「Stand-alone」 / 吉岡理恵(取締役 内部監査室長 委員会推進室長 顧問会事務長)

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

技術革新の波とも呼ばれる、コンドラチェフ循環という金融用語があります。産業革命から始まり、その後おおむね50年の周期で技術革新が起こっていることを表現した言葉です。

50年ということは、生きている間に1度は波のうねりを体感できるということになりますが、私自身、幼少期と比べると想像もつかない世界で今を生きているなと感じます。

そして先月には、Facebookがその社名を仮想空間を意味するメタバースが由来のメタに変更したと記事で読みました。

現代の技術革新をけん引してきた企業がその名称を、更なる進化を予感させる言葉に変えたことで、まだ波形の最大値は訪れていなかったのか、そしてそう遠くない未来では私もアバターとなってデジタル世界のどこかに登場しているのだろうかと、期待とともに進化に順応できるか不安をも感じました。

さて、現代の技術革新はIoT、DX、ICT、AIという表現でとりわけよく表現されています。

IoTはモノとインターネットの繋がりであり、DXはデジタル技術による生活やビジネス環境の変化、ICTは情報通信技術の活用、AIは人工知能と解説されています。

これらはオンライン化やデジタル化の主軸であり、コンピューターが繋げたネットワーク回線が縦横無尽に広がる時空で、何かのアップデートがいつまでも繰り広げられるイメージです。

そしてこのオンラインの対義語がオフラインです。

オフラインとはぷつっと回線が切れること、ログアウトすること、ダウンロードして端末に取り込むこと、そして生身の3Dを実感することなどですが、どこにも繋がらないという意味でStand-aloneもオンラインの対義語だということをこの度初めて知り、何かとても納得した感じがしました。

Stand-aloneは孤立、独立、自立が一般的な訳語かと思います。そして一昔前を振り返ると今と比べて何もかもが独立して孤立していたことが思い出されます。

かつては繋がりとは手で触れられる範囲であり、本名とは別の名前を作ることも名乗る必要もなく、依存の見え隠れする人間関係に閉ざされていました。

それが次第にオンライン化によって繋がりが開かれていったわけですが、まさにネットワークというごとく人と人、人と何かの繋がりを求め続けた先に今があるという感覚があります。

そしてこの進化の過程で得たものは無数にあり、さらに利便性は高まるだろうと思う一方で、私自身が掴めていなかったのがオンラインに毅然と対立する価値でした。それがこのStand-aloneというオンラインの対義語に表現されているように感じられました。

情報化時代も少々こなれた気がするものの、この2年でさらに生活は変化を強いられ、ダーウィンの進化論の通り変化に対応するものだけが生き残れるということを実感する日々でした。

そしてこの数年よく耳にした言葉が情報にむやみに左右されずに自立することや自己肯定感でした。

これは人にも当てはまりますし、社会や企業にも同じように当てはまるのだろうと思います。その一例として百貨店業界が挙げられます。

百貨店はファストファッションの流行やECの普及、そしてコロナ禍で苦しい状況が続いています。

先日読んだ記事で大丸松坂屋百貨店の沢田社長が、百貨店のあり方について必要と感じているのはビジネスモデルをどうするというHOWの議論ではなく、百貨店は何者であり、何を消費者に売っていくのかというWHATの議論が重要だ、と述べていました。これはオンラインに対するStand-aloneの真理に近いなと思いました。

大丸松坂屋を含むいくつかの百貨店ではD2Cのブランドの商品を集めたショールームを展開しているそうです。

商品は百貨店で見て確かめて注文はオンラインでという方法です。質を保証する百貨店が取り扱うからこそ客も出品者も安心して取引できるという点でオンラインとオフラインのバランスを取った柔軟な進化の仕方だなと思いました。

また大丸松坂屋においては、客と出品者を繋ぐアンバサダーというスタッフが商品の魅力を買い物客に伝えているそうです。

この新しい取組みは大丸松坂屋が百貨店としてこれからも維持存続していくためにHOWよりもWHATに比重をおいて議論を重ねたからこそ生み出されたものではと思いました。

現代の技術革新のうねりの中で感じたことは、ネットワーク社会では方法や手段のHOWについてはとにかくたくさん提示されるということです。

そしてわずらわしいことや気になる不便は驚くほどわずかな時間で解消されていき、あれもこれも簡単にできてしまう感覚に陥ります。

そんな中でこのネットワークが遮断されたときに受けるダメージがどのようなものかと想像したとき、物理的にも心理的にもダメージが大きければネットワーク社会に傾倒しすぎているということであり、ほとんどダメージを受けないということであれば現代の技術を実生活に十分活かせていないということになるのでしょう。

そしてどちらでもないという状態は、おそらくオンラインとオフラインの利点を上手に使っているということであり、双方の調整弁がStand-aloneすなわち自立した何かなのではと思います。

この自立した何かとは自分が何者であるかというWHATを自身の中で反芻する中で見つけていく、オンラインに対抗する価値なのだろうと思っています。

 

◆プロフィール
吉岡 理恵(よしおか りえ)
1981年東京都生まれ。
東京都立大学経済学部卒業。
20代は法律系事務所にてOL、30代は介護・障害福祉分野で現場の実務や組織マネジメントを学ぶ。女性管理職応援中。
CLO 最高法務責任者

 

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