結婚制度は誰も幸せにしない①〜女たち編〜

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

10代のときにはヘテロセクシズムと結婚について徹底的に悩んでいた。この、人とは違う体で生きることは一生男性から愛されないということだと決めつけていたのだ。しかし障害者運動に出会って、その私を愛してくれないだろう男性は、障がいのない男性であるということに気付かされた。

つまり私の眼差しは、「私を愛する男性は、障害のない男性でなければならない」と思い、決めていたのである。親元を出てからは、障がいをもつ男性たちからは次々にアプローチされた。特にアメリカに半年間行ったときには、車椅子の、英語を第二外国語とする金髪の男性と、ほんの一瞬ではあったが激しい恋に落ちもした。

だから、思い込まされていたのは、日本社会でのヘテロセクシズムと障害者差別。その強力な2つに巻き込まれていたのであって、車椅子の白人であれば恋もするのだと、そこで私自身の内なる人種差別についても気付かされることにもなった。

そのときには日本に私を愛してやまない脳性麻痺の男性と4年以上の同棲をしていた。29歳でアメリカから帰ってからは、たった1回だけの人生だから思い切り生きてみようと心底思うようになった。

同棲していた彼は無類に優しい人ではあったが、暮らしの様々は、完全に私に任せて、それで良いと思っているようなところがあった。つまり、料理や家事については、私自身、私が担っていると感じ続けた。それらの負担からも出たいと思ったし、いわゆる専業主婦的普通の結婚への憧れもあった。

そこで、アメリカから帰って、半年後には障がいをもたない男性にアプローチして結婚にトライしてみたのだった。上記の脳性麻痺の男性との同棲生活をかなぐり捨てて、バイクの走り屋であった彼との‘結婚’を成就しようと行動した。

この結婚への大冒険は凄まじい障害者差別と女性差別によって1年ちょっとで幕を閉じた。それもひき逃げという惨劇で、全身6箇所骨折の結果を招いての終息だった。母はひき逃げという報を聞いたときには、私が絶対に死ぬと思ったという。もともと骨折しやすい身体をもつ私だから、そう思ってもまるで無理はない。

ところが私は家族に愛されるということを当然として育ったから、母の嘆きも気にならず、母と妹から丁寧な看病を受けてたくましく回復した。その間中、たくさんのフェミニズムの本を読んだのだ。特に、ヘテロセクシズムの中で語られる「女性の幸せは結婚の中にある」というまやかしをきちんと解明している本の数々を貪るように読んだ。

駒尺喜美や富永妙子そして、上野千鶴子や田嶋陽子、田中美津などなど、女性差別に反を翻し、解明しようとする語りの数々…。こんなにもあったのかと驚きながら読んだ。しかし、その中には障がいをもった女性としての著作はなかったから、私が結婚の差別性に気づけなかったことで、自分自身を責める気持ちには全くならなかった。

この社会は、女性差別を常識とし、男性中心主義社会を粛々と継続させてきた。読みながら私は、女性差別は人口的に人類の半分なわけだから、女性たちが立ち上がれば、すぐにも変えられるのではないかと希望さえ抱いた。

障害者差別は、私たちがマイノリティであることを理由の一つとして、施設や親元に隔離、疎外してくる。それに対して、女性差別は巧妙だ。人口の半分が女性であるから、具体的な隔離はありえない。だから、結婚が女性にとっての最大の幸せであるという家父長制に則ってマインドコントロールし、自らを家庭に隔離するよう強いてくる。女性は結婚から次のことを学ぶ。結婚は、男性中心の優生思想に満ち満ちた社会を肯定し、そのことに疑義を唱えず、従順に生きることが幸せなのだということを。

その中で、名前は重要なファクターだ。私も脳性麻痺の彼と暮らしていたときには、名前を彼の方に変えたいとは1ミリも思えなかった。しかし、結婚をしようと思った時に最初に考えたことは、戸籍名を彼の名前とすることだった。それが結婚をするということであり、いわゆる女性の幸せだと思っていたのだから驚く。民法上、結婚における性は、当事者の話し合いで選択できるということになっている。にもかかわらず私は30歳になっていたその時にもそのことをきちんと知っていなかった。
しかし、知っている人でさえそれを実行する人々はまだまだ少ない。障害者差別の闘士でさえあっても、女性差別については、全く見えず、一変の認識もなかった。

つまり、差別されることで、幸せになるのだと思い込まされていたのだ。それは「施設に行くことがあなたの幸せなのだ」と説得されて、そうせざるを得ない障がいをもつ人にも少し似ている。ただ結婚の場合、自ら施設に入りたいと願わざるを得ない圧倒的な差別に取り巻かれている。その悲惨な現実は、離婚という惨劇、私の言葉では差別への覚醒というチャンスがくるまで、なかなか気づかれることはない。

私は、優生思想に抗った身体を持っていたので、結婚によって幸せになるということが、どんなに馬鹿げた幻想であることかが早めに気づけてよかったとさえ思っている。私は結婚制度に入り込みたいと頑張ることで身体そのものが消されるかもしれないという究極の状況に追い込まれた。しかしほとんどの人たちは結婚制度の中で、心が静かに壊れていく。夫婦別姓も実現しないこの国の中に、結婚による幸せはないと、女性たちに強く訴えたい。

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

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