異端の福祉と幸福について / 小林 照(社外取締役)

重度訪問介護は現在でも充分に認知されていないことから、業界ではまだまだ異端な分野といってよいのではないでしょうか。また重度訪問のみならず他分野においても、異端から正統への道筋をつけることが土屋の使命ですが、未だ異端な分野の開拓は、原因を把握して慎重に挑む姿勢も必要でしょう。異端とされている小さな声に応えていくことが、すべての人の人権が守られることに繋がります。

つぎに福祉を広辞苑で見てみると、真っ先に「幸福」「公的扶助による生活の安定、充足」とあります。後者の公的扶助による生活の安定、充足についての内容は理解できます。基本的人権が侵害されている状況があれば是正される社会でなければなりません。しかし前者の幸福とは何でしょうか。同じく広辞苑には、心が満ち足りていること。また、そのさま。とあります。人それぞれ心の感じ方は多種多様です。

話は大きく変わりますが、衣類を洗うときに江戸時代に入る前は足で踏んで洗っていたそうです。江戸以降は桶に入れて、もみ洗いをしていました。明治以降には洗濯板が普及します。当時洗濯はその重労働から「洗多苦」ともいわれていたそうです。その後、2つのローラーの間に衣類を挟んで手動でゴロゴロ回転させる機械が開発されました。映像でしか見たことはありませんが、現代のものと比べると洗濯機と呼べる代物ではなさそうです。

そして洗濯槽と脱水槽が分かれた二層式洗濯機が現れました。ここまでくると一般的には洗多苦といわれることもなくなったのではないでしょうか。しかし洗濯槽から脱水槽に移すのに手間がかかる、干さなくても乾燥してくれたら、とのことで今では洗濯から乾燥まで一槽で完結する全自動洗濯機があります。さらに折り畳み、収納までしてくれるものを開発中ですから貪欲な科学の進歩には驚かされます。

この進歩により洗濯にかかる時間や労力を大幅に削減したことは喜ばしいことです。当時担っていた方にとっては全自動など夢のようなことでしょう。一方、全自動を使っている私たちはどれほど幸せを実感しているでしょうか。当たり前すぎて別段何も感じないかもしれません。私など、もっと時短できないかと愚痴まで出てくる始末です。

この「もっともっと」といった人間の欲望にはきりがありません。そのため幸福という面では満たされるようなものは得られないのではないか、とも思うのです。時間の使い道に選択肢が増えたのは良いこと、といえばそうなのですが、ご近所同士で家族の愚痴でも言いながら洗濯していることを想像すると、それはそれでよい時間が流れていたのではないでしょうか。

幸福感を満たす、そして継続する、とても難しいですね。どんなに便利になっても、どんなに効率よく時間を使えても、心が満ち足りていることとは、また別なのではないでしょうか。

◆プロフィール

小林 照(こばやし あきら)
1968年、長野県生まれ

学生時代は社会福祉を専攻し、介護ボランティアに携わる。2005年、不動産会社起業。現在は病気を機に仕事をセーブし、死生観、生きる意義を見直し、仏教を学び中。

 

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