土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
私は岡山市在住の視覚障害者で、障害者一家の主婦。
名は、ぷくぷく姫。
これについてはまたの機会に。
「新型コロナ」と耳にするようになってから、もう1年7ヶ月。
最初の頃は、目に見えないもので性質もはっきりしないというところに恐怖感が大きかったです。
豪華客船で大変な状況になり始めた頃は、全国に広がったり年を越えても終熄しないなんていう危機感はありませんでしたが、和歌山から感染者が出たニュースを聞いて身近に感じました。
というのも学生時代のクラスメイトや後輩と一泊女子会を3月の連休に白浜でする予定にしていたからです。
はっきりしない感染症に罹患しても感染させても大変なので旅行は延期しました。
コロナに影響を受けたという実感は、これが最初でした。
でも、日常に影響する訳じゃないし白浜がなくなる訳でも友人と永遠に会えない訳でもなく、ちょっとばかりのがまんだと言い聞かせるだけのものでした。
それから、岡山市から感染者が出たというニュースが聞こえてくるのに時間はかかりませんでした。
その頃から友人とのランチなども自粛し始め、哲学カフェなど対面での開催の催しが延期・中止となり、趣味や楽しみがお預け状態という色あせた生活に感じてきました。
それでも、自宅で楽しもうと前向きでいられたのは趣味のお菓子作りでストレス解消できたからです。
ただこれも粉ものの入手不可や、頻繁にお菓子作っても誰が食べるの?どこに保存する?ということで長続きしませんでした。
家族で消費するにも限度がありますし、コロナ禍の中、食べ物を配りまくるのも躊躇しちゃって。
離れている長男は年3回帰省するのですが、昨年はゴールデンウイークと盆は辛抱して年末なんとか帰省しました。
長男が居る吉備中央町からは当時感染者はまだ出ていませんでしたが、それだけに、人の移動が多い岡山駅を経由して帰省する不安と家族の誰かに万一の事があった場合、グループホームの同居者や職場に多大な迷惑をかけてしまうので辛抱でした。
これが昨年中で、家族みんなが共通して辛くコロナに影響受けたことでした。
私にはもう一つ辛い決断がありました。
実父が18年6月に亡くなり、昨年は三回忌法要でした。
二日前まで悩みに悩んで京都の実家へ行くことを断念しました。
法要は母と弟夫婦と実家近くの一組の伯母と従兄で執り行ってもらい、府県を跨ぐ親族はもちろん、府内でも市外の親族も遠慮してもらいました。
過去に親族の法要に参列できなかったことやしなかったことはいくらでもありましたが、それはある程度自分の意思で決断してきたこと。
実父の法要に参列しないなんて有り得ない。
でも、参列しない決断をしたのは、母には基礎疾患がありますし、弟夫婦はヤマト運輸で従兄は郵便局で働いているため、感染する可能性や感染させてしまった場合、それぞれ大影響すると判断したからです。
正直言うと、悩み抜いた決断ではありますが、後悔が全く無いかといえば嘘になります。
「・・・たら」「・・・れば」と思い始めたらきりがない。
「だったら」「すれば」は過去を見る時に当て嵌めても効果はあまり無い。
これは未来を想像し可能性を高める時に使うもの。
「自粛」「不要不急」。これって人によって判断に差があり、折り合いをつけるのも悩ましいと感じる昨年でした。
年明けしてからのコロナ影響第2段は次号に続く。
水島 恵(みずしま めぐみ)