言葉がくれた生きがいとたくさんの笑顔。 / 鶴﨑 彩乃

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

私は、色々なところで自分の障害や体験談を話すことをライフワークとしている。障害理解を進めていきたいから?ソーシャルインクルージョンを知ってほしいから?うん。確かにそれもある。しかし、それは私にとって後付けの理由かもしれない。

1番の理由は、「私自身がすごく楽しいから。」だ。私は、小学4年生ぐらいから障害によって他者と自分を比較しては、「なんでみんなと違うの?みんなみたいにできないの?」と、自分に対しての劣等感や周囲に対しての焦燥感・自己肯定感の低さみたいなものがあった。

それは、今考えれば障害受容過程の段階の1つと言い換えることもできたかもしれない。そんなモヤモヤした気持ちで心がいっぱいだった中学生の頃、私でもできる「パラスポーツ」があると知った。この世界なら、のめり込めるものがあるかもしれないと感じた私は、車いすテニス・ボッチャなどさまざまなパラスポーツを試した。

そして、車いすハンドボールに至っては、友達に誘われてチームまで作ってみたものの永遠、車いすをこぎ続けるしんどさと、こぐことだけに集中してシュートの1本も打てない、ただただ楽しくないゲーム展開にブチギレた中学生は、チームが1回戦で負けたのを良いことに「こんなん、2度とするかぁぁー。」とプンプン怒って体育館を出ていった。

めんどくさい奴ですよね…自覚しております。それでも、やっぱり自分の生きがいになるものを探していた。

時は少し経って大学卒業後、体調を崩して静養していたけれど、半ば意地になって一人暮らしだけは続けていた頃。小学校時代にお世話になった方から携帯に連絡があった。そして、お話をお伺いすると今は小学校教員をされていて、担当の学年に「福祉教育」の一環でゲストスピーカーをやってほしいという依頼を受けた。

何度か担当の先生と打ち合わせをして、恐る恐る当日を迎えた。話し始めると、最初は興味なさげに聞いていた子どもたちが目をキラキラさせて、前のめりに聞いてくれるようになった。その光景を見て、私は、魂が震えるような感覚に襲われて、ものすごい達成感と充足感に包まれた。講義が終わると担当の先生が泣いてくれていて、大げさかもしれないが、「今まで生きててよかった。」と本気で思った。

今年の夏は、兵庫教育大学附属中学校でゲストスピーカーをさせていただいた。「人権講演会」だったので、今回、声をかけてくださった先生に「私でいいんでしょうか?」と聞いてみると「堅苦しくなく、ゆったり子ども達に伝えてほしい。私は、鶴ちゃんが適任だと思うわ。」と言っていただいたので過度に緊張することなく準備や本番に臨むことができたと思う。

そして講演会の時間になると、実際に目の前で聞いてくれた学年の生徒の他に全学年が各クラスで聞いてくれていたようだ。コロナ禍で不自由なことが増えたが、オンラインが一般的になったのは、いいことだと思う。

さて、講演会の話に戻ろう。最初は緊張していた生徒達だったが、時間が経つにつれ、「おぉ〜。」と言ってくれたり、笑ってくれて、和やかな雰囲気になっていった。生徒が初めて笑ってくれたとき、私は「よしっ。」と思った。

話を聞いてくれる人が、完全に聞く体勢になってくれる瞬間がある。その瞬間がすごく気持ちいい。兵庫教育大学附属中学校の生徒はすごく素直で、クイズなども意欲的に答えてくれた。休憩の合間に質問してくれた生徒もいてめちゃくちゃ感動した。

私が、講義や講演会で話すときに心がけていることがある。それは、「笑って楽しく聞いてもらうこと。」である。楽しいことの方が記憶にとどめてもらいやすいし、心に響きやすいのではと私は思う。私の持論だけどね。

まずは、障害者や実際に生きづらさを抱えている人に会ってもらって、当事者から話を聞いてもらう。そうすることで、「ホンマにおるんやぁー。」と実感してもらう。その実感こそが、共生社会を作る小さな、しかし欠くことのできない大事な重要な一歩なのだ。

ありがとう。踏み出してくれて。

 

◆プロフィール
鶴﨑 彩乃(つるさき あやの)
1991年7月28日生まれ

脳性麻痺のため、幼少期から電動車いすで生活しており、神戸学院大学総合リハビリテーション学部社会リハビリテーション学科を卒業しています。社会福祉士・精神保健福祉士の資格を持っています。

大学を卒業してから現在まで、ひとり暮らしを継続中です。
趣味は、日本史(戦国~明治初期)・漫画・アニメ。結構なガチオタです。

 

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