【高浜代表×浅野史郎先生】連続対談シリーズ第2回 ~第1部~

 

「優生思想」~第1部:優生思想とは何か~

対談参加者

高浜 敏之……代表取締役 兼 CEO最高経営責任者/土屋ホールディングスカンパニー会長
浅野史郎……土屋総研 特別研究員
司会……宮本 武尊/取締役 兼 CCO最高文化責任者

優生保護法に見る「優生思想」の危険性

宮本

初回となります本日は「優生思想」について、お二人に語っていただきたいと思います。

まずは浅野先生にお伺いしますが、「優生思想」とはどのような思想でしょうか?

 

浅野先生

優生思想には色んな説明の仕方があるんですが、「この社会にいる人すべてが優生、つまり“優秀な”人たちになるといいな」というような思想です。

けれど、実は問題なのはそこではなく、その逆なんですね。

優生保護法という法律が1948年にできて、1996年までその主旨があるんですけど、それは「不良なる子孫を産まないための法律」なんですね。

優生の反対として「不良なる子孫」と言ってるんですが、それは「障害者」のことなんですね。

知的障害、身体障害、精神障害を持つ人たちには遺伝性があると捉えられていて、それで親となるような人は、

不良なる子孫を作らないために強制的に不妊手術をさせられて、子どもを作れないようにする。

これが優生保護法の内容なんですけど、単純に言えば、この社会にいる人すべてが優秀な、言い換えると「経済的・社会的な生産性の高い人」であってほしいと。

それが国の力を強くするということもあってですね。

 

宮本

2024年に旧優生保護法は最高裁で憲法違反との判決が出され、2025年1月には被害者への補償を行う法律も施行されました。

優生思想が生み出した優生保護法について、浅野先生は元厚生省の障害福祉課長というお立場から、どのようにお考えになられていたのでしょうか。

 

浅野先生

実は、優生思想の問題を考えるきっかけになったのは2016年に起きた「やまゆり園事件」です。

植松聖(うえまつさとし)が、津久井やまゆり園という施設に入所している重度の障害者を19人も殺したと。

そして26人を傷つけたんですが、世の中ではそれは「植松の優生思想によってなされた事件」だと言われていて、そこで「優生思想」が出てくるんです。

あの事件は象徴的に“優生思想というものが、どういうものなのか”を世の中に分からせた事件だと思うんですが、

私にとっても優生思想というものの究極的な酷い事例として強く心に残って、それから“優生思想をやめさせなくちゃいけない”と思ったということなんですね。

つまり、「やまゆり園事件」があって優生思想や優生保護法を知るに至ったんです。

 

宮本

「やまゆり園事件」の前までは優生思想や優生保護法についてご存じなかったということでしょうか。

 

浅野先生

変な話ですけどね。

障害福祉課長になったその日から、障害福祉の仕事というのは障害者の「人権の問題」だと思ってたんですね。

障害があるからといって、人権は普通の人の半分とか、手が使えなければ半分、足が使えなければ6割、目が見えなければ7割とか、人権はそんなもんじゃないよと。

とにかく放っておけば、障害者の人権というのは簡単に侵されやすい。
1人の同じ人間なんですね、障害を持っていても。

そういう目標があって仕事をしてたんですけども、その人権侵害の最たるものがこの「優生保護法」だったんですね。

それに私が気が付かなかった。
多分、歴代の障害福祉課長も気が付いていなかった。

というのも、なんにも行動してないわけですよ。

もし私が、障害福祉課長の時に「優生保護法」について知っていたら、「これはとんでもない」と、何らかの行動を起こしたと思うんですよ。

それをしなかったというよりも、知らなかったということなんだけど、一般の人じゃなくて、障害福祉課長をやってた私でさえ気が付いてなかったと。

悪いとかなんとかいう以前の問題ですよね。
そこが実は優生思想の問題点の一つかもしれないです。

 

宮本

浅野先生がそもそも「優生保護法」について知らなかったのは驚きではありますが、高浜代表はこれに関していかが思われますか?

 

高浜

浅野先生は普通の障害福祉課長じゃないと思うんですよね。

歴代の障害福祉課長については、我々誰も知らなかったりするわけですが、浅野先生のことは知っていました。

それは浅野先生が他の課長さんたちとは異なる、注目すべきなんらかのお仕事をされたから、有名性が確保されてると思うんですよね。

その浅野先生ですら知らないということは、浅野先生以前の方は知らなかった可能性が高いだろうし、場合によっては、

浅野先生以後の方々、もっというならば、やまゆり園事件以後にお仕事をされてた障害福祉課長も、優生思想という思想がもっている中身について知らない可能性はゼロじゃないと思います。

そこで浅野先生が言われてるのは、「自分たちがやる仕事そのものを自分たちに見えなくする」ということですけど、優生思想という思想の中に、ある種そのメカニズムが内在されていると感じます。

よくビジネスの世界では「見える化」としてKPIやKGIマネジメントを展開しますけど、これは、放っておいたら見えないものを見えるようにするためのフレームワークだと思うんです。

逆に優生思想という思想自体が、障害福祉課長であれば普通見えるはずのものまでを視界の外に追いやってしまうような、そういう危険性があるものなんじゃないかと感じましたね。

優生思想がはらむもう一つの危険性~生産性あるいは指向性~

宮本

優生思想自体が「見えるはずのものを見えなくする」ということですが、高浜代表はなぜそのようなことが起こるとお考えですか?

 

高浜

やっぱり人間って飽くなき便利さの追求というか、人類史を通して、物事が便利になる、効率的になる、それはすなわち生産性を上げる、

それが結果として豊かさを生み出すという、この連綿たる歴史の渦中にいると思うんですね。

なので、石器時代における斧ややりを作ったりすることと、今我々が使っているこのスマートフォンにしても、

人間が便利さを求めるという点で一直線につながっていて、全然異なるもののように見えて、実は共通する部分がありますよね。

我々が生きてる都市空間には、便利さを生み出すためのコンピューター、公共交通、道路、インフラ、ケアサービスなど色んな社会的装置がありますが、

それは我々の中の奥の奥の、そのまた奥の方に、中枢神経のように組み込まれている志向性だと思うんです。

その志向性の一つの現れとして、優生思想が、効率性や生産性を求める延長の中にあるんだとしたら、この優生思想という考えは、植松聖のような狂気とも呼ばれる極端な人間だけにあるものだろうかと。

優生思想を、植松聖という狂気の枠の中に閉じ込めて、他人ごとにしてるというのは、我々の一つの心理規制が働いていると思うんですが、

根っこの部分では共通しているという見方も成立するんじゃないかと思うんですね。

だとしたら、我々が効率性・便利さ・生産性を求める、すなわち能力を求める以上、情報処理における正確さと速度を競い合う社会の中に生かされている我々は全員、優生思想主義者だと考えられます。

もっと言うならば、「全ての人たちの中には植松聖がいる」と言っても過言ではないんじゃないかと思わされますね。

だからこそ、優生思想そのものが我々自身に見えなくなり、埋没してしまうんじゃないかと感じます。

 

浅野先生

まさにそうです。
植松聖が特別なんじゃなくて、みんな優生思想というのは持ってるんです。

そして、それが現実の世界で象徴的に現れるものの一つに戦争があります。

戦争では、障害者というのは戦力になりませんよね。
むしろ金を食うというか、邪魔になるという。

だから戦争の遂行といったところからは、それはむしろ当たり前のことなんですね。

けれど、それが実際に行われたことがあって、アドルフ・ヒトラーのT4作戦というのがあるんですけど、それは障害者を全部殺してしまえというものなんですよ。

役に立たないから。強制的安楽死政策が取られて、犠牲者は7万を超えています。

でも、この本質は戦争に限ったものではなくて、みんなが持っていると。

私はそれを「内なる優生思想」と言ってるんです。

内なる優生思想

宮本

「内なる優生思想」という言葉が出てきましたが、浅野先生ご自身もそれを持っていると感じられますか?

 

浅野先生

私の重度の障害者との初めての出会いが1970年、厚生省に入省した年の1か月間の研修中だったんですね。

日本で初めてできた重症心身障害者施設の「島田療育園」に同期の16人と一緒に勉強に行った時です。

まず入り口で、頭の周りが1メートルくらいの人がいたんです。

思わず「初めて見た、気持ち悪い」って言ったら、案内してくれた指導員に「この人はうちの施設で一番障害が軽い人です」って言われてびっくりしたんだけど、

中に入るとロビーや廊下に30人くらいの人や子どもが這っていて、涎たらして奇声を上げてるんですよ。

その中で僕が思ったのは、「この人たちは何のために生きてるんだろうか。この人たち、生きてる意味あるんだろうか」ということだった。

多分、この疑問自体が優生思想につながるんですね。

 

宮本

高浜代表はいかがですか?

 

高浜

浅野先生に率直な感想をお話しいただきましたが、

私は大学卒業後に初めてお仕事したのが木村英子さん(現 参議院議員)が運営している自立支援センターで、その面接官が障害当事者の人たちだったんですね。

私も、それ以前に障害を持った人に関わったことがなかったので、「やだな」とか「怖いな」というように思いました。

で、現地では車いすの人が沢山、所狭しと部屋の中にいたんですよね。
私は正直、「いや、そもそもあの人たち面接できないでしょ」って思いましたよね。

相当緊張しましたが、いざ面接で障害を持った人たちに囲まれた時の私の率直な感想は、先ほど浅野先生が仰った言葉に近い感覚でしたね。

もうちょっと飾った言葉で言うと「違和感」がありましたよね。

普段接したことがないような人たちと会話なんか成立するんだろうかっていう不安と恐怖を感じましたね、その人たちと対話するっていう時間自体がですね。

 

宮本

それでも、高浜代表はその後、木村英子さんのもとで障害者運動に没頭していきますよね。

その「違和感」は払しょくされたということですか。

 

高浜

そうですね、違和感を感じたのと同時に、そのベクトル自体を反省するような。

先生が「気持ち悪いな」と思った感覚、また私自身が感じた「違和感」を反省することで、自分自身に違う道筋を発見できたということだと思うんです。

面接時の「嫌だな」と思った感情とか感覚に基づいて自分の行動を選択したら、翌日行かなかったということだと思うんですよね。

そしたら私はこの仕事をこういう形でできなかったわけです。

それはこの仕事に就いている人もそうです。

この重度訪問部門の立ち上げ期に、あるALSの方の現場に職員を一人連れていったんですが、その方が帰りの車の中で私に言った言葉が印象的だったんですよね。

「正直な感想を言っていいですか。今日、衝撃を受けました。あの人って、生きてる意味あるんですか」って言いました。

でもその人は日々、認知症とかいろんな障害や疾病を持ってる人と関わってる人ですよ。

その人ですら、人工呼吸につながれて手も足も動かなくて、眼球も動かず表情も全く動かないという方は、存在意義を疑うということですよね。

でもその人は、その後自分が感じた感性を克服して、ALSの人たちを支援する事業を発展させていったわけです。

自分の感覚に素直になるって大事だとは思うんですが、時にそれに反省的であるというのも大事なのかなと。

これは企業活動やってる我々そのものにも当てはまる部分はあるんじゃないかなと思いました。

 

宮本

高浜代表は自分の感覚に時に反省的であることが大事だと言われましたが、浅野先生は、自身の中にある優生思想をどう乗り越えられたのでしょうか。

 

浅野先生

島田療育園では「この人たち、生きててもしょうがない」と思ったけれど、やっぱり「そんなことはない」と思ったんですね。

すぐにそう思ったんじゃなくて、その指導員の人に「あんたがた、この子どもたち、なんにもできないと思ってるでしょ。

そんなことないんですよ、昨日できないことが今日できるってこともあるし、今日できないかもしれないことを明日できるようにするのが私たちの仕事なんです」と言われたんです。

それは「進歩」というのがあるからね。
障害を持ってる人でも普通の人でも進歩というのがあるんですよ。

「生きてる」っていうのは、その進歩を実現するためのものだし、逆に進歩があると生きている喜びを感じる。

「これは障害を持っている人だって同じだ」って。

それがヒントになって、この人たちも一人の人間として生きているんだと、それが「人権」だと思ったんですね。

それが私の出発点だったんですよ、障害福祉の。

それがずっと頭にあったんで、そこから15年後くらいに障害福祉課長になった時も「障害者は可哀そうだ、保護すべき存在だ、それを助けるのが障害福祉課長の仕事だ」って全く思わなかったよね。

障害者の人権、「生きていて良かった」と思えることを支援するということで、政策も色々やってきたわけですけど、だから「優生思想」の名前は知らなかったけど、実はよく分かっていた気がするんですね。

「内なる優生思想」はどのように育まれていくのか

宮本

「内なる優生思想」は、生産性を追い求める中で全ての人が共通して持っているということですが、これは本能的に人が有しているものなんでしょうか。

 

高浜

私も障害福祉の事業をしていて、娘も二人いますので、何らかの形で継承していく可能性もあるわけです。

なので、やっぱりなるたけ早く障害を持った人と関わってほしい、理解してほしいと思って、早期教育をするわけですよね。

だから障害を持った人と接する機会多いんです、うちの子。
幼稚園生から、何なら幼稚園入る前からありました。

そうすると、そういう違和感持たないんですよね。

なので優生思想って、そもそも我々の本能にインプリントされてるというイメージありますけど、本能よりはやっぱり教育の産物なのかなっていうのは、あの違和感のなさを見ていて思いますよね。

もしかしたら今後、学校教育とか、いろんな教育過程を経ていく中で、健常者としてのアイデンティティが作られていくと思うし、

作っていくべきだとも思うんですけど、その過程でそうした感性が事後的に生まれてくる可能性はありますけどね。

 

宮本

優生思想はどのように事後的に生まれ、育まれていくものだとお考えですか?

 

高浜

先ほど、浅野先生が優生思想の現れの一つとして戦争を取り上げられましたが、これを広義の意味での戦いだとすると、企業活動というのは地上における闘いであらざるをえないと。

マーケットというのは優勝劣敗で、負けたら撤退するようにできてるので、企業の競争活動に参加している限りにおいては、優生思想の芽というのはそこにぽつぽつと生まれることはあると思うんですよね。

それに学校教育そのものが、そもそも企業や行政で働くための有用な人材を生み出す機関であるとしたら、

学校教育の中にもそういったメカニズムというのは隠れてて、知らないうちに我々も優生思想教育を受けてると思うんですよね。

で、受けた結果として、そういう感性がだんだん育まれてるんじゃないかと思います。

そういう中では、先生が仰った「内なる優生思想」、もうちょっとざらついた言葉を使うなら「内なるヒトラー」だったり「内なる植松聖」がいざるを得ないと思うんですよね。

なので、それはかなり意識的に乗り越えていかないと、それに支配されてしまうというのは、絶対にあると思いますね。

 

宮本

それが身近に現れる例などはありますか?

 

高浜

実際、ヨーロッパでは、ダウン症の子たちがほとんどいない国があるんですよね。

ダウン症は700人に1人、1000人に1人と生まれるようになってるわけだから、いないってありえないんですよね。

なんでいなくなったのかというと、いくつかの国では、出生前診断によってダウン症の確率が高いとされると中絶を選択するんですね。

アイスランドだと、ほぼ100%の確率で人工妊娠中絶が選択されていると報告されていて、

年間に生まれるダウン症の子どもは1~2人と言われていますし、イギリスやフランスでも90%以上の人が中絶を選択しているみたいです。

日本でもそうですね。

ほとんどの人が出生前診断を受けるらしいんですけど、最近も知り合いが友達とお茶しに行った中で、

「ダウン症だったらどうする?」「いやいや、産むわけないじゃん」みたいな会話が軽く話されてたと言ってましたね。

子どもが宿題をやらないとか、学校にいかないとか、そういうレベルのテーマで軽く交わされてて、でもそれを言ってる人には、自分は優生思想主義者だっていう罪悪感なんかみじんもないんです。

日常なわけですよね。

 

宮本

優生思想そのものが、ダウン症では生まれる前の人を殺し、戦争では生まれた後の人を殺すということなんですね。

 

高浜

この二つが違うものだという見方は世界観次第だと思うんですが、ただロジックの本質として180度違うとは言い切れないんじゃないかと思いますよね。

ALS患者の人工呼吸器の装着問題も同じロジックです。

日本ではALSになってから人工呼吸器を付けて延命を選んでいる人は30%で、残りの7割は死の受容を選択してるわけですけども、

家族に負担を掛けたくないとか、いろんな思いがあって、それはそれで事実だし、間違ってないと思うんです。

でも間違いなくその中に、手も足も動かなくなった、会話もできなくなった自分自身の存在を受け入れがたいっていうのがあるんですね。

自分自身は頭脳明晰で、手も足も自由に動くべきだというような、自分はこうであらなければいけないという思考の延長として、

受容できないということが起きてるんだとしたら、それは出生前診断においてダウン症の子どもを否定する理由と根底でつながってる部分があると思うんです。

実はさきほどの、ダウン症の子どもを産まないことを選択する国々においては、見事にパラレルにALSになったときの人工呼吸器の装着率の低さが見られるんです。

日本の30%ってめちゃくちゃ高くて、ヨーロッパじゃ10%を切るんですよね。

よっぽどの富裕層で、何らかの環境が満たされてない限り、まず付けないというのがあって、福祉先進国のデンマークやスウェーデンもほぼ付けないそうです。

そう考えると、幸せ度の高い福祉先進国ですら優生思想が浸透しているんだとしたら、これは史上最強のラスボス感があるなと。

 

宮本

「内なる優生思想」は意識的に乗り越えていかなければ支配されてしまうということでしたが、

その「内なる優生思想」に対抗するために、浅野先生はどのようなことが必要だと思われますか?

 

浅野先生

ディック・フランシスというイギリスのミステリー作家の本で、『名門』というのがあるんですけど、ある優秀な競走馬から次々に奇形の仔馬が生まれてくるんですね。

背景にはいろいろあるんですが、そうした仔馬は生まれてすぐに薬殺されるんですよ。

競走馬は「速く走る」という能力だけで認められてるわけだから、奇形が生まれてきたら殺す。

心根の優しさとか見た目の美しさとか関係ないんです。これを人間に当てはめたらどういうことか。

当時は障害福祉課長だったこともあって、問題意識として「障害者の生きる意味」みたいなものを真剣に考えていたんですが、

その時に思ったのは、たった一つの価値だけを起点にすると、こういうことが起こると思って、「多様性」というのが大事だと思ったことがあるんです。

みんな口にはしないけど、「障害者は何も役に立たないから、いない方がいいんだ、厄介な存在だ」って思っている人は結構多い。

障害者という存在をどう見るかについて、そして、我々健常者が障害者にどう当たるべきかということを考える際に、私が特にこだわったのは、“障害者は可哀そうな存在”なのかと。

「障害者は可哀そうだ」と言う人は、その理由はいろいろあるのかもしれませんが、「障害者は何もできない」っていうように思ってるんですね。特に重度な障害者は何もできないと。

だから、可哀そうだというようになっていって、そう思うこと自体が優生思想にもつながっていくと思います。

でも、多くの人が障害者は何もできないと思っている中で、それに対抗するには、「障害者は何もできないなんてことはない」ということを分かってもらわなきゃいけませんが、

実際に存在していること自体が何かを訴えている、そしてそれも含めて、何かできてるんですね。

ここをまず訴えていく必要があると思ってます。

特に障害福祉の仕事では、「内なる優生思想」は絶対克服しなければならないものだと思っています。

「みんなに内なる優生思想っていうのがあるんだな、そうか」ではなくて、「これは間違ってる」ということを色んな手段でやっていかなくちゃならない。

それで、それに対して、「それはおかしい」っていう根拠が何かといえば、私は人権、「人は何のために生きているのか」ということだと思うんです。

 

宮本

ありがとうございます。

第一部では、優生思想がどういうものか、どのように人々や社会の中に立ち現れるかについてお話を伺いました。

第二部では、優生思想を乗り越えるためにはどうすればよいのかについて、より具体的にお話を伺います。

 

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