地域で生きる/22年目の地域生活奮闘記80~介護スタンスを伝えるのは難しい~ / 渡邉由美子

気が付けば、あと10数年すると恐怖の介護保険年齢へと突入していきます。そんな年なのですから介護に来る人たちがみんな自分より年下が多くなるのは当然のこと。やむを得ないことと思います。

いつもこの時期は、自薦で養成している学生ヘルパーを発掘するための大学巡りが一段落して、とりあえずボランティアで一人当たり数回、私の生活を体験しに来てもらい、興味が持てれば無資格で稼働することのできる「○○区地域参加型介護サポート事業」という無資格で私限定でサポートできる公的制度を使って、アルバイトとして人材の足りないところに介護サポートに入ってもらう人々を育成する時期なのです。

毎年めまぐるしく過ぎていきます。18歳の若者たちと右往左往生活しながら楽しくもあり苦しくもある梅雨時を過ごすのが30年来の通例となっています。

もちろん30年前はそれこそ来てくれる学生さんと同い年とかいう会話もできるぐらいの状況から何十人何百人という卒業生を送り出し、また次の4月が来ると募集して関係性を一から作っていく。そんな生きるためのライフワークを続けているのです。

当然のことながら、同じようにやっていくことが私の方はだんだんしんどさを感じるようになってきていますが、若いエネルギーを吸収して今年はなんとか例年どおり、その場ではアクティブ重度障がい者を装い、身体介護のやり方から外出の交通機関の利用の極意まで手を変え品を変え、障がい者という視点で生きる事の視点の違い、でも考えていることやりたいことは健常の皆さんと変わらないという事を自然の動きと行動の中で必然的に伝えていきます。

そのためには実際に、飲食店に入ってみるとか、映画館に入って一緒に映画を見るとか、買い物をするのでも車椅子の視点から買い物すると違った視点が見えていることなどを伝えていきます。

そうすることによって重度障がい者が特別な人ではないことを彼女たち自身の経験から実体験してもらい、私たちにもその不自由さを手伝う事はできるのかもしれないと思ってもらう一日を紡ぎ出していくのです。

社会人になっても続けてボランティアに来てくれるような関係を作るのはとても難しいことです。関係性が続いている人でも介護ではなく友人としてたまに食事に出かけたり、共に学生さんとは高くていけない観劇に行くというような関わりをするのが精一杯です。

それでも私のことを気にして下さる方がこの世に増える事はとてもありがたいことと思い、そのような絆を大切にしています。

さて、話を現役学生ヘルパーのことに戻したいと思います。上記に書いたようなやり方で人を探し、ほんの一握りの人々が私と濃く関わることをしてくださるようになります。日中の複数での介護は無資格の介護サポーターで行ってもらいますが、夜勤ともなるとやはり重度訪問介護の資格をとって関わっていただくように発展していきます。

どちらにしても税金から賃金が発生することにはなるのですが、それでもこれを一生の仕事にしようという人は中々いない中で、アルバイトであるからか体調不良やその他のその人にとってはやむを得ない事情で欠勤されてしまうことがあると、とても私は困ってしまいます。

その困る事態が起こる事を少しでも避けたいために様々な形で少しでも賃金発生をさせ責任を持っていただきたいと思っているのです。でも、お金をもらうことが責任にはならないのが現状です。

その日の賃金をもらえなくなるだけで体調不良や予測の付かないことでの欠勤は仕方がない。誰かがバックアップして代わりに行ってくれるから大丈夫なのだろうという考えが浮かんでしまうらしく、業務開始2時間前ぐらいになって「今日はいけない。」とか言われてしまい、たまたま新人のボランティアで入る人々が複数いたので公的ヘルパー不在でボランティアさんで一日を過ごす経験を最近しました。

一昔前であればボランティアで生活を支えて地域で生きていく事は重度障がい者の自立生活にとって当たり前のことでした。でも曲がりなりにもこれだけ公的制度が作られて中身も少しずつ充実してきている中でとても残念に思うことでした。

職業意識を高めてもらい、怖がる意味ではなく人の命を預かってその人ありきで生活を成り立たせていくための介護者の存在にどうその尊さと重みを定着させたらよいのでしょうか。

重く伝わりすぎてしまうと関わらないに越したことはない。みたいになってしまっては本末転倒なので、そうではなく伝えながら地域で生きるためにあなたの協力と意識改革が必要であることを伝えていきたいと思います。

高い職業意識で関わってくださる介護者が増えれば我々利用者の生きやすさも生活の安心感や安定感もまったく違ってきます。支える事の意義をもう一度伝えなおせる機会をもって地域生活の安定に繋げていきたいと思います。

介護技術はどんなに難しい方でも繰り返しやっていくうちに必ず身に付き定着すると思います。しかし、言葉を発する事も難しかったり、体力が落ちていく年齢に達する重度障がい者が介護スタンスを世代を超えて伝えていくことが最も困難な今後の課題であるとつくづく思います。

伝えることの困難さがより大きい仲間たちのためにも、これからもめげずに模索し続けていきたいと改めて誓った今日この頃でした。

 

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。
重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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