地域で生きる/21年目の奮闘記㊵~私が受けた時代の養護学校教育 中学部編~ / 渡邉由美子

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

いくつかのブログを間に挟みましたが、今回はまた中学部の時代にどのような教育を受けたのか、またその経験があったからこその今について書いていきたいと思います。

小学部生活が割と守られた生活であったために同じ養護学校のただ中学に上がるだけのことなので、ついて行けるようにやってもらえるものと思いながら過ごしていました。何も小学部と変わらないと思い込んでいました。

ところがその甘い考えは一変してしまいました。中学部に入ると、あと6年で実社会にでなければならないということで、職業訓練が始まりました。学習内容は社会に出てから最低限困らない、読み書きや計算などに限った学習をしていました。世の中に出ていき通用するように、挨拶などの社会適応力を身に着けることを高等部を卒業するまで一貫して行っていました。

そして中学部のときに私の担任になった先生が「私は数学の教師であって、なぜあなたの食事ができない、移動ができない、排泄も未だに自分では何ひとつできない、車椅子から降りることも自分ではできない等の状態で教育をつける意味があるのか」と問うてきました。

その時初めて、介助・介護というものは万人が喜んで良いと言ってやってくれるものではなく、嫌だと言われることがあるということを知りました。カルチャーショックを受け、愕然と私は目の前が真っ暗になる感覚を覚えました。

そして、寝たきりの人間というのは様々なことを考えたり、夢があったりしてもそれを叶えるためのことはできない!と私の生きる道を全否定されたような気持ちになって、とても落ち込んでしまいました。そして、私は生きていても仕方がないと思うようになりました。

当然のことながら、両親や姉にはそれぞれの人生があるにも関わらず、私が存在することでその暮らしを阻んでしまうのだと認識しました。その先生との関わりの中で、中学生で多感な時期に重度障がいというものを嫌と言うほど知る事となりました。

実際の学校生活は、隣のクラスの先生を始め、いろんな人が手を貸してくださいました。でも、担任が私の介護をすることを否定した事実が私にはとても重くのしかかりました。その為、手摺に掴まって何とか自分の身体を移動させようと努力はするものの、腰が砕けてしまい、床に寝そべって落っこちてしまうのです。それがとても悔しくて泣きながら中学校生活を過ごしていました。

そんな中、他の先生から勉強をもっと頑張って知識を身につければ役に立つ時が必ず来ると言われても就職は難しく、福祉施設に通う努力をしなくては、このまま学校を卒業しても困るから、少しずつでも自分でできることを増やすように言われました。

しかし無駄だと私が思い、暗い中学校生活を送り、どうしたら家族に迷惑を掛けずに済むのだろうということを考えるようになりました。そして実際、私にとっては職業訓練をいくらしたところでお金がもらえるような仕事に就くことは、手足の障がいの状況を含めてとても難しい状態でした。それゆえに無気力な生活をしていました。

また、周りの友達は優秀に見えてしまって、私は最低の人間と落ち込んでしまいました。中学からはそれまで普通の中学にいて就職ができないのであればということで、途中から養護学校に入ってくる軽度な人たちにいじめられるようなこともありました。重度な障がいに生まれた自分を憂いていました。

それと同時に、障がい者同士の集団生活というものの困難さを痛感するようになっていきました。とても重度な障がいを持っていると虐げられてしまったり、職員不足で介護の手を借りられなかったりと苦労が多いということを知ったのです。障がい者ばかりの集団生活、入所施設に入っての暮らしだけはしたくないと、その頃から思うようになっていました。

でも何をしたら個別に私の出来ないことに対してダイレクトに手を貸してもらいながら、自分の意志で生活できるのか?ということが全く分からなかったので、そんな結論の出ないことを悩みながら中学部3年間は棒に振ったような気がします。

でもそこで介護は万人がしてくれるものではないと学んだことによって、今の生活に結びついていっているのです。そう考えれば貴重な体験であり、中学部の担任教師が介護を拒否したことにより、反面教師でハングリー精神が養われ今の生活に繋がっていく基礎ができたという意味で感謝をしているくらいです。

介護を早い時期に拒否された経験は私にとってプラスの経験となりました。だからこそ、きちんと介護をしてくださいということをベースにした人間関係を作り、今となっては介護事業所と契約をして、その不自由があってできないことを行う方法を身に着けました。それが私の人生の幸福と認識出来ました。

高等部の体験があったからこそ、今生きづらいことに対してめげずに闘い続けることができる障がい者運動、介護補償運動に自然と誘われていきました。ですので、次回は自立生活を目指すきっかけとなったエピソードを交えて、高等部のことについて書いていこうと思います。

 

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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