検索するとは云うけれど / 牧之瀬雄亮

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

テレビをつけると、クイズ番組豆知識番組で、「へー!知らなかった!」というため息を見せていない日はないというほど、知識がもてはやされている昨今かなと思います。

インターネットが普及してからは、「あの人に聞けば知らない映画はないよ」とか、「ロックの生き証人」とかいった褒め言葉もずいぶん廃って、「検索すればいいじゃん」という一言で、褒め言葉を誇っていた方のプライドも、パーッと吹き飛んでしまうような、そんなご時世でございます。

一概にインターネットが害悪かといえば、私はそうではないと思いますし、利便が多く、一時期はそれを生業にもしていましたし、こうして「締め切り」という約束と信用をインターネットを介して頂いて文章を書かせてもらっていることもあり、因縁浅からぬ、いってしまえば私にとっては恩恵のほうが多いものです。

ただインターネットは検索によって目にしやすい、見つけやすいページという、結果的にバイアスとして働く避けがたい傾向、特色を持っていますので、例えばWikipediaなどで得られる知識と言いますのも、通りいっぺんの知識しか書いていないとか、多数派でない考えは「こういう理由で否定されている」と書かれてしまっていたり、上書きされたりもしますから、真に正しいかどうかというのは結構あやふやなところがあります。

先日、インターネットで、『ドアーズというバンドを調べました!サイケデリックロックのバンドだそうです!』という書き込みを拝見いたしまして、「ムムム?」と思った次第です。

サイケデリックロックとは、1960年台終盤からLSDや大麻や色々やっちゃいけない薬関係を使用しながら曲の着想を得たり(ぼーっとしていたり)していたミュージシャン達とその楽曲を指すような指さないような言葉です。

同じ頃のあるジャズレーベルのスタジオの受付には、菓子鉢やボウルに山になってそういう薬物が置いてあって、そこに出入りする人たちが手に取り「翼を授ける」「元気いっぱつ!」という感じでレコーディングに勤しんでいたという逸話もあります。

私はドアーズ、好きでして、「サイケデリック」の一言でくくって欲しくないなあと思うわけです。
あの頃必須だったベースギターがいないバンド編成で、オルガンの低音とギターの低音、音をなるべく丸くした大太鼓でベースギターの音域を形作るという不在という存在の仕方を音楽で現し、「職業は詩人です」と自称し抽象的で狂気のあるボーカリスト、ジム・モリソンの声がその音世界に拍車をかける、阿鼻叫喚とボンボンチョコレートが共存する絵巻と、私は好きが高じてざっと書いてもこれだけ書くわけですけれど、何も自慢で言うのではないということは強く念押しを、皆さんにしておきたいことなのでございます。

検索して字だけ見て帰ってくる、ということで、「検索して見ました。知ってます!」と言われても、「あそうですか」とお伝えはしますが、内心では

「曲も聴かないで他人の言葉だけで捉えて語るの?ダッセェ〜!!」
と思います。

出来るだけそのものに触れて、自分の感情や感覚によって捉えるべきだと考えているからです。
こういうことを言うと、必ず「べき思考は精神的に不健康をもたらしますよ!」とお節介を焼いてくる方が忍びの者のように現れますが、こう言いたい。

「そうです私は病気です!『べき思考を捨てるべき』というあなた含めてみんな精神病ですよ!」

そしてこうも言うでしょう。
「僕がもしあなたの言う『精神的健康』状態になって『前の方が良かった』って言ったら責任取れるんですか!?」と。蛇足ですが。

いや別に他人に責任なんて持って欲しくないんですよね。
だから自分の実感を得ることに集中するわけで、それで周囲に何か迷惑をかけることがあれば、謝ってその後同じ轍(てつ)を踏まないように(「同じ失敗をしない」の意)しかないわけで、その責は甘んじて受けるわけです。

ああしろこうしろと生まれてこの方ずっと言われますが、周囲との関わりで生じる個人的な体感に基づいて、知識を選択していくことでしか自己は育たないんじゃないですかね。

履修のハンコを、許可証をもらっていても、その哲学や理念を「読んだことある」ではダメで、身に染みて必要性を感じる、そういうことが求められているんじゃないかと思います。肚に落ちて指先から相手に伝わるぐらいじゃないと、「本当にわかった」とはいえないんじゃないかと思います。

車を運転していて、列に入れてくださった方にお礼のハザードを点けるとき、「これしかできないけれど、お礼を伝えられる手段としてハザードランプをつける慣習があってよかったなあ」と感じます。そういうことです。

 

◆プロフィール
牧之瀬 雄亮(まきのせ ゆうすけ)
1981年、鹿児島生まれ

宇都宮大学八年満期中退 20+?歳まで生きた猫又と、風を呼ぶと言って不思議な声を上げていた祖母に薫陶を受け育つ 綺麗寂、幽玄、自然農、主客合一、活元という感覚に惹かれる。思考漫歩家 福祉は人間の本来的行為であり、「しない」ことは矛盾であると考えている。

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