小さな自分を抱きしめて∼∼易骨折性の体で生きると言う事②∼∼ / 安積遊歩

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

幼い時に、自分がされて嫌だったことは、絶対したくないと思って、人は育つ。
私は骨折をするたび病院に連れて行かれるのが嫌で嫌でたまらなかったから宇宙が15回以上骨折しても、最初の2回は行ってしまったが後は1度も行かなかった。

病院は私たちを時に生体実験をしても良い人のように扱ってくる。私にされた0歳から2歳までの男性ホルモンの投与や8回の手術、骨折や手術のたびに撮られたおびただしい数のレントゲン、そして硬くて重いギプスによる固定など今考えるとその全てが無駄だった。

なぜなら宇宙の幼い日々はそれら残酷な虐待と言えるほどの治療の代わりに骨折をしても常に優しくそばに寄り添ってくれる人たちがいた。その痛みに真剣に向き合ってくれる大人たちがいたおかげで、それと戦うこと以上に遊びたいという思いを実現することができた。

その姿を初めて見た時、私は驚きのあまりそばに居続けられなかった。病院での残酷で絶望的な対応がないと骨折しても子どもはすぐに遊びたい、遊ぼうとするものなのだ、という事実。

私は骨折した後、2、3日は病院で受けた屈辱と痛みに苦しみに「死ぬー、死ぬー」と言っていたらしい。つまり死んでしまいたいということではなく、死ぬほどの現実に襲われているという叫びだったのだろう。その後はギプスによって拘束されての2、3ヶ月、全く動けない日々が続いた。その動けなさがあまりに辛くて、私は常に不機嫌で家族に怒ってばかりいた。

今思い出しても、それらの日々はあまりに辛く、私の幼い日々に遊びが楽しかったという思い出はほとんどない。もちろん母におぶわれて田んぼや畑の草花を見たり、妹と桃の木の下でゴザを敷いておにぎりを食べたことなどかけがえのない時間もあったが。

宇宙は骨折をするとすぐに「動かさないで!」と叫ぶのでその場に布団を敷き、最初の5、6回はそれでも包帯を巻いた。少しでも動かないように、という努力だった。ところがそれも「もう包帯はいらない」という宇宙の一言でなくなった。そして数時間後には自分の横になっている場所に、たくさんのおもちゃや人形を置いて遊びだしたのである。

私は宇宙の回復力の凄さに目を見張りながら同時に私自身の幼い日々との違いに羨望でいっぱいになった。だから宇宙が骨折をするたびに私は外に出て仕事をし、宇宙のそばにいてくれるのはたけさんがメインとなり、介助者や友人に取り囲まれての日々を送ったのである。

骨折をしてもその痛みは遊びに夢中になれば消えていくのだから、彼女は相変わらず幸せそうで友人や介助者たちからは、骨折している宇宙ちゃんが羨ましいとさえ言われたこともあった。子どもであるということはただひたすら自分の興味のあることを追い求めて良いということだ。宇宙は骨折していても全くそれを諦める事なくやっているように見えた。

宇宙が歩き出して、宇宙の友人達と遊び出すと、私の不安は増長した。しかしそれをかき消すように彼女はやりたいことは全部やり続けた。特にたけさんがやっていた共同保育の仲間達と遊ぶときには踊ったり鬼ごっこをしたり本当にアクティブに遊んでいた。驚くことに遊びの中で何度か骨折を繰り返したのにもかかわらず、骨折が恐れとなって臆病になっていくということもなかった。

そして長い間、自分も背が伸びていくものだと、信じていたようで繰り返し大きくなったら、という話もしていた。そのどれもこれもが私には驚きだった。

私は自分の背は伸びないのだと0歳〜2歳までの男性ホルモンの投与や、その後の通院の中で医者達からあまりに聞かされていたし、物心ついた時には妹よりすでに小さかった。親戚や近所の人が「背が伸びたね」と兄や妹にいう言葉は、私の心に棘のように刺さった気がする。それは深い自己否定感となって、さらに家族に当たり散らすようになっていった。

宇宙は好きなだけ「大きくなったら」、つまり「背が伸びたら」という話をしまくっていた。私はそれを聞くたび「宇宙ちゃんの背は皆んなのようには伸びないんだよ」とか「背が伸びても伸びなくても、大事な大事な宇宙ちゃんだよ」とかを言うべきかどうかを迷いまくった。

この世界の常識には、私たちは当てはまらない。易骨折性という脆い骨にプラスしてこの低身長でいることは、町構造や労働環境から微妙に、そして時に強烈に排除されている。私達のような体の特性がない人は、ずっと子どもの身長のままでいないから子ども時代の眼差しをどんどんと忘れていく。もし忘れなければ忘れないだけ、葛藤と困難も多くなる。

しかし私は障がい者運動の中で自分の体をかけがえのない大切なものと肯定する方向にシフトし、さらにピアカウンセリングで仲間たちとそれを徹底的に分かち合えた。だから宇宙の「大きくなったら、背が伸びたら」という言葉を結局は聞き続けただけで、自分の辛さや偉そうな意見を押し付けなくて済んだ。

一度も自分の体にメスを入れられること無く成長した宇宙。必要なものは車椅子や電動車椅子であって、体を改変させられることではない、と確固とした信念と哲学に基づいて幼い宇宙との日々を生きた私。そしてそれを応援し続けてくれたタケさんや介助者、友人達。彼女の穏やかさと不屈の冒険心は骨折しやすい体であったからこそ得られたものだとさえ思える。

さらに付け加えれば、低身長であることは子供の眼差しを失わないですむということである。私と宇宙には子ども達が置かれている状況の理不尽さが、あまりにもよく見える。宇宙は今、月に1度、小学校に行き、子どもたちと遊び学ぶという仕事をし、週に1度はシングルマザーの家にお泊まりもしている。この易骨折性と低身長の身体に感謝して、若い人と繋がり続ける宇宙の愛情深さとタフさを心から応援している。

 

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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