私が介護の仕事を始めた理由 / 中川龍嗣(ホームケア土屋 長崎)

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

以前の私の介護へのイメージは、賃金は安く、忙しい、汚いと勝手な思い込みがあり、仕事を探す時でも介護には一切触れる事はなかった。
当時、私は通信制の美容専門学校に入り、美容室で見習いとして働いていた。
想像していたよりも仕事は忙しく、洗髪や雑務に追われる毎日を過ごしていた。

仕事を始めて半年が経つ頃、腰に小さな痛みが出てきた。腰はよく痛めていたので、またいつもの痛みが出てきたと楽観視していた。

痛みは徐々に増していき、整骨院で治療、痛み止めで何とか仕事はできていたが、半月後には歩くだけでも強烈な痛みが出るようになる。
痛み止めも効きが悪くなり、整形外科を受診しMRIを撮影、結果は椎間板ヘルニア。

まだ初期段階という事で、保存治療を行う事になるが、軽減する気配は無く、毎日の痛み止め内服、帰宅後は熱いお湯に浸かったり、テーブル上にうつ伏せになり腰を伸ばす事で痛みを軽減させていた。
次第に日常生活、仕事にも影響が出てきて、美容室の業務をこなせなくなり退職、美容学校とも話し合い休学、後に退学し目標を失ってしまう。

働きたいが、この状態ではできる仕事も無く悩んでいた時、グループホームを経営する知り合いから、事務でいいから、仕事をしないかと誘いがある。
その時は精神的に参っていたのと、介護に興味が全く無く、変に勝手なイメージを持っていたので1週間程悩み、先に進むきっかけになればと、介護の仕事について調べる事にした。

求人情報や仕事の内容など、他施設の情報や介護職のレビューも見たりする。不安はあったが、痛みが引くまでの期間限定で事務仕事ならできるかもと勤務する事に。

初日、緊張しながらホームに入ると、リビングで入居者とスタッフが雑談しながらテレビを見て笑っている。えっ、こんな感じなんだ。また勝手ながら暗い雰囲気のイメージを持っていた私はイメージとの違いに驚いた事を覚えている。

その日は事務の仕事を手伝いながら介助を見学、入居者ともテレビを観たり、雑談したりする。緊張しながらも充実した1日を終えた。1週間後には事務仕事以外もしたいと思うようになり、介助を手伝わせてもらう事に。食事介助や、排泄介助の補助、リビングでのリハビリ運動や散歩も一緒にさせてもらう。充実した毎日で、1ヶ月が経つ頃には仕事にも慣れ、私の中での介護へのイメージは180度変わっていた。

仕事に対して、ここまでやりがいがあると感じた事は無く、事務員ではなく介護員として仕事を続けていきたいと思うようになる。だが、資格もなし、腰も悪い、こんな私を介護職員として雇ってもらう事もできないので、腰を治し、介護資格を取る目標を立てる。

まずは腰を治したいが、保存治療では改善する様子も無く医師に相談。手術をする事に。
術後2日間は痛みでうなされ、左足に若干の痺れは残ったが順調に回復し、2週間で痛みもほぼ無くなり退院、3週間後には仕事に復帰、介助全般を一人でできるまでに回復。

次の目標である介護資格を取る事に。介護福祉士の資格取得も視野に入れ、実務者研修の資格を取る事にする。
通学もまた新鮮さがあり、楽しく勉強する事ができた。

全てのカリキュラムが終了し、晴れて介護職員として勤務する事に。介助全般、入浴、通院など経験させてもらい、同じグループホームに4年勤務、違う介護を経験したいと思うようになり、訪問介護に興味を持つ。求人で土屋を見つけて、非常勤として入社、施設支援とは違うやりがいを感じ常勤として採用してもらい現在に至る。

この先も、いろんな方に助けられた時の思いや、経験を大事にして、介護職員として、人生を歩んで行く。

 

中川龍嗣(なかがわ りゅうじ)
ホームケア土屋 長崎

 

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