小さな自分を抱きしめて~~宇宙という名の娘、同志登場 ①~~ / 安積遊歩

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

いよいよ私が娘との関係をどのように作ってきたか、つまり、世の中の言葉で言えば、娘をどのように育てたのかについて書いていく。私の体は骨が脆いという特徴がある。骨が脆いから骨折もたくさんする。骨折をたくさんすれば痛いし、動けないという辛さも半端ない。しかし、それにも増して辛いのは、脆い骨を強くしなければならないという治療の数々、私にとっては虐待としか思えなかったし今もそう思っている。

39歳で妊娠したとき、幼児期に凄まじい数のレントゲンを浴びていたので、にわかには信じ難かった。歳の若い恋人との間でもあったので、彼がずっと一緒にやってってくれるとは思えなかった。だから女友達と共に育てていくと決意。

しかし、年若な恋人はちょうど就活の時期でもあったので、それを即刻やめ、私のそばに付き添ってくれるようになった。女友達との共同生活に彼が参加すると、部屋が狭くなった。だから、娘が生まれる前に新しい場所を見つけて引っ越しをした。

私は、娘が生まれる前から娘の子育てを1人でするつもりは全くなかった。子育てを1人でするということは、具体的には娘と私の「孤立と地獄への道」と思っていたくらいだった。

娘が私と同じような骨の特徴を持っていることと、女の子であるということは、私にとっては疑いのない事実だった。なぜなら私は、娘ではなく同志を産むのだと考えていたから。娘という血の繋がりや、血族意識はあまりにもどうでもよかった。障がいの遺伝と女の子であることは確信だった。それほどにも私は宇宙が私自身とよく似た特質を持って女性と言う性で生まれると信じていた。

その確信に基づいて宇宙を迎える準備を始めた。私と同じ障がいを持っているなら、人の手はいくらあっても足りることはないだろう。だからシェアハウスを作って沢山の人に囲まれた中に宇宙がいることを夢想した。そしてそれは夢想ではなく現実になった。一緒に暮らしていた当時最大の親友は、もし若い恋人があまりの辛さに社会からの抑圧に耐えきれなかったとしても自分が一緒にやっていくから大丈夫とまで言ってくれた。彼女はその言葉通り、まるで自分が宇宙を産んだかのように、私たちがその暮らし方を一時中断する3歳まで、そばに居続けてくれた。そして年若な恋人の親友も宇宙の応援団副団長として合流、宇宙の産まれる直前には中学高校を不登校していた友人の娘も加わった。当時は不登校をしている人たちは、私の中で自分の意見と主体性をきちんと持った好ましい若者だった。

宇宙が生まれる時に、NHKの取材が入った。私が頼んだり売り込んだりしたわけではまったくなかったが、遺伝的障がいと言われた私が、優生保護法の改訂を勝ち取った後の出産ということで、NHKの女性ディレクターが番組にしたいと申し出てくれたのだ。なにもかもが宇宙が生まれることを祝福する状況へとなっていった。

番組の中に、宇宙がお腹にきて5ヶ月くらいのときに、私の出産を全面的にサポート、応援してくれた医師である桑江さんが、超音波診断で宇宙の脚の湾曲を見ながら「彼女の骨も脆いだろう」と説明してくれているシーンがある。それを聞いても私は、がっかりしたり驚いたりという気持ちは、0.1ミリもなかった。一緒に付き添ってくれた親友と恋人にも、いっさい障害に対するネガティブな思いは見えなかった。ただ私は、お腹の中でもし骨折したら、それ程、痛くはないのだろうかと、羊水の中に浮かぶ彼女に想いを馳せた。

その後、私は彼女のお腹の中での骨折を避けようと、ひたすら横になって過ごすことにした。骨折している彼女の痛みを感じたり見たくないとはいっさい思わなかった。骨折しても痛みで苦しんでも、ひたすら泣いて泣いて泣いていけば、それは乗り越えられる。母と妹が私にしてくれたことを、ただただ実践すれば良いのだと知っていたから。

ただその涙を私とともに聞いてくれる人たちの群れが必要だと感じ、考えた。その群れ、人々を作るのが私の一番の願いであった。実に幸いなことに、そして前述したように宇宙が生まれる直前には、そうした人々の群れができていった。血族によらない家族のような仲間たちに支えられて、私の子育ては始まったのである。

NHKのディレクターは、宇宙の成長の折々に私たちの番組を作りたいとも言ってくれた。私は優生思想に敢然と立ち向かい、そうではない社会を模索する意味でそのアイデアも素敵だなとは一度は考えた。しかし2本目の『1歳になった宇宙へ』という番組の中で、私の思っていないことを言っているナレーションがあった。その点を削除したいと伝えたが、残念ながらそれは叶わずオンエアされてしまった。そのやり取りから私はマスコミに登場し続ける危険を感じ、レギュラーな番組への登場はやめたのである。

私たち2人を障害を持つ人たちが特別に頑張って実現したこととするのではなく、こんな世界に住みたくないから世界を変えたくて、そして変えながら生きているのだという観点を持つ番組を作りたかった。その想いが少し実現した番組ができるまでには、その後約20年必要だった。

> ②へ続く

 

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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