たまには旧ソ連・ロシアの良い思い出も / 古本聡

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

紅茶(ロシア語では「黒茶」という)

旧ソ連時代、コーヒーと言えばトルコ式が主流だった。普通のドリップで淹れるコーヒーの豆も粉もほとんど出回っていなかった。トルコ式は、微粉状になるまで細かく挽いた豆を、長い取っ手のついたミルクピッチャーのような形をした銅製の小鍋で冷水からじっくり時間をかけて煮だしたコーヒーで、とろみがあり強烈に苦く、デミタスカップのような小さな器で飲んでも、半分飲めば胃が痛くなるほど強い。

だから普段、家庭や学校で飲むのは紅茶だった。茶葉は、インド産は売られてはいたが高級品で、大体はグルジア産が使われていた。お茶の淹れ方が日本とは違って独特だった。予め、茶葉を、これでもかというくらい濃く真っ黒に煮出したものを作っておき、それをシュンシュン湧かしたお湯で薄めて飲むのである。

何故かこの方式で淹れた紅茶はとても美味しく感じた。酷寒の冬の季節、外から家に入ってお茶を飲むと芯から体が温まったのを思い出す。

あまりにもお茶が熱くて口が付けられないときは、ソーサーにお茶をこぼし入れ、少し冷ましてから、ズズズゥーとソーサーから口で吸い上げて飲む。行儀が悪いように思われがちだが、中年以上の人たちが、男も女も大きな体でそうやって飲んでいる姿は結構可愛らしく見えた。

日本ではロシアンティーというと紅茶の中にジャムを入れるが、あれは邪道で行儀が悪い、と日本に来たことのあるロシア人たちは口を揃えて言う。私が現地で飲んでいたものは、ジャムはお茶には入れず、別の小さな小鉢に入れてあった。ジャムは大概自家製で、そのまま食べると頭が痛くなるほど甘かったが、それをほんの少し口に含んではお茶を飲む。飲んではジャムを口へ。これを繰り返すのであった。これもまた格別の味わい。そうしているうちに体はさらに温まってくるのだ。

近年はロシアもご多分に漏れず、ティーバッグが普及してきているようだ。実に興醒めである。モスクワの街並みにス〇ーバックスは絶対に似合わない。進出して来て欲しくなかったが、もうある。しようがない。

旧ソ連式サービス業

旧ソ連時代のレストランは、そのサービスの酷さは有名だった。注文を取りに来るまでに一時間、料理が出てくるまでにまた一時間待たされるなんていうことは普通だった。社会主義時代、働いても働かなくても給料は同額が貰えたのだから、客が呼んでも知らんぷり。出来るだけ働かないようにしていた人が多かったのだろう。

やっとメニューをもらい、注文し始めると、ウェイターあるいはウェイトレスは、片っ端からそれは無い、これはまだ仕込みが出来ていないと言うのだ。よく聞くとメニューの中であるのは二つだけとかいうこともあった。

しかし、モスクワのどのレストランでも必ずあるものもあった。「赤ビートサラダ」だ。 ゆでて駒切にした赤ビート、ゆでたじゃがいも、ハム、ゆで卵、グリーンピース、ピクルスなどの角切りが、塩コショウ、ヒマワリ油、マヨネーズで和えてあり、そこにディルというハーブがまぶしてある。私の好物の一つで、何処にでも売られていた材料でできる料理だ。だからいつもこれを注文していた。なかなか食べ飽きない味だ。

ロシア人には日本のボトルキープが理解不能

初めて訪日したロシア人数名と、スナックへ行ったことがある。カウンターの向こうには、名札のついたボトルが並んでいる。私が日本のボトルキープのシステムを説明すると、彼らは一様に信じられないという顔をした。一度開けたボトルを最後まで飲まないなんて、彼らの常識にはなかったからだ。

17年前、稚内からフェリーでサハリンに渡った。その際、フェリーの中で知り合ったロシア人のカップルが、私のホテルの部屋に、親睦を深めようと訪ねてきてくれた。もっと話がしたいと・・・。

こんな場合は大体、話で終わるはずがないのだ。男性の方のロシア人は、提げてきたバックパックから、ニコニコしながらウオッカの瓶を出して、乾杯が始まる。そんなときは飲みたくないなんて断ることはできない。相手の厚意でもあるし、不慣れな土地で、滞在中にお世話になることもあるので仲良くしておかなければならないのだから。

私自身も嫌いな方ではないので一緒に飲み始めるが、そんなに昼間から飲みたい気分ではない。大したつまみもないし・・・。でも瓶の残りがわずかになると、早く終わらせようと思い、頑張って少しピッチを上げた。ボトルがカラになれば、彼らも帰ってくれて、休む時間もできるだろうとタカをくくったのだが、この計算が甘かった。

最初の瓶が空になると、男性はまたバックパックから、ニコニコしながら2本目のウオッカを出したのだ。もうこうなったら諦めるしかない。腰を据えてお相手した。

ボトルキープのシステムがあればなぁ、と心底願った日だった。

半端ない寒さー「マロース」

ロシアの冬は長くて厳しい。モスクワにいた頃、1月下旬が一番寒さが厳しく、氷点下20~25度の日が続く。

息を吸うと鼻の中が凍って、中の皮膚がくっつき、吐くと溶ける。鼻水のつららができる。そして、手袋をせずにうっかり車いすのハンドリムを握ると、手の平だけが脱皮して血まみれの惨事になる。

酷寒の時、天気はだいたい晴れ、雪が降るのはマイナス5度くらいまでの気温が高めの時。晴れなのに寒いというのが不思議だった。また、日が短い時期は、朝家を出る頃はまだ真っ暗で、学校から帰ってくる午後3時にはもう夜になっているなんていうこともあった。

冬の中でもこの寒い時期をロシア人はマロース(厳寒)と呼ぶ。そして彼らは、このマロースが好きだと言う。

邪悪なものが全て死に絶えるからだと。

行列を観たらとにかく並ぶ

旧ソ連時代、行列を見つけると、みんな反射的に並んでいた。何を売っているかわからなくても、普段売っていない物が売られているはずだから、とりあえず小走りに走って列の最後につくのである。それくらい物がなかったのだ。
ある日、私の母も真似して行列に並んでみた。30分ほど並んで手に入れた物は、大きな茶色いブロック状の石けんだった。汚れは余り落ちない代物で、家族には歓迎されなかった。

いつ何時、いい出物があるかわからないので、ロシア人は必ず折りたためる袋を持って外出した。網で出来た袋だったので、何が中に入っているか外から見える。珍しいものをさげていると、道行く人にどこで手に入れたのかと聞かれることもしばしばだった。

あるとき、ドライクリーニングに出すため、たくさんの洋服を詰めた袋を抱えて車いすを転がしていたら、「障害があって生活に困ってそれを古着屋へ持っていくなら、俺が買ってやろうか?」と言われた。ともかく物資が不足していたのだ。

冷えたビールと馬の〇ョ〇ベン

旧ソ連時代の夏に、レニングラード(現在のサンクト・ペテルブルク)に行った日本人の知り合いが、余りに暑いので売店でビールを頼んだら、冷えていなかった。ビールを冷やして飲む習慣が当時のソ連になかったのだ。

「冷たいビールは無いのか」と売子に聞いたら、「冷えてるのが欲しけりゃ、冬に来い」と言われたと。

ビールに関してこんな小話がある。
ある企業が自社で作ったビールの品質証明書をもらうため、保健所にサンプルを提出した。返ってきた紙には「あなたの馬は健康です」と書いてあった。

旧ソ連のビールは別名「馬の○ョ○ベン」と呼ばれていた。

◆プロフィール
古本 聡(こもと さとし)
1957年生まれ

脳性麻痺による四肢障害。車いすユーザー。 旧ソ連で約10年間生活。内幼少期5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。

早稲田大学商学部卒。
18~24歳の間、障害者運動に加わり、障害者自立生活のサポート役としてボランティア、 介助者の勧誘・コーディネートを行う。大学卒業後、翻訳会社を設立、2019年まで運営。

2016年より介護従事者向け講座、学習会・研修会等の講師、コラム執筆を主に担当。

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