私が介護の仕事をはじめた理由 / 伊藤一孝(ホームケア土屋 三重)

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

日本には17,000種を超える職業があるといわれている。プロのアスリートになりたい。歌手になりたい。医者になりたい…。身体能力や才能、努力を通じて自身の明確な夢や希望を、見事に生業へとつなげていく方もいる。数多ある職業の中から一つを選び実現させていくには、高い志と強い意思がなければ、なかなかできることではない。

自身の考えを職業として結実させた代表例として語られることの多いイチロー選手は、高校時代から「甲子園に行く」ではなく「プロ野球選手になり、大リーガーになりたい」と願っていたという。職業を選択し、実現させていく強さには、ただただ驚かされるばかりだ。自分の高校生時代を振り返ると、なんとも肩身の狭い思いがする。

その一方で、「何故、あなたはこの仕事に就いたのですか?」という問いに対して「なんとなく…」と答える人は少なくないこともまた事実。私自身ももちろん「なんとなく…」としか言いようのない「職業選択」だった。前職では、結果として35年間、同じ分野での仕事を全うしたものの、その仕事とて、さかのぼれば「なんとなく入った会社で、なんとなく配属になった仕事が結果として長続きした」というだけに過ぎない。

介護という仕事はある種の「職人」としての仕事。採用に携わっていると「介護歴数十年」という方も多いことに気づく。また、介護業界歴の長い人の多くは「人の役に立ちたいから、介護の世界を選んだ」という志向も見えてくる。自分のような「なんとなく」職業を選択してきた者からすれば、明確なビジョンを見据えて職業を選ぶという方々は、単純に「すごいなぁ」と圧倒されてしまう。

職業選択という点では「なんとなく」であったものの、40年近く社会人をやってきて思うことは「置かれた場所で咲く」ということ。ここは意識をしてきた。もちろん「きれいに咲く」ことに酔いしれる場面もあったが、あっけなく「枯れてしまう」こともそれなりにあった…。

夢を持ち、自身の「あるべき姿」を職業として実現させていく。そういう志向が強い人は、徹底的に自分の可能性を追いかければいい。しかし、私のように「なんとなく」職業を選んだ人であっても「置かれた場所で咲く」ことを意識し闘い続けることができれば、次なる「夢」は見えてくる。そう信じながら生きていきたいと願っているが「咲いている」季節と「枯れてしまっている」季節との落差は、心身ともにダメージとなる。まだまだ強くならないとね。

 

伊藤 一孝(いとう かずたか)
ホームケア土屋 三重

 

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