思いのこもった言葉の数々から、改めて福祉をとらえてみようと思う。
異端の福祉である。
一見結びつかないような組み合わせであるが、一般的な福祉のイメージからすると、高浜の経歴や取り組みは異端であると感じる方も多いのかもしれない。
かくいう私も、今はごくごく平均的な人間であると自覚しているが、いかにも福祉的な経歴ではなく、勉学を後回しにし、映像や文芸を生業とするのだとうそぶいて横道にそれた経験があり、異端にはおおいに共感できる。
だとすると福祉にはそんな異端を受け入れるやさしさや誇らしさがあって、だからこそ様々な背景をもった人たちが集まるのかもしれない。
ただ世間一般的には福祉がなりたい職業ランキングで上位に入ってくることはない。
また、その福祉の中でも、重度訪問介護はまだまだ認知度が低く、面接の場においても、どこかの施設を主体として提供するサービスだと思っている方たちも少なくない。
本の中には重度訪問介護難民が生まれてしまう5大要因について触れられているが、そのひとつであるサービス提供のための事業者、人材が少ないことは福祉業界全体の大きな課題である。
全国にはサービスを受けることのできないクライアントが多数おり、またクライアントが望むサービスを提供できる時間が許されていない自治体が多いことは、事業者である我々が日々実感していることであると同時に、福祉業界はいまだに低賃金できつい仕事というイメージを払拭できていないのが現状である。
「清貧であれ」というタブーに介護従事者の社会的地位の向上や待遇改善で切り込み、一人でも多くのクライアントにサービス提供ができるようにアテンダントを増やしていきたいという高浜の強い意志がある一方で、収入の多寡ではなく、とにかくよいことがしたい、人助けがしたいという方が集まりやすい一面が福祉にはある。
「清貧であれ」という言葉の中には、福祉を聖域的に扱い、とにかくここではお金を儲けるべきではないという外部からの決めつけや押しつけがひとつと、もうひとつは高待遇は競争からしか生まれないという思い込みでの介護従事者側の恐れからくる、内部から歯止めをかける二つの側面があると思っている。
そんな二重構造のタブーと、高度なスキルや緊張感のある現場が賃金と見合わないという至極真っ当な意見のぶつかり合いの中で、この葛藤は繰り返されている。
そしてともすれば提言者自体が金の亡者というレッテルを貼られるリスクがあり、業界全体が尻込みしてしまう、もしくは一過的なパフォーマンスと揶揄されるテーマでもある。
にもかかわらず、なぜそこに挑もうとするのか。
理由は明瞭である。
かつてプロボクサーを目指し、挫折し、福祉に出会い、障害者に向き合い、怒り、叱られ、認められ、支えられ、学び、いまも挑戦し続けるその姿は、会社設立の背景にも通ずる、まさに株式会社土屋の存在理由である。
そこには、そもそもタブーなど存在しない。
挑戦をやめない限り、いつまでも異端であり続けるのだ。
◆プロフィール
笹嶋 裕一(ささじま ゆういち)
1978年、東京都生まれ。
バリスタに憧れエスプレッソカフェにて勤務。その後マンション管理の営業職を経験し福祉分野へ。デイサービス、訪問介護、訪問看護のマネージャーを経験し現在に至る。