優生思想はさまざまなところにある。私の身近では、医療業界と教育の場が優生思想そのものだと思っているが、農業もまたそうで、特に肉食は優生思想をベースに巨大な利潤を生み続けてきた。
肉食は、家畜、豚や牛や鶏を、生き物ではなく商品とみなすことで、工場畜産を徹底的に発展させ、大量生産を実現してきた。
卵を産む鶏は、農家の庭先や、大きくても一農家が野菜や米と一緒に卵を食べるような時代には、彼女らの寿命は、4〜5年はあった。ところが今は、大量の成長促進剤や抗生物質等の薬の投与で、年間に約300個前後の卵を生み続ける。そのために、その寿命は半分〜⅓程度になってしまったという。
しかし、今日書きたいのは肉食のことではなく、植林のことである。
私の若い友人は、林業に携わって、丸3年近くになる。その内1年くらいは、山で植林の仕事をしていた。その時には、思ったほど元気がなかったが、先日来てくれた時、一皮剥けたように元気だったので、「今は何に興味を持ってやっているの?」と聞いた。
帰ってきた答えは、1ミリの迷いもなく「馬と一緒に山で働くことです。」と清々しいものだった。「どういうこと?」とたずねると、以下のような話を多岐に渡ってしてくれた。
「林業というと、植林と思われていることが多いが、植林とは、山を畑のように考えて使うので、林業が植林一辺倒になってしまうと、多様性に欠けたものになる。植林が始まったのは、戦前、戦争遂行のために、日本中のほとんどの山が皆伐され、禿山が広がったため。それを国策で、木を植えて復興しようとしたのだ。その後、その禿山に成長の早い針葉樹林を植えて、売れる木材を一町歩につき2000本くらい植林していく。植林の過程で、苗の根っこを土に根付かせるために、『根踏み』という作業を行う。それは、遠くから運んできた苗を、その山に根付かせるためではあるが、人間にとっての脳にあたる部分である、木の根っこを思いっきり踏みつけられることは、木にとっては良くないことだろう。その後、人間がて入れをし、木を育てることで、2000本のうち、4,500本くらいだけを収穫する。なぜ2000本もの木を過密に植えるかというと、建築材として真っ直ぐな木を作ることと、風雪害からそれらの木を守るというためである。しかしながら、この過程は同時に、最後に残される4,500本以外の木々は商品価値がなく、市場に出しても買い叩かれる、という現実でもある。
戦後、大量生産と大量消費が進むなか、あちこちの山は成長が速いといわれる針葉樹林を中心に植えてきたため、さまざまな問題が起こってきた。
山が禿山にされてから1980年ぐらいになると、植林した木が育った。ただ、その頃にはアジアからの外材の方が安くなり、日本の植林した木々は、切り出すためのお金のほうが、外材の値段よりも高いということで、放置林が多くなっていった。
たとえ山から木を切り出すときでも、もともとあった馬と協働で働いて、丁寧に木を搬出するということはどんどんなくなっていった。
木を切るのも、それを纏めて森の外に運ぶのも全部機械となり、馬と一緒に働くという人は、今は全国で数人。北海道でも、僕の親方のように、大量の木々を切り出して、馬と一緒に搬出しているのは、たった1人となってしまった。
木を切り倒してから、重機や軽トラックを使って搬出するより、馬と一緒にやると、木と木のあいだを馬と人間がスルリと抜けることができる。
いま、馬たちは、仕事があるから育てられるのではなく、馬の生産の目的も、その肉を食べるということがほとんどだ。
北海道には“ばんば”や“どさんこ”という特有の馬がいて、ばんけい競馬のための競走馬としても使われている。しかしそれはほんの一部で、ほとんどの馬は2歳くらいに育つと、食肉にされてしまう。」
これらの話をしてくれた彼は、いま情熱的に山で馬と働きたいと、北海道でたった1人の師匠についている。彼の話によれば、ドイツやスウェーデンでは、山で馬と働く人たちの数は、全然減っておらず、それどころかドイツでは年4回、彼らが読むための雑誌が出版されているという。
私は思わず、「日本では絶滅危惧種みたいな仕事なのにすごいね」というと「僕はそうは思っていないよ。60年前に一度は消えてしまった仕事ではあるけれど、現代に再興しようと頑張ってくれている人たちがいるということが、ありがたいと思っているんだ。今年は自分の馬を飼うために、馬を売り買いする市場に行って、再来年くらいには自分の馬を手に入れるつもりだ」と話してくれた。
彼の目と口ぶりがとても元気だったので、私は終始嬉しい気持ちで聞いていたが、よく考えると、植林の優生思想に本当に驚いた。禿山になったところに植林し、植林した苗の半分以上を商品価値がないということで買い叩き、そしてまたそこを禿山にして植林する。
植林された山々の緑は、あまりにも整然とした針葉樹林で、洪水や土砂崩れには、根が浅いために、脆い。スギ・ヒノキから出る花粉や、土砂崩れによる倒木や土壌汚染、そして昨今は植林ではなくメガソーラーに山肌が使われているところも出てきている。メガソーラーも土砂崩れや倒木によって、電気を帯びたままのそのシステムは非常に危険なものである。
あくまでも全ての命や自然を、人間のために利用し尽くそうとするこの強欲は、どこから来ているのだろうか。
私は、樹木や木々が大好きで、車椅子では入りにくいけれど、森に入るのも大好きだ。木々のあいだ、森のなかにいると、自分の命の源を感じる。太古の時の流れを感じ、私の祖先は、この森のなかで、さまざまな命と多様な分かち合いを行っていたのだろうと思うのだ。そして、少しずつ、少しずつ森から出て、さまざまな場所に旅をしていったに違いないという気になる。
山で馬と一緒に働きたいと言っている友人は、最初に私が会った時には、システム真っ只中の仕事をしようとしていたが、今は「馬と働くこと以外は全く考えられない」と目を輝かせている。
強欲から自由になり、良い世界を作ろうとする若い仲間の話を聞けた、嬉しい夜だった。
◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ
骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。
著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。
2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。