人生の目的 / 小林照

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

今から7年ほど前、左背部に痛みがあり病院を受診したところ膵臓に影が見つかった。現在まで大事には至っていないが膵臓、影、痛みの3点セットは小心者の私をノックアウトするには十分だった。最悪の事態を想定して再検査の結果が出るまで暗闇を彷徨うことになる。生き方を根本から見つめ直す出来事となった。

毎日見聞きしている他人の死と自身のそれとは全く違う。動物園で檻の中にいるトラを眺めているのと、ジャングルでトラと遭遇し視線が合うことほどの違いがあるという。その衝撃は普段経験したくてもできないことだった。

家族のこと、仕事のこと、一通り巡った後、不安と恐怖で埋め尽くされた。日常の悩みなど影を潜め何も手につかなくなった。もう来てしまったか、、先送りにしてきたことを後悔した。

後悔は経験としてやりたいことをやり残した類ではなかった。暗闇の中で為す術なく立ちすくみ、丸腰のまま全くの無策で虎と対峙していることにだった。

私の人生は何だったのか?

四十半ばの人生経験は役に立たず、茫然と孤独に怯えていた。天国に行くとか、来世があるとか、魂とか、不確かな情報は気休めにはならなかった。

存在がなくなるとはどういうことなのか、、答えは導きだせないと知りながら頭から離れることはなかった。

私は何のために生まれてきたのか?

私は生まれたとき水平線しか見えない大海に放りだされたようなもの。

沈んでしまうので必死に泳ぐ。

そのうちたくさんのコーチが現れた。

「格好よい泳ぎ方」
「早く泳ぐには」
「皆と違う泳ぎ方は」
「こうしたら楽に」
「遠くまでの泳ぎ方」

泳ぎ方はたくさん覚えた。しかし、なぜ泳ぐのか、どこに向かうのかわからなかった。

ある意味盲目に浮いている丸太や板切れを目指した。お金や財産、恋人や家族、仕事、生きがい、趣味、健康など、たくさん。

必死に泳いで丸太にしがみついた。幸福感、達成感は確かにあった。しばらくして大波小波がやってきて丸太から剥がされた。潮水を飲んで苦しんだりもした。もっと大きな丸太なら、と次へ次へと目指してきた。

スティーブ・ジョブズは「最後の言葉」で、人生の終わりには富など、私の積み上げてきた人生の単なる事実でしかない。病院で寝ていると人生が走馬灯のように思い出される。認められることや富は、迫る死を目の前にして色あせていき、何も意味をなさなくなっているといった。

名利は私が最も目指したものだった。

良いことも悪いこともあった。振り返れば45年ではあったが夢の中にいたような儚い時間に思えた。不動産の仕事を通してそれなりに一生懸命やってきた。認められたくて起業もした。幸せになりたくて家族もつくった。少しは人の役に立つこともできたのではないか。しかしトラは聞いてくれないだろう。

時間の始まりの有無や物質の最小単位などは人智を超えた問題とカントはいう。アンチノミーといわれるものだ。死んだらどうなるかなど解かるはずもないだろう。しかし時間の始まりがあってもなくても私の生活に影響ないだろうが、この死の問題は人生の目的にも生き方にも直結する人生の根幹をなすものではないか。

子供の頃から時折訪れる虚しさの原因とも思われるこの問題を私はもう避けて通れないと思った。よりよく生きるためには、いや、ただ生きるだけでも誤魔化しきれることではなかったのだ。

私の人生には肝心なものがない。名利に限らず丸太や板切れは違うのだ。目的が抜け落ちている。目的が抜け落ちて手段ばかりを追い求めてきたのではないか、目的じみた手段ばかりを。

生きるためにはお金や仕事や生き甲斐は必要だ。しかし生きるための仕事であり、仕事をするために生きるのではない。家族や大事な人もそれ自体は人生の目的にはならない。より良く生きるための手段として良い社会を築こうとするのであって、良い社会を築くために生きるのではない。あくまで生きるための手段といえよう。

ではより良く生きようとする、その生きる目的は何か…

いつか来るのは知っている。しかし今晩かと問われれば今晩とは思えない、明日も同じ問いに今晩とは思えない、と答えるだろう。いつかは永遠にこない、私は有限の命でいつまでも生きておれると自分を偽って本質を見ようとしない。その代償は最期にまとめて払うのかもしれない。

それでもなお浮生なものを追いかけていた。
それしか見つけることができなかった。
最期の岩頭に独り立った時、それらはどう映るだろうか。力なく崩れていくものばかりではなかろうか。

生まれがたい人間に生まれ、かけがえのないこの命で、果たすべき人生の目的を考えずにおれない。やがて死ぬのになぜ生きる、私はただ、その答えを求めた。

 

◆プロフィール
小林 照(こばやし あきら)
1968年、長野県生まれ

学生時代は社会福祉を専攻し、介護ボランティアに携わる。2005年、不動産会社起業。現在は病気を機に仕事をセーブし、死生観、生きる意義を見直し、仏教を学び中。

 

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