地域で生きる/21年目の地域生活奮闘記㊱~8月に思う戦争と重度障がい者~ / 渡邉由美子

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

今年はオリンピック・パラリンピック開催の影に隠されてしまい、報道がたいへん希薄に扱われているのがとても気になるのですが、8月6日は広島原爆の日、9日は長崎原爆の日、そして15日は終戦記念日という何年経っても決して忘れてはいけない日が目白押しです。

私は20代の親元暮らしの時に日中活動として障がい者が作った焼き菓子の販売をしていました。私は売り子担当で暑い日も街頭で声を張り上げて一つでもたくさん販売しようと駅等で頑張っていました。

そんな時、核兵器廃絶を求める運動の人たちが拡声器を使って核兵器廃絶を訴え始めると私たちの存在はその大音量のマイクにかき消され、それをやっている間はまるで売り上げにならないという現象が起こっていました。

核兵器の運動の人たちが引き上げていく時に商売にならなくなっちゃってごめんなさい、と言ってたくさん買ってくださり大変助かりました。反省会をしたりする時のお茶菓子に使って下さるという事でしたが、こんな助け合いも生まれるのだと心が熱くなったものです。

8月6日は母方の祖母の誕生日であったこともあり、亡くなった祖母が誕生日のお祝いに夏休みで駆け付けた子どもの私たちに戦争体験をよく語ってくれたものでした。

食料がなくて闇市を駆けずり回り、母たち子ども4人の食料や生活物資を山のように担いで何キロも歩いて疎開先の家に戻ってきたとか、その最中にも重度のやけどを負った人々が倒れて水を求めていたり、焼夷弾の不発弾が道のいたるところに落ちていてそれを踏んだら祖母も障がい者になってしまって足がなかったかもしれないなどと、子ども心にあまりの恐ろしさに真剣に聞くようになったことを昨日のことのように覚えています。

祖母は祖母で、親戚の家もみんな困っている中で子ども4人と疎開をしていたのでとても肩身が狭く、言葉には出来ない程の苦労をしながら子どもの成長だけを楽しみに子育てをしていたという切実な話を語ってくれていました。

終戦の日を迎えた時には負けてしまって悔しいけれど、これでもう防空壕に逃げることも惨事の状況を見ることもなくなると思い、正直それだけでも安堵したと語ってくれました。母は四人兄弟で終戦の日直後に妹が生まれるという状況もあり、よくぞ生き抜くことができたという話をよく聞いていたものです。

私も語り継がれるものとしてしか戦争というものを知ってはいません。しかし戦時下というものは言うまでもなく、とても恐ろしいもので健常者でも生き抜くことが大変なのです。ましてやハンディを抱えている足手まといにしかならない存在は非国民と言われた時代のようです。

その頃の障がい者は本当に隠されており、存在すら否定されながら生きていたと大先輩の障がい者からお聞きするにつけて核戦争などは絶対に起こしてはいけないと思わずにはいられません。

世の中的に障がい者と言われる人々の存在が初めて脚光を浴びたのは、いわゆる傷痍軍人の方たちが焼夷弾で足や手を失い生きていけないということで路上で靴磨きをしたり募金活動をしたり、見世物小屋と言われるところで生きるために障がいを見せていたことが障害福祉サービスの起源と言われています。

そんな生き方しか選べなかった時代の様々な意味での障がいを持つ人々は本当に苦労が絶えず大変であったことをしのぶ時、先輩たちに感謝の念しか抱けない私です。そんな時代から運命にめげず生きてきた先輩たちの証を次世代にできるだけ生々しく語り継いでいくことが私たちにできる行動なのだとつくづく思います。

そんな状況の中で作り始められてきた今ある社会保障というセーフティーネットの仕組みですが、社会保障があって当たり前に生きるように今の若い障がい者たちはどんどんなってきていて、無くても生き抜かなければならなかった人の苦労を顧みることが難しくなってきています。

今は戦時下ではもちろんありませんが、職種によっては健常者でも仕事を失い、生きることが大変な時が再び来ています。そんな中で支払われる血税を基にした社会保障制度をいかに守っていくかがこれからの課題だとしみじみ感じる今日この頃です。

私は社会運動と言っても障がい者の介護保障運動にしか今まで関わっておらず、他の運動には関わる余裕を持てずに来ましたが、8月に改めて考えることは核兵器廃絶運動や労働者の労働保障運動にも少しずつ関わりながら制度の谷間に落ちてしまう当事者を作らないことを総合的にやっていけたらよいと改めて考え直しています。

社会保障運動は保障を国に求めていくという観点で言えば根っこは皆繋がっているように思うのです。そのような運動の展開の中で当たり前に生きていける社会の継続を考え続けていきたいと思います。暑い中でも外出制限がある中でもできることを探して明るく楽しく生活していきたいと思います。

戦争は絶対にあってはならないことですし、戦時下になったら真っ先にいらない人間として扱われ、人としての権利を失ってしまうのですから、そうならないように考えていきましょう。

 

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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