プーチンがウクライナに侵攻したとき、確かにめちゃくちゃ酷いとは思った。しかしその酷いという思いは、この世界を覆う白人至上主義からくる報道のありように忸怩(じくじ)たる思いを感じてのことだった。
わたしが小学校に入ってすぐくらいに、アメリカのケネディ大統領がベトナムへの空爆を開始した。いわゆるベトナム戦争だ。面積、経済、科学などのどの面からみても、圧倒的な力を持っていたアメリカ。その最悪の暴力性をもって、ベトナムの赤化を防ぐという強欲を正当化した。
そして、アジアの小さな国、ベトナムを叩きまくったのだ。それを世界は傍観し続け、ベトナム戦争は戦後最大の長期戦となった。私は鼻が高くて白い顔をした人たちが、時々有色の兵隊も混じる軍隊をつくってベトナムの大地を踏みにじっていることに、圧倒的な理不尽を感じ続けた。
ベトナムは農業国で、戦闘機の数もマシンガンの数も量的にアメリカとは数十倍数百倍の差があっただろう。にも関わらず、アメリカはアメリカ国内からの若者たちの反乱と、ベトナム人の屈しない抵抗によって敗北した。
若い人の反乱と書いたが、これは中々知られていないこと。アメリカは徴兵を義務とし、若者を強制的に戦争に駆り出してはいない。いつの戦争でも、大抵は志願兵であるのだが、一旦志願の意思表示をすると、有事の際に徴兵令が届く。その徴兵令にはすでに志願しているので応じなければならない。
しかし、ベトナム戦争の泥沼化に伴い、政府を批判し、偽病や逃亡を図る若者たちが増えて、結果的に戦争を継続できなくなってしまったという。これは、若者たちの平和への意思表示。懸命で賢明な行動だった。
日本でも第二次世界大戦中、どうしても徴兵に応じたくない若者が病気と偽って徴兵を拒否した例があるという。また、兵隊になるための訓練中にその残酷さに心も体もやられてしまった人もいる。つまり彼らは人殺しに追い立てられることがなかったわけで、私は彼らを「平和の人」であると考えている。
その時代にあっては非国民と呼ばれ、批判されていた彼ら。その批判の強烈さで、彼ら自身もまたその批判を内面化したに違いない。しかし、もう一度繰り返すが、武器を持てない体になるということは、すなわち「平和の人」になるということである。
今回のウクライナ侵攻で辛いのは、兵としての動員を拒否する男性たちが国外脱出を阻まれたこと。女性と子供や、逃げることの可能なお年寄りたちは大量の難民となって外に出たが、戦える体を持つ男たちは留まって戦うことを強いられた。これは、実に理不尽なことだ。
第二次世界大戦の時、デンマークは抵抗することをやめてナチの占領を許した。それ以外の国々は、ナチズム、ヒットラーとの戦いで沢山の人命を失った。私は、プーチンがウクライナに侵攻したときに、その人自身の身体と命にまず責任を持つのは自分自身であるべきと考えていたから、できるだけ多くの男たちがまず抵抗せずに逃げてくれればいいがと妄想した。
しかし、そうはならず、女性や子供がまず逃げて、男たちは戦いのために残されることになった。戦争が起きた時、男たちは女性や子供を守るという理屈で、銃を取り、そこに追い詰められる。
ところで、白人支配の大国があちこちで戦争をし続ける理由はただ一つ。いわゆる物質欲にまみれた豊かな生活を維持すべく、資源の強奪をはかれる国々からそれらを奪い、むさぼり続けている。今回、プーチンがウクライナを侵略したとき、第二次世界大戦後、私は初めて白人同士の戦いだなと思えて、その報道の有り様と各国政府の対応を注視した。そしてやはり日本政府が白人崇拝意識に塗れていることを再々確認させられた。
日本政府の難民政策はとんでもないほど過酷だ。この文章を読んでくれている人なら知っていると思うが、明確な人種差別、民族差別意識に基づいた政策が遂行されている。差別が常識と化して人々の意識を偏見に満ち満ちた頑なものにしている。
自分より劣った人と優れた人がいるという優生思想が強固に根付いている。日本人の多くは、白人には、ペリー来航以来、恐怖と崇拝意識がまわるが、有色の人たちに対しては、それとは真逆の意識と行動がある。今回のウクライナの人たちに対しても、アジアアフリカの人たちに対しては難民なのに、ウクライナの人たちは避難民と呼ばれた。そして、彼らに対しては、有色の人とは違う対応がなされた。
プーチンとトランプとゼレンスキー、そしてバイデン。白人の男たちの権力欲と強欲に塗れた国々。そしてその彼らの暴力性に満ち満ちたこの世界。ここで生き延びるためには、銃を持てない身体の平和を自覚し、「争うな戦うな」と主張し続けていくしかない。ウクライナの男性たちが皆、銃で抵抗できない体であったなら、プーチンはウクライナを占領しても、おびただしい殺戮には至らなかったに違いないから。
私たちは私たちの身体ゆえに、非暴力無抵抗の平和主義者である。それを自覚し、日々の中でも、「争わず戦わず」の生き方を主張し続けていこう。
◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ
骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。
著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。
2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。