地域格差が奪ったもの③ / 平田真利恵

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

1995年の夏、震災の爪痕が生々しく残る兵庫県で、ある障害当事者団体が「全国の身体障害を持つ高校生たちを集めての意見交換会」という大会を開催した。当時、鬱屈した日々を過ごしていた私にとって、この大会に参加した事で今後の人生が変わっていくことになる。

2泊3日の大会もあっという間に終わった。兵庫から無事に家に帰ってきた私であったが、大会で受けたカルチャーショックは大き過ぎた。それは「障害があって養護学校に通っている中でも大学進学を目指している、自分と同じ歳の子たちが全国には沢山いる」ということだった。

自分の生きてきた中で「高校を卒業して大学へ……」などという選択肢が全くなかったからだ。私だけではない、今まで見てきた養護学校の先輩たちもそのような選択肢を選んだ人は1人もいなかった。周囲からも、職業訓練校や大手の下請けの障害者用の工場に就職か、それがダメだったら施設入所しかないと小さい頃から言われてきていたからだ。

しかし、大学へ行こうなんて考えたこともなかった自分が馬鹿なだけなのか?努力してこなかっただけなのではないか?今からでも遅くはないのか?でも………
いろいろ考えすぎて頭が痛くなってきたとき、フッと昔の記憶がよみがえってきた。

それは小学生の頃、ある担任の先生は毎日ボードゲームや散歩や動物の話をして、まともな授業を私たちにしなかった。私は勉強を教えてもらえない事を母親に相談し、母親はすぐにその件について抗議した。結果、少しずつではあるが教科書を使う授業をするようになっていったが、ある日、その担任と他の教師が話しているのを偶然聞いてしまう。

「障害児なんて卒業後は施設に行くしかない。だったら、今だけでも楽しく過ごさせてやるのも優しさだ。それに下手に知恵をつけて結局、一生施設なんて可哀想だ」

子供ながらに、とても酷いことを言われている事は理解できたが、この考えがこの担任だけのものでない事は周囲の大人をみていればわかることだった。

翌年、教育熱心な担任に変わったおかげで、まともな授業を受けることができ、小学部を卒業するころには年相応の学力は身につけることができた。しかし、その後も担当する教師・クラス全体の進み具合に左右され、「大学へ行く」というレベルに達する事はなかった。

もちろん、自分の努力不足が原因ではあるが、周りの「障害児に学力なんて必要ない」という空気には到底勝てなかった。障害児は自分で動けない分、大人の顔色を伺うのが嫌でも上手くなる。

今更、「大学に行きたい!専門学校に行きたい!」といったところで本気で賛成してくれる大人はいるのだろうか?兵庫で出会った子のように養護学校の先生は協力してはくれないだろうし、そもそも本気で大学へ行きたいと自分は思ってはいない。でも、だからと言ってこのまま、この地域のイメージする障害者にはなりたくはない!少なくとも自分のことを蔑んで生きるなんてまっぴらごめんだ。自分のイメージする自分になるしかない!

高校3年のとき、それまでも面識のあった地元で地域生活をしている脳性麻痺の女性の方と話す機会があり、自宅へも何度か遊びに行かせてもらった。まだ介護時間など殆どなかった中で、その方はボランティアを集め生活していた。そして、数名の仲間と共に障害当事者主体の活動をされていた。

その生活や活動を見せてもらううちに、自分にはこういう生活があってるんじゃないかと思うようになってきた。兵庫のあの大会で出会った障害者のスタッフの方たちも、地域生活をしながらあのような活動をしていたんだと思い出す。そして、自分もいつかそういう活動ができる人間になりたいと考えるようになっていった。

そのためには、ますば親元を離れなければならない。私の親は子供のためなら何でもするような人たちだった。本気でやりたいといえば応援はしてくれるだろう。でも、まだ高校も卒業してないような小娘には親を説得する自信はなかった。

色々考えているとき、テレビのローカル番組で「個室で1人暮らしのように生活し、緊急時にはスタッフが駆けつけてくれる施設ができた」ということを知った。それを見た瞬間「これだ!」と思い、進路指導の先生も交えて施設入所の手続きを、養護学校を卒業するまでにしていった。

周囲からは「えっ、なんで訓練校とか行かないの?パソコンの勉強とかした方がいいよ」と本当に不思議がられた。当時の私くらいの障害程度であれば、迷わず訓練校への道を選ぶというのが地元の常識だったからだ。

だが、もうそんな常識がアテにならないことはわかっている。今まで、散々「子供から教育を受ける権利」を当然のように奪うことをしておいて今更何をいう。とにかく、親元を離れて出来るだけ福祉系の情報を集められる街に出たかったのだ。そのためには、あの施設と作業所に行かなければ始まらないのだ。そして、いつか本当の1人暮らし(地域生活)をして様々な活動をしていける人になりたいと思っていた。

それから5年後、その目標のひとつを叶えるため東京へ上京することになる。

 

◆プロフィール
平田真利恵(ひらた まりえ)
1978年8月生まれ

九州宮崎で生まれる。養護学校卒業後、印刷関係の作業所に通う傍ら、様々なボランティア活動に参加。2002年、知人の紹介で東京の障がい者団体を知り上京。自立プログラムを経て一人暮らしを始める。
2007年、女の子を出産。介護者と共に子育てをしている。現在、依頼を受けてイラストを描きながらボランティアで地域の小中学校での講演活動を行う。

 

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