本の出版について③ / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

2005年11月に、3期12年務めた知事職を辞めた。しばらくは無職であったが、そんな時期に岩波書店の馬場公彦さんから、「回顧録を書きませんか」と本の執筆を持ちかけられた。「書き下ろしなんて、書く能力もないし、書く時間もない」と言ってお断りしたのだが、馬場さんはあきらめない。「慶應大学での講義で教科書が必要ではないのですか」と追い打ちをかけてきた。「それもそうだな」と気づいたので、「その企画受けます」と答えてしまった。

直前に東北大学で「知事業とは何か」というタイトルで特別講義をした。また、地元紙の河北新報に回顧録を連載もしていた。この講義と連載を10倍くらいにふくらませたら、本一冊は書けるかもしれないなと思ってしまった。回想録ということで書くと、単なる自慢話になりかねない。それを回避する方法としては、教科書を意識して書くことではないか。馬場さんの話を聞いて、そう気付かされた。

初めての書き下ろしの本を出版することには、特別の感慨がある。初めてハードカバーとなったのもうれしかった。もう一つうれしかったのは、畏友寺島実郎さんが本の帯に次のような素敵な推薦文を書いてくれたこと。「浅野史郎ほど爽やかに筋を通す人物を知らない。彼の知事としての12年は地方の在り方だけでなく日本の進路にとって示唆的である」。

ついでに、はしがきの一部を引用する。私がなんでこの本を書いたかが示してある。
「それなり以上に充実していた知事業であった。貴重な経験を積む中で、さまざまなことを考えた。そういったことが、私だけの個人的な感慨で終わってしまうのは惜しい気もする。自分が経験したことを見える形で残すことは、私にとって権利であり、義務であるということも感じていた。そんな想いがこの本になった」。そうそう、肝心の本の名前を書くのを忘れていた。「疾走12年ーーアサノ知事の改革白書」という。

次に刊行された本の名前は「許される嘘、許されない嘘」である。このタイトルだけ見ると、ドロドロした恋愛小説のようにも思える。こんなタイトルをつけたのは、編集者の浜野純夫さん。タイトルに惹かれて、本屋さんで手に取ってみる人も出てくるんじゃないかと考えたらしい。私は異議を申し述べたが、浜野さんに押し切られてしまった。

浜野純夫さんとは、どなたかの出版パーティの会場でお会いした。「書き溜めた原稿があるんですけど」と私の方から売り込んだ。原稿というのは、「新・言語学序説」というタイトルで「年金と住宅」に連載していたもの。浜野さんは、このタイトルにビビった様子だったが、タイトルとは違って「言葉」についての雑文集だと知って、本作りを引受けてくれた。

「新・言語学序説」という大げさなタイトルで連載を始めるきっかけを作ったのは、「年金と住宅」の竹下隆夫編集長であった。竹下さんにある会合で久し振りに会った際に、原稿執筆を頼まれた。当時は知事在任中で、随筆やら、コラムやら複数の連載が進行中であり、一度はお断りしたのだが、続いて「お願いするのは『ことば』をテーマにしたエッセイなんです」と来た。「言葉」というのは、私にとっても興味あるテーマではある。ついやる気になってしまった。こうやって始まった「新・言語学序説」は「年金と住宅」で16回、後続の「年金時代」で134回という長期連載になってしまった。

浜野さんが本作りを始めたのは、連載80回目の頃。80回のうち、本に収載されたのは41回分。半分はボツということ。採否は浜野さんが決めた。「許される嘘、許されない嘘」の副題は「アサノ知事のことば白書」。内容は「幼少時代から、ことばへの興味が強かった前宮城県知事が綴った“ことばが勝負の毎日”と“美しいままの日本語への願い”」と紹介されている。2007年2月26日講談社から発行された。

次回に続く

 

◆プロフィール
浅野 史郎(あさの しろう)
1948年仙台市出身 横浜市にて配偶者と二人暮らし

「明日の障害福祉のために」
大学卒業後厚生省入省、39歳で障害福祉課長に就任。1年9ヶ月の課長時代に多くの志ある実践者と出会い、「障害福祉はライフワーク」と思い定める。役人をやめて故郷宮城県の知事となり3期12年務める。知事退任後、慶応大学SFC、神奈川大学で教授業を15年。

2021年、土屋シンクタンクの特別研究員および土屋ケアカレッジの特別講師に就任。近著のタイトルは「明日の障害福祉のために〜優生思想を乗り越えて」。

 

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