怒り / 杉隆司(ホームケア土屋 関西)

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

“怒ること”について考えてみました。

そういえば私は最近『怒る』様なことをしていません。特にこの介護のお仕事をする様になってからは、あまり怒りの感情を抱く事が無くなった様に思えます。

前職の営業時代では数えきれない程、上司やお客様から怒られました。役職が就き後輩が出来てからは怒る側になった事もありますが、それでも当時の管理者やその上の方々から怒られる方が多かったです。
もっと昔に遡りますと私は体育大学の出身でしたので、こちらも当時はひと昔前の階級制社会が形成され、上級生のいう事には基本何でも従うという世界で過ごして参りました。

今回、怒るという行為に関して自身の経験を上記の様に振り返ってみましたが、私は圧倒的に怒られた経験の方が多く、他人に対して怒った経験が少なかったです。視点を変えて言い換えると、怒った経験が少ないという事は、怒り方を知らないという事に繋がるのかもしれません。

今回コラムを書くにあたり、いい機会でしたので『怒り』という事について色々調べてみました。

喜怒哀楽に表される通り、『怒』は人間の感情の1つ。
怒るという事は悪くない事である。
怒り方が大事。

上記の言葉を多く目にしました。なるほど、、、その通りです。

『怒り』はマイナスイメージが強く、よく怒る方が好印象なんて聞いたことがありません。敢えて言うならば、私みたいに普段の無表情時が、怒っている・機嫌が悪い?と見えてしまう方が、少し普通の事をするだけで実は結構良い人なんですね、と言われる事はプラスかもしれません。

自分が怒る時はどんな時か?ですが、単に自身や自身に関わる方に対して害が及ぶ時で、それ以外に自分の主張が通らなくて思い通りにいかない、みたいな事で怒ることはまず無いです。これは性格も影響しているかもしれませんが、怒る前に、これ怒り散らしたらその後の処理が面倒だなとか、怒っても切り返されたらしんどいな、と感じたら怒ることを止めて他の表現方法に変えてしまいます。

怒る側は拳を挙げてしまった以上どこかで降ろさないといけませんが、怒り方が下手な人はずーっと上げっぱなしです。怒られている側(聞き手)も、最初は委縮していますが、そのうち集中力が切れてしまい、次第に何でここまで言われるのか?と反発心の感情も生まれる事もあります。こうなると双方にとって不幸せな結末を迎えます。

感情の爆発をぶつけているだけなのか、それとも理解して欲しい、変わって欲しい、気付いて欲しいという親心・愛情から来ているのか、怒りの表現の仕方が上手いなぁと感じる人は、感情だけで言葉を発しているのではなく、表現にも冷静さや愛情も込めながら話をしておられる様に思えます。

一方、怒られる側の立場に立ちますと、何故今怒られているのか?の核心に気付ける人は素晴らしいです。観察眼があったり、空気を読めたり、言葉にすると怒られ上手な方です。この様な方はずる賢い人とも言えますが、どうすればこの場を収められるか、早く切り上げられるか、といった問題解決能力を持ち合わせていると思います。
もしかすると怒っている方がコントロールされてしまい、気が付けば怒り続けにくい、怒りの収まり着地点に誘導されているのかもしれません。

何か良くない事が生じてしまった為に『怒』という感情が生まれてしまったのであれば、それを生み出した凸側が収めるのか、怒られる側の凹側が受けきるのか、どちらかになります。これまでの人生で怒られる側の怒られ経験値を多く持っている私は、見た目と違い凹側タイプだと思います。

冒頭にも書かせて頂きましたが、私は介護のお仕事に就かせて頂き本当に怒ることが少なくなりました。入社時、当時の高浜代表から、また指導役の宮本さんからも“傾聴”は大事ですよと何度も教えられました。無資格未経験からこの業界に飛び込んだ私は何から始めたら良いのか分からなかったので、ここだけは愚直に実践したので傾聴スキルのレベルが上がり、より受容凹型になったと感じます。

時と場合によっては当然“怒る”ことは必要であると思いますし、仕事ですのでミスは少なく迷惑をかけない様に活動しますが、今の私は怒り口調で話しながら本題を指摘しつつ、相手に理解を求めながら怒りを収める着地点を見つける。こんな高度な技は会得出来ておりませんので、未だ人に怒れる資格は無いのかもしれません(笑)

今後ももっと様々な経験を積んで、怒る時も落としどころをきちんと弁えた人物になれる様に成長したいと思います。

 

杉 隆司 (すぎ たかし)
ホームケア土屋 関西

 

関連記事

TOP