高浜敏之代表が物申す!シリーズ⑬

創立4周年記念イベントの代表スピーチより
「動的平衡と土屋の歩み ~追悼から超克へ~」

私たちの4周年(あるいは10周年)を巡って

2024年8月19日をもって、土屋グループは4周年を迎えることができました。

ここまでたどり着くことができたのも、ひとえに土屋グループ従業員の皆さま、そして草創期に当たって尽力していただいた方々、その他多くの方々のご尽力の賜物だと思っておりますので、改めて深く感謝申し上げたいと思います。

土屋グループとしては4周年を迎えましたが、土屋という名を冠した重度訪問介護事業を開始したのは2014年8月であり、私たちの歩みが始まってから丸10年が経ちます。

改めて、我々の出発点についてお話しさせていただきたいと思います。

2人の「創設者」への追悼

実質的な我々の取組みの創設者として、特に注目すべき方がお二人いらっしゃいます。

お一人は、土屋病院という産婦人科医院を運営しておられ、地域事業に尽力された土屋先生です。

引退後、我々が事業を始めた直前くらいにお亡くなりになりましたが、その方の名前をいただいて『土屋』という名を付けさせていただきました。

すなわち、土屋先生なくして我々は存在しない、というところがあります。

もう一人が、重度訪問介護というサービスの原型を作った障害当事者の方です。

我々が事業を開始する前年に亡くなられましたが、そのような複数の方々の死と、それに対する追悼が、我々がこの事業を始め、そして彼らの精神を継承しようと決断した背景にあります。

ちょうどこうした中で、もともと編集者だった妻が重度訪問介護のアルバイトとして現場に身を置いていて、彼女からの助言もあり、「では、やってみようか」と、2014年に事業を開始しました。

10年の時を経て、気づくと47都道府県でこのサービスを提供できるようになっていたところでもあり、我々はやはり自分たちの原点を見失わないためにも、この方々がどのような思いや志をもって、ご自身の事業に取り組んでこられたかを、折に触れて思い出す時間を持てればと思っております。

「異端の医師」の死を巡って

昨年の同じ時には、ある哲学者の死についての追悼からお話をさせていただきました。

立岩真也氏という方で、まさにこの障害福祉、障害運動の思想を言語化した、社会学者として著名な方ですが、残念ながら今回も、ある注目すべき人物の死について言及せざるを得ないと思います。

毀誉褒貶の方ではありますが、徳洲会グループを築かれた徳田虎雄氏です。日本最大の医療法人ネットワークを一代で作りあげ、彼自身は二十年ほど前にALSと診断されました。

初めて彼がALSに罹患したことを我々が知ったのは、日本ALS協会の会場に突如、徳田氏が現れて、「自分は実はALSだ」とお話しされた時です。

その講演の中で、徳田氏は「人工呼吸器を付けるようになって、私は今までで一番文化的な生活をできるようになった。すごく幸せなので、ぜひ人工呼吸器を付けましょう」と呼びかけたそうです。

非常にポジティブな思考の持ち主であり、日本のへき地・離島医療に尽力した方ですが、彼自身、徳之島という人口1万人にも満たない地域の出身で、幼い頃、3歳の弟さんが夜中に下痢と嘔吐で苦しんで、病院に駆けつけてもどこも対応してくれない。

やっと家にお医者さんが来てくれた時には、もう大切な弟さんは亡くなっていた。この記憶が彼にとってはトラウマとなり、「日本中どこにいても、24時間365日医療を受けられる環境を作っていきたい」と決断し、それをまさに実行してしまったと。

私自身が徳田氏の存在を知ることになったのは、彼とほぼ同世代だった私の父がファンで、酔っ払うといつも「徳田虎雄っていうすごい奴がいて、『生命だけは平等だ』と。日本中どこにいても、いつでもだれでも医療ケアを受けられる環境を作ろうとした」と言っていて、小さい時からそれをよく聞かされていたので記憶に残っていたんですが、そんな彼がつい先日お亡くなりになりました。

最近までALSという病と闘いながらも、文字盤を使って世界中にある徳洲会グループの医療法人にいろんな指示を出していたというところでは、ALSの方の中でも最も積極的に社会参加された方の一人だと思っております。

「理想主義者」の両義性

ただし、徳田氏は褒められるばかりではない、公職選挙法違反を始めとする、いろんな問題も起こしました。

コンプラ意識が全くなく、運転手さんに対しても「黄色信号は迷いなく走れ。赤信号でも注意して走れ」と言っていたという有名な逸話があります。

これは徳田氏を象徴するような話だとは思いますが、彼はそういった形で「24時間365日医療を受けられる体制を作る」、「誰でもどこでも医療にアクセスできる環境を作る」という理想をもって驀進した。

逆に言うと、この理想を実現するためには何をやってもいいという、手段を択ばないやり方をしてきたことで、かなり批判されてきた人でもあります。

だからと言って、彼の実現したこと、彼が抱いた理想自体が全否定されるわけではないと思いますし、私たちの掲げるフィロソフィー「『生き延びる』の肯定」と、徳洲会グループの「生命だけは平等だ」という思想は折り重なる部分もあると思いますので、その精神はこの追悼を通じてしっかりと継承していきたいと思っています。

ですが、私たちが徳田虎雄氏のようなやり方をそのまま踏襲したいかと言うと、それは断固否であると。

これは徳田氏のみならず、創設者の一人である障害当事者運動のリーダーも同様で、高い理想を掲げ、強い情熱をもってそれを達成する。そのためには手段を択ばず、コンプライアンスも時に超えていく、モラルハザードも正当化してしまう。

そのようなやり方を私たちが継承したいかといえば、もちろん否であり、とはいえ高い理想を掲げるということは、その理想ゆえに法の外にはみ出てしまうことや、モラルハザードを犯してしまうことを自己正当化するリスクがあると考えます。

実際、そのようなリスクを冒した結果として、最近もある障害者グループホームを運営していた企業が指定取り消しを受け、廃業に向かっているというところでは、私たちも高い理想を掲げつつも、それ自体が危険を内包していることをしっかりと自覚し、自分自身の歩み自体をコントロールしながら運営していく、この両方のバランスが非常に求められていると思っています。

情熱と冷静の調和→自律と管理の統合→成長と安定の均衡

こうしたことは、個人のメンタリティーにおいては「情熱と冷静」という、この対比概念でも語られると思います。

やはりこの二つのモチベーションは時に矛盾し、相反するところがある中で、どちらが良いということではなく、やはり情熱は物事を成し遂げるためには絶対に大切だと。

そして、それを第三者のようにしっかりと見つめながらコントロールする自身のあり方も大事であり、とはいえあまりに冷静に傾きすぎると、目標達成に対する強い意志が委縮してしまうリスクがあるともいえます。

私たちは、この正反対の方向に向かっているベクトルの拮抗の中で歩んでいきたいと思っています。

動的平衡と土屋の歩み

この拮抗を、ある分子生物学者が言語化されました。その言語化はとても有名なコンセプトとして一時、それを紹介した書籍がベストセラーになったほどですが、それが「動的平衡」です。

動いているということは平衡が崩れている状態で、物事が変化しているのは、バランスが失われるような、ある種の危機的な状況といえると思いますが、その分子生物学者は「生命の原理とは、機械ではなく流れである」という有名な言葉で「動的平衡」を提唱しました。

右に行きながら左に行き、左に行きながら右に行く。すなわち、情熱をもって駆り立てられるように行動しながら、それをとどめるようにして批判的立ち位置に立って動きを止める。

動きを止めるかと思ったらまた動き始めるといった、この流れの中にこそ、生命の原理が宿ると提唱した方であり、これは土屋の歩みそのものにも該当するのではないかと思っております。

成長しながら安定を求め、安定しながらも成長を求める。ニーズに応えようとしながら、また積極的に投資しながらもそれを抑え、調和を回復する。この動きの中で、皆さんと一緒に今後も進んでいければと思っています。

また、私たちはこの動きの中に、自分自身の本質も発見していくのではないかと思います。

すなわち、私たちのコアバリューである「世界を変えるために、私たちは変化し続ける」。それこそが私たちのアイデンティティであると思っていますし、それを通じて、さらなる安定的成長を共に遂げていければと思っております。

第六期の指針と目標

今期(第五期)は、基本的に安定性・収益性という、動より静を重視した1年間だと思っています。続いて来期(第六期)は、逆に静から動へというように、動き・成長の方に舵を切っていきたいと思っております。


引き続き基本理念を継承しつつ、「新たなる小さな声に出会い、応えていくために、つながりあい支え合う場の創造を加速し、飛躍的成長を遂げていく」、そして「安定的成長のための戦略的PDCA経営を継続し、土屋の永続の基盤を強化する」。

これを経営方針とし、我々の理念の実現に向かって歩んでまいりたいと思います。土屋グループの皆さまにも、理念の実現に向け、創造的な思考を解き放っていただけたらと思っております。

 

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