歌は世につれ④ / 浅野史郎

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

歌謡曲でも、童謡でも、歌詞がよくないと歌う気がしない。もちろん聴きたいとも思わない。歌詞は大事である。心に残るいくつかの歌詞がある。思いつくまま、書いてみたい。

♪志を果たして、いつの日にか帰らん
「ふるさと」はいつどこで聴いても心に沁みる。東日本大震災の被災地を歌手が訪れると、必ず、この歌を歌う。聴く人たちも、一緒になって、涙を流しながら歌う。原発事故で、ふるさとを離れざるを得なくなった人たちは、どういう思いで歌うのだろう。私は三番の「志を果たして」のところで、いつも、グッときてしまう。

♪京都大原三千院
永六輔作詞「女ひとり」の歌い出し。このフレーズだけで、情景と雰囲気が広がっていく。「恋に疲れた女がひとり」で、その情景は、完璧なものになる。その後の歌詞も、一幅の絵を見るようである。短いフレーズだけで、心情、風景、雰囲気を伝える永さんの歌はまだある。

「♪上を向いて歩こう」、「♪遠くへ行きたい」、「♪見上げてご覧夜の星を」、「♪帰ろかな、帰るのよそうかな」、「♪夢で逢いましょう」。うんと短いところでは、「♪黒い花びら」。黒い花びらなんて、この世にあるものか。それでも、「静かに散った」と続けば、恋をなくした男の心情が、ぎらりと光る。永さん、やっぱりすごいな。

♪いのち短し恋せよ少女(おとめ)
「朱き唇褪せぬ間に、熱き血潮の冷えぬ間に」と続くのを聴くと、現代語の歌詞とは違った雰囲気にはまってしまう。「ゴンドラの唄」に出てくる「少女」は、決してAKB48のようなアイドル系の少女の姿ではない。歌人として名高い吉井勇の詩であるから、格調が高い。

同じように、歌人与謝野鉄幹の作詞の「人を恋いうる歌」も、格調が高い。「♪妻をめとらば才たけて」と始まると、人生いかに生きるべきか、しっかり考えろと言われているような気持ちになる。

♪悲しくてやりきれない
「帰ってきたヨッパライ」でデビューしたフォーク・クルセダーズが、サトウハチローに頼み込んで作詞してもらったのが、この歌である。「♪悲しくて、悲しくてとてもやりきれない」というように、気持ちをストレートに言葉にする技法は、日本の歌謡曲には、本来はなじまない。しかし、この歌詞は決して駄作ではない。サトウハチローだからこその名人芸である。加藤修作曲のメロディーに乗って、この歌を口ずさむと、「悲しくて、悲しくて」のところで、ほんとに悲しい気持ちになるから、やはりすごい。

♪あなたが噛んだ小指が痛い
恋を知り初めた女心の微妙なところを描く有馬三恵子の詞を伊東ゆかりが、いやらしくなく、初々しく歌う「小指の想い出」。「昨日の夜の小指が痛い」といえば、誰でも、特定の情景を思い浮かべてしまうが、むしろほほえましくさえ思える初心さが先に立つ。
「♪夜明けのコーヒー二人で飲もうとあの人が言った」という「恋の季節」(岩谷時子作詞)も、さらりと歌わせているが、この歌詞も結構意味深である。

「長崎は今日も雨だった」
これが長崎でなく、沖縄だったら、内山田洋とクールファイブの名曲も、ヒットしたかどうか。東京、新潟、仙台でも、しっくりこない。地名というのは、結構意味があるということの例である。井沢八郎の「ああ上野駅」が「ああ東京駅」では字余りというだけでなく、雰囲気が全然違ってくる。

「津軽海峡冬景色」だから石川さゆりの哀切な歌声にしびれるのであって、これが「間宮海峡冬景色」でも、「関門海峡冬景色」でも絵にならない。「襟裳の春は何もない春です」と森進一が歌うからいいので、「津軽の春」でも「根室の春」でも詩にはならない。

♪木町通小学校明治六年始まって
私が通った仙台市立木町通小学校の校歌の歌い出しである。変な校歌だなと思った人へ。荒城の月を作詞した土井晩翠先生の作であるのだぞといばりたくもなる。この校歌のおかげで木町通小学校の卒業生は、全員、学校の創立年を知っている。ところで、あなたは、自分の通った小学校の創立年がわかりますか。

 

◆プロフィール
浅野 史郎(あさの しろう)
1948年仙台市出身 横浜市にて配偶者と二人暮らし

「明日の障害福祉のために」
大学卒業後厚生省入省、39歳で障害福祉課長に就任。1年9ヶ月の課長時代に多くの志ある実践者と出会い、「障害福祉はライフワーク」と思い定める。役人をやめて故郷宮城県の知事となり3期12年務める。知事退任後、慶応大学SFC、神奈川大学で教授業を15年。

2021年、土屋シンクタンクの特別研究員および土屋ケアカレッジの特別講師に就任。近著のタイトルは「明日の障害福祉のために〜優生思想を乗り越えて」。

 

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