小さな自分を抱きしめて~アルコールについて その1〜 / 安積遊歩

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

わたしは障害をもって生き抜いてきた。そこで様々な常識と言われているものの嘘や悲惨や絶望をしょっちゅう見続けてきた。その最大のものが優生思想ではあるが、それ以外にも例えば戸籍制度の歪さ、酷さ。特別支援教育を信奉する文部省教育の隔離排除による子供たちの苦しみ。最近の統計によれば、小中学生の自殺者は過去最高の499人に上っている。毎日1人以上の子どもが自ら命を落とすというありえない事態がある。

また、医療制度。特に整形外科治療はわたしにとっては治療とは言い難い虐待的なものであった。さらに精神医療は国連からの勧告を何度も受けながらも驚くべき差別感に満ちた凄惨なものとなっている。小さな子どもに対する服薬から、大人への身体拘束の有り様、毎日1万人とも言われるその数はある意味精神医療は戦時下の拷問に匹敵するかのようにわたしには思える。

ところで、今日書きたいのはアルコールについてである。わたしは東北の福島県出身である。東北は米どころと言われ、お酒も美味しいと言われる。物心ついたときには、大人の男たちは皆飲兵衛でそれが当たり前の日常だった。どんなにそのアルコール臭い息や大声で傍若無人に振る舞う父たちが嫌だと思っても、それを拒否する術はなかった。

気がつけば私自身も13歳で急性アルコール中毒を体験し、その後も隠れてウイスキーや日本酒を飲んだ。もちろん量は少なかったが、教育を受ける権利を様々に奪われて苦しかったから、それを慰めるためにアルコールを使ったのだ。10代の飲酒癖は20代にも引き継がれた。30歳で完全にストップするまで何度も何度もブラックアウトもしたし、キッチンドリンカーの苦しみも体験した。二度とお酒を飲まないという決断に至るまでは、飲酒による障害者運動の仲間たちの死も随分見送った。

なぜ私が30代で断酒の決断ができたのか。それは酷く飲んだ夜、ストーブで大火傷をしたにも関わらず、その痛みに気づけなかったことがあまりの衝撃だったのだ。
私は何度も手術をしていて、その度に全身麻酔をしている。麻酔から目覚めた時の不快感とそれに続く痛みにも、その火傷の痛みは酷似していた。

その当時、私は障害の無い男性と結婚したいと頑張っていたのだが、「障害を持つ女は妻でもなく、嫁でもない」と相手の家族から罵られ続けていた。最終的に死さえ願われ、その殺人シナリオさえ聞かされた。

障害を持つ私は、障害があるというだけで結婚からこれほどまでに排除される。その排除は一体どこからくるのかとフェミニズムの本を読み漁りながらも、お酒を飲むことはやめなかった。そして遂にアルコールで死ぬかもしれないという状況を迎えた。

そこで私は「アルコールで自分で死んでしまったら社会に対するなんの問題提起もできず・ならずで終わってしまう。どうせ死ぬのなら、障害を持っているから結婚を反対されて殺される方がまだマシだ」と考えた。自殺よりは他人から殺される方が社会は差別の凄まじさに気づき、震撼するかもしれない。もちろん、すぐにそれも馬鹿馬鹿しいと気づき、私はアルコールをやめたのだ。

アルコールは怖い。戦争の中での銃弾による死ももちろん怖いが、アルコールによる死は少しずつゆっくりと迫ってくるので、なかなか気付かれない分、さらに怖い。

今、日本のアルコール依存症の患者は4万6千人(H29)*いる。アルコール依存症は完全なる病気であるのに、清酒産業は自分達の利潤追求のために、日々切磋琢磨をして患者を増やそうとしている。中毒の二代巨頭としてタバコがあげられるが、タバコの害についてはだいぶ言われるようになり、受動喫煙防止法もできてきた。しかしアルコールの害についてはなかなかに語られない。そして語られない分、問題は隠蔽され、子供たちや患者家族の悲惨な状況は加速する。

介助の仕事をする人、障害を持つ人の中にも、このアルコール依存症に捕まっている人は少なくない。アルコール依存症は一度かかったら完全な回復はないと言われている。何度も何度も繰り返しながら、どうアルコールと付き合っていくかということが肝要と言う人もいるが、私はそうは思わない。

断酒までの道のりとして重要なことは、まず底つきを迎えること。そして自分でその深い病に気づくまでは、周りの人に放り出される必要があるということ。そして「A A(Alcohol Anonymous)」や「アラノン」などの自助グループにつながること。

介助の仕事はもちろん、あらゆる場にあって欲しい平和を、くれぐれもアルコールによって無茶苦茶にされることのないよう、心からお願いしたい。

*出典:アルコール健康障害に係る参考資料-厚生労働省

 

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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