ほとんど第二世代の障がい者運動全般を担ってこられました。

彼女は人間扱いをされない入所施設での生活から地域社会に飛び出し、同じく障がいのある男性と知り合い、介護保障制度が全くといっていいほどない時代に夫婦で力を合わせ、心ある大学生の支援者を組織し、障がい者が地域で生きる事の意味を考え、模索しながら生きてこられたのです。

その奥様が先日ついにこの世を去りました。私も数年間、そのご夫婦と連絡を取っていなかったので晩年の様子を知らずにおりましたが、その最期を聞いて、とても他人ごとではないと思い、愕然としました。

重度訪問介護をつくってきた第一人者の一人といっても過言ではない障がい当事者ご夫婦が晩年、新型コロナウイルスの影響により、自分たちで行ってきた介護者探しが全くできなくなったり、住んでいた集合住宅の中にあったご夫婦を支えるコミュニティが崩壊してしまったりといった災難に加え、障がい者総合支援法も打ち切られてしまいました。

そのため一般の高齢者と同じ扱いで介護付有料老人ホームに入居せざるをえなくなってしまったそうです。

自立生活を自ら勝ち取って生活してきた奥様にとってはそれが不本意で、最後まで地域に戻りたいと訴えながら、実現することなく亡くなってしまいました。

障がい当事者自身が高齢となれば、今まで何十年と当たり前のようにしてきたことができなくなったり、なかには自己管理能力が低下してきたりといったことが起こります。そういったことをきっかけに最期まで地域生活を貫き通せる重度障がい者はとても少ないと思うのです。

ご自身で介護事業所を経営されるだけの能力をもつ障がい当事者で、その人と寝食をともにしているうちに「その人の骨を拾うところまで添い遂げよう」と考える介護者もなかにはいるかもしれません。でもそこまで深い関係性というのは誰もがかんたんにつくれるものではありません。

また重度訪問介護の制度で提供するサービスにそこまで求めてしまうようになれば、ただでさえ人材確保がむずかしいこの業界ではますます人員不足が深刻になってしまうと思うのです。

昨今、高齢者向けの介護施設では終末期ケアや看取りを行う施設も増えています。障がい者運動から端を発した重度訪問介護も、地域で自立生活を送ったその先にある”誰もが安心して死ぬことのできる“最期のケアが行えるところまで制度を成熟させていかなければならないと身近な人の死によって深く考えさせられました。

自立した地域生活の最終ゴールに”自分らしい最期の迎え方”までを組み込み、障がい当事者と介護事業所が事前に話し合い、その思いを実現するシステムを余裕のあるうちからつくっておくことが必要なのではないかと思います。

私は先輩ご夫婦のやり方を真似するかたちで、大学生のヘルパーを生活の一部に組み込み、暮らしを継続してきました。その夫婦がいたから私の今があるといっても過言ではありません。奥様がなくなった悲しみとともに、最期を地域で支えられなかった事実が心に残っていくことと思います。

重度訪問介護の未熟な点として改めてこのことを心に刻み、地域で最期まで生き抜く制度にしていきたいと強く感じました。

 

◆プロフィール

渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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