地域で生きる/22年目の地域生活奮闘記107~重度障がい者の恋愛・結婚・妊娠について思うこと~ / 渡邉由美子

私は若い頃から恋愛や結婚・子育てについて、「芸能人の○○がかっこいい」という程度の淡い憧れしか抱いたことがありません。重度の肢体不自由により、身の回りの事も誰かに手伝ってもらわなければできないため、「異性に興味をもったら自分が悲しい思いをするだけだ」と心のどこかで思い、女性としての自身を否定していました。そしてある時期から異性を見るときは芸能人に憧れるのと同じように、現実味の薄い、目の保養的なものにとどめておこうと心に決めました。

私は保健体育の授業で性や妊娠について学ぶよりずっと前の小学校4年生くらいで初潮を迎えました。当時はなんの知識もなかったため、「お尻からこんなに大量の出血をしたのだから、私の命はもう長くないのだ」と思い、あわてて母親に電話をかけたのを憶えています。

母親からは女性には月のものがあり、それが訪れるのはいたって健康な証だと説明されました。私には一生縁のない妊娠や出産のために、毎月体調の変化が起き、トイレ介護も大変になる月経を憂うつに感じながら長い年月を過ごしてきました。

閉経を迎えた今となっては、月経がこなくなって本当によかったと思います。しかし閉経とともに女性ホルモンの分泌が減ったことで体の衰えを強く感じるようになりました。そう考えるとホルモンバランスのためには必要なものであったのだと思います。

妊娠の可能性がなくなった今になって、「一生に一度の人生だから、恋愛や結婚をしてみたい」と思うようになりました。しかしこれまた憧れのレベルで、現実は男性とふたりになっても気の利いたことはおろか、何を話していいのかわからなくなり、「今日はお天気も良くて…」みたいな定型文を話し終えると、すぐに会話が止まってしまいます。

相手の興味を引くような話題は浮かばず、日常生活を送るうえでの困難さや、どうやって日々介護者を確保し、安定的に暮らしているかといった話しかできません。そんな女性に魅力を感じる男性はまずいないでしょう。だから「死ぬまでにいつかは恋愛や結婚をしてみたい」という願望も夢見る夢子の範疇で終わり、一生独身でいるように思います。

さて私自身がある意味封印し続けてきた性の問題や結婚、その先の妊娠・子育てのことをなぜ恥ずかしげもなく書いてきたかというと、北海道・江差町の知的障がい者支援施設で、昨年末に議論が紛糾した事件のニュースを見て、私自身の恋愛観や結婚観、それから子どもを授かった場合などについて、私の考えを伝えたいと思ったからです。

様々な異論があることを承知のうえであえて言いますが、今回問題となった施設は、当人たちの「結婚したい」という思いを実現させようと動いている点においては、評価すべきなのではないかと思います。

もちろん妊娠・子育てについて様々な理由をつけて「本人と家族の同意を得ている」と言い切ってしまう職員や「妊娠は希望していない」と発言する利用者の会見を見ていると、この場ではそう言っておかないと、ここでの生活自体ができなくなってしまうという背景が見え隠れしており、そういった差別意識や優生思想の極みでもある施設の姿勢は断じて許されるものではありません。

それでも一昔前の入所施設のように、「異性の利用者同士がふれあう機会を設けることはご法度。恋愛感情を抱かせないために、男性利用者と女性利用者の生活する建物自体を分けて生活させるべきだ」といった風潮が当然のようにあったことを考えると、「障がいがあっても男女は惹かれ合い、やがて家族をつくり、お互いが支え補い合って生きていくことはごく自然なことである」と男女交際や家族を築くことを肯定し、それが実現できるよう支援をしているこの施設の取り組みは評価されてしかるべきだと感じます。

「当人たちが妊娠・子育てを否定した」という一部分だけを切り取って叩いてしまうことで、また「障がいをもつ男女を一緒に生活させてはならない」といった社会に逆戻りしないよう、この件を論じていく必要があると思います。

まず知的障がいをもつカップルや夫婦に「妊娠して子どもを授かる」ということについて説明し、本人たちが十分に理解・納得し、その子を成人するまで育てるという覚悟をもつことができるよう支援することからはじまり、子育てをするうえで必要な行動をその障がい者夫婦の生活支援の一環として位置付け、サポートをし続けていく体制づくりが早急に求められると考えます。

たとえ障がいをもっていても結婚や子育てをすることができると社会全体が認め、それに必要な支援について具体的な議論を重ね、制度や体制をつくっていくべきではないでしょうか。

障がいをもちながら立派に子どもを育て上げてきた先輩たちはたくさんいます。彼らの経験に基づいて必要な制度や支援体制をつくり、それを当人たちに示したうえで、彼らが子どもをもつのか、もたないのかという選択をしていくのが筋だと考えます。

そもそも選択肢が提示されていない現状で、当人たちが「子どもをもたない選択をした」と言い切り、その障がい者夫婦の親たちが「当人たちが妊娠しないようにすることに同意した」と言っても、それは健常者の間での同意とは意味合いがまったく異なることはあきらかです。

重度障がい者の自立生活についても、議論がはじまった当初は、社会や関係者が全否定するところからのスタートでした。まだまだ不十分な部分はありますが、重度訪問介護という公的制度ができあがった今となっては、それを認める社会ができあがってきています。今回の事件も同様です。

一足飛びに全ての制度や支援体制を整えるのはむずかしいでしょう。でも障がい者が結婚し、その夫婦に子どもが生まれた時に、健常者に対するのと同じように、心の底からおめでとうと言える社会をつくっていくべきだと考えます。

そのために私たちに何ができるのかということを、この事件は社会に投げかけているのだと感じました。優生思想を撲滅できる社会を目指して活動を続けていきましょう。

 

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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