地域で生きる/22年目の地域生活奮闘記90~相談先を複数つくることの大切さについて思うこと~ / 渡邉由美子

最近、不安を抱えたり特に困ったことがあったりしたときに、どこに、どのように相談したら良いのか分からず、心の支えを求めるあまりよくない方向に導かれてしまうものに、いつの間にかハマってしまう人たちが多いとSNSやニュースなどで目に触れることがあります。

健常者でも日々の生活のなかでストレスや息詰まりを感じる人は多いようですが、重度障害や難病その他普通の人よりも多くの弱みを抱えている人は、よりその弱みにつけ込まれることがあるのも事実です。

そのような人々の心の隙間に、神でも仏でもないものが侵入してきてしまいます。本当に弱きを苛め、最終的にはお金儲けの手段としてしか考えられない状況は筆舌に尽くしがたい事実なのだと思うと、人ごととは思えないのです。

私自身も日々不安にさいなまれる事も多く、年齢もあり特にこれから先、自分の両親との死別の覚悟を強いられる環境のなかで日々を過ごしている状況です。

もしそのような事が起これば、心が苦しくなり何かにすがりたいと思う心境となってしまうことは容易に考えられる中で、友人や周囲の長年関わりのある支援者以外にも、不安や悩みを打ち明けてリラックスして何でも相談のできる他者の存在を作っておかなければいけないと考えています。

生活上でも介護の問題でも、明確に解決したいことがはっきり分かっていれば行政を中心に何をどこに相談すれば具体的解決の糸口になるかということを知識として教えてもらうこともあり、日常生活上の問題の具体的な解決策を出すことができる場所は心得るようになりました。

しかし、解決したいわけではないけれど、心の中に溜まっている事をただ肯定も否定もせずに聞いて欲しいというような時になんでも話せる人を作る、と考えると、そのような存在を作ることはとても難しいと考えてしまいます。

今まで生きてきた月日の中では、1番何も気にせずに話せるのは私にとって母親でした。現在82歳ですが、良き理解者であり良き相談役を長年担ってくれています。これは親子ですからあたり前なことです。

でも、それと同じ濃度や気楽さで話をしてひたすら同じような話を延々としていても許される他人との関係性はなかなか難しいと私は思います。

普段、自分が話したいと思うことがあっても、逆の立場で話を聞いて欲しいと他人に言われることがあります。そのような時はたびたび自分に余裕がなかったり、人の悩みを聞いて自分もその世界に引きずられてしまい、私の悩みにそのまま転換されてしまったりすることが多く、申し訳ないと思いながらも聞いたふりはしたくないので今は話せない、とお断りをするような時もあります。

全く聞かないのもどうかと思い、悩みや話を自分も聞こうと思う時には、最初から時間を短く区切らせてもらって最初に決めた時間でぴったり終わる話の聞き方をしたりします。

でも、自分が話したいこと、漠然と聞いてもらいたいことがある時には相手には何の制限もなく否定も肯定もせず聞いて欲しいと求めてしまうので、そのような話し方ができるのは他人ではなく私にとって両親だけなのです。

両親だけではなく姉もよく話は聞いてくれますし、本当に困った時に東京まで来てくれたりして、具体的な支援ができる可能性があるのは姉です。両親はもう高齢のために、私の悩みの解決のために話を聞くだけではない具体的な行動をして根本的な解決をすることは困難だからです。

そんな姉には当然のことながら姉の家庭もあるし、やらなくてはならない仕事もある中で、無限に私の話を傾聴するわけにはいかず、なんとなく私が他人の悩みを聞くときと同じように暗黙の了解のなかで時間制限がつくのです。

それは本当にやむを得ないことだと思います。ストレスも悩みもため込むと心身ともに良くないものであることは明白な事実です。

孤立や孤独にどうしようもない状況まで陥らないうちに、自分の悩みや不安、相談などをうまく聞いたり聞いてもらったりできる社会としての仕組みが必要だと私は思います。

時には、お薬を使って楽になる必要がある場合も存在しますが、薬に依存して量が増えすぎたりしないように負担にならない悩み相談ができる人を複数つくり、依存先を多様化することが必要と考えます。

自分の悩みや相談をしっかりと吐き出せる場をみんなが持つことにより、偏った考えや人の弱みにつけこんで人の人生を破綻させてしまうようなものにすがる人を無くしていかなければいけないと心から思います。

障がいの有る無しに関係なく、人はメンタルというものに左右されやすい状況で生活していると思います。根拠があまりなくても、誰かが断定的なものの言い方で大丈夫、とか、出来る、など肯定的な言葉をかけてくれると、本当に苦手だと思っていたことができてしまったりする経験を私はしてきました。

それの最たるものが実家を出ての重度訪問介護をフル活用した地域生活の実現であったと思います。今から考えれば、私の不安や決断力の無さを分かっていて、背中を押してくれた人が複数いたからこそ、22年も様々なことがありながら自立生活を継続してくることができました。

もちろん、日々の物理的なことを解決してくれる介護者は必要ですが、少し距離を置いたところからメンタル面の踏み切れなさを後ろから押してくれる存在は誰しも必要なのだと思います。社会の仕組みとしてメンタルを支え合うことのできるゆるやかな組織がより多く必要な時代になっているのだと思います。

 

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

関連記事

TOP