地域で生きる/21年目の地域生活奮闘記㊷~私が受けた時代の養護学校教育 高等部後編~渡邉由美子

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

前編では、養護学校の高等部の進路を考える時期や友達のことについてお話しましたが、後編は実際に私が一年間経験した寮生活について具体的にお話ししていきたいと思います。

寮に入っている他の人たちは家が遠方であったりする理由があるにせよ、曲がりなりにも自分のことを行うことができる人がほとんどで、自分で行える能力を高めて将来はヘルパーなどの力を借りずに本当の意味で1人で暮らすことを目指していたり、寮の中で恋愛関係に落ちていき、卒業してお互いに収入が出てきたら結婚しよう、と約束してそれから10年も経たないうちに本当に結婚して子供まで授かり、障がいはあるけれども普通の家庭になっていく人たちばかりでした。

そんな中で、私一人、常に寮母が手が空いて手伝いに来てくれてやっと車椅子から降りることができるとか、日常生活全介助という状況であったりして、寮の環境はとても暮らせるように建物も人的配置もなっていませんでした。

八畳くらいの畳の部屋に布団を上げ下ろしして寝泊りをし、ものをしまうクローゼットは立ち上がらないと使えないところに設置されている部屋でした。

ちょうど多感な時期であり、男性寮と女性寮に分かれてはいても、異性の交流を求めようとしてくる少し知的にも障がいのある生徒から逃げられない私は性的ないたずらまでされたり、ものがやたらと紛失してそれがなぜか男性寮から出てきたりなどの不可解なことが沢山ありました。

いわゆるそこで求められていた自立は、今のように人の手を借りて自分の意志を実現しながら暮らすものではなく、自分で全てを時間がかかっても良いのでやり遂げる、という根性論的な自立が求められて、それをなんとかしようと考え、トイレの手すりにしがみついて立ち上がろうとするものの立ち上がれず、トイレの床に大の字になって寝てしまう状況となりながら、悔しくて悔しくて大泣きした日々もありました。

この生活の中で私はとにかく養護学校を卒業したら一旦100%親兄弟の庇護のもとに戻り、それからこの身体状況で何がしたいのか、無理をせず何ができるのか、考えようと思っていました。

身体的障害の重度さをいくら嘆いていても、それはどうすることもできないことと割り切れるまでにはこの時から20年の歳月を要しました。

一つだけ高校3年生のときに良かったことは、高校生活あと1年という所で担任の先生が変わったことでした。

最初は私に男性の担任教師をつけられて、どうやってあと1年学校生活をしろというのかと中学部の経験から、また介護拒否をされる1年になると思い、最悪な気持ちになりましたが、その男性の先生はとてもよく私の頭では分かっていても自分ではできないというジレンマを理解してくれていて、それだけいろんなことを考えることができて、人にお願いする口があるのだから、逞しくこの社会を荒波にもまれながら生きていくことができると認めてくれたただ一人の人です。

どんなにいじめのようなことに遭っていてもくじけないあなたの根性は素晴らしい、と認めてもらうことができ、救われる思いの高等部3年生活となり、その先生と離れたくないので、どうやったら養護学校を落第することができるかと真剣に相談したものでした。

その担任の先生とはいまだに残暑見舞いや年賀状のやりとりが続いていて、今の地域生活を精神的な意味で支えて下さっている方の一人です。本当に恩師だと思っています。

そんな重度障がい者として悔しい思いをした青春時代があったからこそ、親や兄弟に頼らず、自分の物理的介護問題を解決して施設や病院ではない普通の家での普通の暮らしを求める今の基礎がその当時築かれたと思えば、この今考えてみても悔しさしか出てこない中学・高校生活も人生を生きる糧になっていると思います。

何かを素早くたくさんできることが美徳とされる重度障がい者には不可能な生産性主義や、自分の身の回りのことは自分でできなければ自立は不可能だとされる能力主義的な自立への否定、人の手を借りて一生自分のお尻を自分で拭くことができなくても、そのお尻を拭いてくれる人を日々探して作り上げて生きる公的介護制度に則った自己決定を基礎とする自立の概念を作り出さない限り、私は今のような生活はできていなかったと思います。

卒業が近づいていくなかで、将来のことを何も考えていない、だとか8050問題に突入してから考えても遅いなどと私を責め立てた教師陣たちに8050までにはちゃんと違った自立の概念を構築し、生きていることを知らしめていきたいと思う気持ちがとても強いので、これからもこれしかない、と思えるこの生活を貫き、継続していきたいと思います。

日々に介護に来て下さる介護者があってこそ私は自分の意志で生きることができ、水を一杯飲むことができているので、これからもこの自立の理念が自己決定の難しい人たちまで浸透し、望めば誰でも他者の手を借りた自立が実現できる社会を作り続けていこうと思います。

 

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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