【異端の福祉 書評】異端の福祉を読んで〜『自宅で暮らす』を当たり前に〜 / 知念 司(ホームケア土屋沖縄)

異端の福祉を読んで〜『自宅で暮らす』を当たり前に〜 / 知念 司(ホームケア土屋沖縄)

重度障害者の方は、家族が介護を担うか、施設・病院で暮らすことが”当たり前”だと思っていませんか?

私も以前は『家族が介護するもの』だと思っていました。

私の父は重度訪問介護の対象者ではありませんでしたが、自宅で1人にするのは心配な時期がありました。
父は生前、肝臓がん、脳卒中後遺症の高次機能障害の1つである失語症で発語が難しくなり、ヒドい時には失認(脳の損傷により、感覚障害がないにもかかわらず物体や人の顔などが認知できないこと)の症状もありました。

「ドアの開け方が分からない」
「蛇口の使い方が分からない」
と訴えることもありました。

父は若い頃の結核手術の際に、輸血製剤でB型肝炎に感染、お酒好きということもありC型肝炎、肝硬変、肝性脳症、肝臓がんと年々悪化していきました。
また60代で脳出血を2回発症しました。

母は生活の為に掛け持ちで働き、その間父を自宅で1人にするのは心配でした。母の負担軽減のためにも、私達夫婦は実家で同居することにしました。

父は働きにいけないからと家事をやろうとするのですが、以前のようには上手くできず、「米炊いてくれる?」など申し訳なさそうな顔でお願いする事があり、とてもしんどかったと思います。

家族に迷惑をかけまいとやろうとするのですが、やり方や使い方がわからなくなり、以前のようにできず苛立っている時もありました。

体調も悪化し入院を何回も繰り返し、退院できずそのまま天国へ旅立っていきました。

このような時に重度訪問介護のサービスの1つである見守り等があると、家族は安心して仕事や外出することができますし、父も気兼ねなく頼る事ができたのかもしれません。

世の中には常時見守りや医療的ケアが必要な方がいますが、十分なサービスを受けられていない方もいます。
その場合、家族が夜も寝ないで介護して、家族の体力が続かなければ、当事者を施設に預けるか、家族に迷惑をかけまいと自宅で過ごす事を諦め、自ら施設入所を選択する方が多いのではないでしょうか。

特に中途障害者の場合、ずっと健常者として過ごしてきて、病気や事故によって途中から障害者になる為、必要な情報を得るのに苦労する方もいると思います。

私は会社紹介のご挨拶まわりで役所、社協、病院、相談支援事業所などを訪問するのですが、訪問先の担当者でも『重度訪問介護』を知らない方がまだまだいらっしゃると感じました。

喀痰吸引が必要な人は、ほんの少し目を離した間に気管が詰まり容態が急変することもあり、施設入所を選択される方が多いのではないでしょうか?

なぜ重度障害があるにも関わらず、十分なサービスを受けられていないのでしょうか?

著書『異端の福祉』で重度訪問介護難民が生まれてしまう5大要因の1つに認知度の低さが挙げられています。

重度訪問介護サービスは、利用者と介護者の1対1の長時間の支援がほとんどで、利用者の在宅生活を総合的(身体介護、家事援助)にサポートしています。医療的ケアも実施します。

見守りもサービスに含まれます。
その間にご家族は睡眠をとったり、仕事や外出へ出掛けています。

利用者の中には、気管切開して喀痰吸引の介助が必要な方がいます。

少し目を離すと痰が溜まり、それが喉に詰まり窒息につながる可能性もあります。

見守り中、利用者にいつもと異なる様子や異変があれば、すぐに連携先の訪問看護へ連絡して指示を仰ぐなど、介護者1人ひとりが『命をお預かりしてる』という意識や責任感を持ち現場支援に入っています。

重度訪問介護は、医療的ケアも行えますが、医療的ケアを行える事業所は多くはありません。
実際に、訪問先へ『社内にある土屋ケアカレッジで全社員が医療的ケアの資格を取得しています』と説明すると驚かれることが多いです。

住みなれた自宅で最後まで過ごしたい!
大切な家族と一緒に少しでも長く過ごしたい!

この本を通じて重度訪問介護サービスの認知度が高まって欲しい。
そして、この国で生きるすべての人が安心して暮らせる社会、『自宅で暮らす』が当たり前の選択になることを願っています。

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