【異端の福祉 書評】挑戦たる「異端」とは / 元山克彦(ホームケア土屋鹿児島)

挑戦たる「異端」とは / 元山克彦(ホームケア土屋鹿児島)

介護人材の不足が大きな問題として取りざたされている今日、待遇改善の動き等もありますが、まだまだ介護士の賃金は低いとされる風潮にあります。「福祉は清貧であれ」、確かに日本ではそういった考え方が蔓延しているように感じます。福祉の心というと自らを犠牲にして他人に尽くす心、といった意味合いで捉えられることが非常に多いのではないでしょうか。

そこに利益を追求、介護をビジネスとして立ち上げた筆者の思いと強い決意を表した著書が「異端の福祉」です。その第5章、最後に書かれている言葉に「あなたらしく生きることを諦めないでほしい。そのために、私たちはいるのです」とあります。

私は筆者の思いがこの一文に凝縮されていると思います。ではなぜそのような気持ちの筆者が「異端」とされるビジネスを立ち上げたのでしょう?

私は大学で福祉系の学科に所属していました。将来は福祉の道に進むと思って学んでいたのですが、途中で急速に熱意を失っています。理由はいくつかありますが、最大の原因はやはり福祉の仕事は極端な低賃金であったことです。

これから社会に羽ばたこうとする若者だった私は、自分の生活を犠牲にしてまでこの道に進む覚悟がどうしてもできませんでした。もし当時、介護=低賃金で過酷な仕事ではないという社会であったなら、迷わず介護の世界へ飛び込んでいたかもしれません。そういった意味で、この「異端」を欲していた人は非常に多いと思うのです。

二宮尊徳の言葉が示すように理想や道徳だけでは何もできません。嫌々介護をしても、されるほうも迷惑でしかないと思います。双方が穏やかに満たされるためには第4章に出てくるように従業員を満足させる物心両面の充足、まずはここがスタートラインではないかと思います。

そこで初めて、人材を確保し育成することで質の高い介護を提供できる、クライアントにも満足いただける、スキルを活かして規模を拡大するといった良い流れがしっかりとできるのではないでしょうか。

そしてもう一つ重要なポイントがあります。全編通して業界の常識を覆すことの大切さが書かれていますが、やはりスキルより人間性が大事ということに一貫して言及されているところです。

いくら利益を追い求めてそれを社員に還元したところで、クライアントに満足いただけない介護では意味がありません。それが嫌で前身の会社と袂を分かった筆者であるからこそ、現実味と重みがあると思います。

私の好きな映画に、邦題で「最強の二人」というフランス映画があります。
事故で全身に麻痺を抱えてしまった富豪がヘルパーを雇って生活をおくる中での人間模様を描いた映画です。富豪のフィリップは面接に来た経験や知識、資格を持った人たちを全て不採用とし、宝石強盗の服役から出所したてのドリスを採用します。
理由を聞かれたときフィリップは答えました。「彼は私に同情していない」

ここに人間関係の原点があるように感じます。筆者が伝えるように、スキルより人間性が大事であることは障害者としての前に一人の人間として、一番欲していることだから。
「あなたらしく生きることを諦めないでほしい。そのために、私たちはいるのです。」

また、本著には筆者のこれまでの来し方や活動の内容、その時の気持ちなど詳しく書かれています。特に影響を受けた方々の話は豊富です。

諦めず戦う背中を示してくれた元ボクサーの父、「障害者をバカにしているのか」と一喝し気付かせてくれた自立ステーションつばさの木村英子氏、満身創痍のボクサーを想像させる力強い戦いと「いつでもめしくわせるから」と目の前で苦しむ若者を心から心配してくれる新田勲氏。そして現在社員として働く方々のエピソード。本当に心強い師匠や同志にも恵まれたことと思います。

多くの人に助けられ、自らも活動に身を投じ、懸命に戦い、もがき、疲弊して、どん底も味わい、それでも再度立ち上がり、経験できた浮き沈みがあったからこそ「異端」への挑戦があるのではないかと感じています。

「生き延びる」を肯定し続け、利用者だけではなく賛同して集まってくれる社員の幸せにも責任を持つ。そのための利益は追及して組織を強く育てていく。なんて素敵な挑戦で、なんと素晴らしい志ではありませんか。

現在も挑戦が続いている「異端の福祉」ですが、近い将来「福祉の王道」と呼ばれる日が来ることを確信しています。

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