地域で生きる23年目の地域生活奮闘記121~今こそ重度訪問介護の制度で生き続けたい~ / 渡邉由美子

20代の頃から”親亡き後”という言葉を、それこそ耳にタコができるほど周囲や両親自身から聞かされてきました。親がいようといなかろうと子の私は精いっぱいで、22年かけて地域での自立生活を確立してきました。この春で一人暮らしを始めて23年目になります。

自立生活を始めた当初からすればアパートに一人ぼっちになる時間もなくなり、自分にしかできない社会参加の在り方もやっと見いだせるようになりました。介護の担い手の人材不足問題を除けば、順風満帆ともいえなくはない日々を送っており、盆暮れ正月関係なく、なんとか家族に依存しない生活ができるようになっています。

そんな矢先、実家の両親が相次いで体調を崩し、入退院を繰り返すようになってしまいました。両親ともに高齢なので、本当にいつ何が起きてもおかしくない状況であるということをまざまざと思い知らされています。

私も歳を重ね、まもなく四捨五入したら”アラ還”と言われる年齢に差しかかります。この歳になるまで家族の支援が続いたことを、本来であれば奇跡と思わなければいけないのだと思います。

とはいえ今回ばかりは、いよいよ「”親亡き後”を考える」のではなく、「”親亡き後”を迎える」ことになってしまうのではないかという恐怖感や不安、焦燥感に囚われています。実家に2世帯で暮らす姉から両親の様子を聞くたびにその思いは強くなり、日増しに平常心を保てなくなっている自分がいます。

そうこうしながらも日常生活はふだん通りに回しているのですが、どこか心ここにあらずの状態で、いつも以上にイライラしたり、あり得ないミスを連発したりしています。先日は電動車椅子の操作を誤って暴走させてしまい、新車にも関わらず大がかりな修理をしなければならなくなってしまいました。

姉が両親のことで奔走している今、「私まで事故を起こすわけには絶対にいかない」とわかっていながら、危なっかしい運転をしている有り様です。

これまで私は”親亡き後”を自分らしく生き抜くために、重度訪問介護の制度の充実と発展を願い、そのための運動にも心血を注いできました。ようやくその努力が実り、24時間の介護を受けられる環境が整い、家族介護から第3者による介護に100%引き継げるようになったと思ったのも束の間、いざ親が病に倒れてみると、精神的な問題が覆いかぶさり、日々に色濃く影響を及ぼすようになってしまいました。

人間とは本当に弱い生き物なのだと痛感しています。私は子どもの頃から物理的な不自由を抱えきれないほどたくさん抱えて生きてきたので、「物理的な不自由さえ解消できれば、強くたくましく、何に憂うこともなく生きていける」と信じていました。しかし、そうではない現実を前にして、唇を噛みしめているところです。

介護者とは長い時間を一緒に過ごす間柄ではありますが、毎日同じ人が介護に来てくれるわけではなく、幾人もが入れ代わり立ち代わり介護に入るため、やはり家族や友人のように、心を許して何でも話せるまで深い関係にはなりません。

だからこそ精神的な苦悩や葛藤は自分で解決するしかない。それが自立生活というものなのだろうと私は思っています。

今こそ、それを言葉にするだけではなく、具現化しながら暮らしていきたいと考えます。重度訪問介護の制度を通して私のもとに来てくれる介護者と円満な関係を築き、その手を借りつつ、なんとなく呆然と立ち尽くしてしまうような感覚に襲われている自分自身を奮い立たせていかなくてはならないと思っています。

いま私の心を揺さぶっているのは”親亡き後”が現実になってしまうことへの恐怖や不安だけではありません。両親が大変なときに、私自身が何もしてあげられないという、ふがいなさやもどかしさも同時に沸きあがります。何かしてあげられることはないかと考えれば考えるほど無力感に苛まれます。

でも両親を直接的に支援することはできなくても、「私は達者で暮らしているから大丈夫。安心して療養に専念して」と伝えることも親孝行のひとつなのではないかと考え直しています。

家族介護に頼り切っていた頃であれば、不測の事態が起きたときに私の世話をどうするかが大きな課題となっていました。でも重度訪問介護の制度を使って24時間365日、介護者に来てもらえるようになった今、そういった話題は一切あがりません。そう考えれば、これまで制度の拡充のために費やしてきた日々は大きな成果を結んでいるのではないかとも感じます。

束の間でもいいから、もう一度両親に他愛もない日常が戻ってくる日を信じてやみません。そうしながら、どうしたら穏やかな老後の締めくくりとなれるか、両親それぞれにとってのよい最期を迎えさせてあげることができるか、姉とともに悔いのないよう考え続けていきたいと思います。また奔走する姉の体調やメンタルが崩壊しないよう気遣っていこうと考えています。

またそのすぐ先には、自分が第3者の介護を受けながらどう歳を重ねどんな老後を迎え、どういった人生の締めくくりをしていくかといった課題に直面することになるでしょう。

重度訪問介護の制度の理想的な完成形は、当事者の”親亡き後”を支えることはもちろん、本人が高齢となった時に、介護者と手を繋いで天寿を全うすることができるよう支えるシステムとなること。親の老いを通し、そんなことを思うこの頃です。

 

◆プロフィール

渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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