土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
にがて【苦手】
好きなもの、やりたいことだけを次から次へと叶えると苦手なものが残る。
苦手だったり、自分らしくないからやめておこうと脇に置いておいたもの。自分には絶対無理だ!と諦めていたものが残る。
でもいつか、その残りものが輝くときがくる。
苦手なものを克服することが楽しい!
自分らしくないことをして自分の殻を破ろう!
無理だと決めつけているのは自分だ。
諦めず挑戦してみよう!
そんな風に、これまで避けてきたものを味わいたくなるものだ。
その味わいの乙なこと。
「できない」からいい。
「できない」からこそ楽しい。
苦手なものの苦味が分かるようになると人生に奥行きが出るはず。
とりあえず、挑戦してみよう!
◇
あめ【雨】
晴れの日もあれば雨の日もある。
子どものころは雨の日を憂鬱には感じなかった。
雨の流れを追いかけ、水のたまる砂利道を湖の底の都市に見立ててずっと眺めていた。
いつから雨の日が憂鬱になるのだろう。
雨の日を楽しむことができれば、もっと人生は豊かになるはずだ。
雨の日にしかできないこともある。
ひなびた温泉で湯治するのもよし。
雨音をBGMに読書に明け暮れてもよし。
京都の古刹から眺めた日本庭園に降る雨は素敵だった。
森に降りしきる雨をコテージから眺めるのもよかった。
車のエンジンを止めて雨の中で佇むのも心が泡粒立つ。
フロントガラスを滑らかに落ちていくさざ波が切ない気分にさせてくれるのである。
はじまりはいつも雨、なんても言う。
雨を厭わず、カッパを着てまた外に飛び出してみるか。
童のように。
◇
じかん【時間】
『たったひとりしかいない自分の、たった一度しかない人生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないではないか』
山本有三の言葉にある通り、自分はたったひとりしかいないし、人生は一度しかない。
与えられた時間は短く、自分だけのものだ。
だからこそ、その自分に与えられた時間を他者のために使うということは価値のあることだと言える。
もし自分が関与したことによって、誰かの人生が幸せになったとしたらそれは価値ある時間の使い方をしたことになるだろう。
承認欲求ではなくその意識を持ち、時間が使えると自分の人生も幸せになる。
誰かが自分のために時間を使おうとしてくれている(使ってきてくれた)ことを知るからである。
◇
そうだん【相談】
ひとりで幸せにたどり着けない状況にあるときは必ず誰かに相談すること。
気持ちを吐き出してすっきりするというレベルを超えているときは、相談する相手は専門職を選ぶこと。
とにかく外側に開いて、助けを求めてほしい。
多くの場合、状況は改善されるだろう。
諦めてはいけない。
ひとりだけで抱えてはいけない。
◇
ばんどえんそう【バンド演奏】
「わたしの」のメンバーは、私にバンド演奏することの喜びを教えてくれた。
それぞれの楽器の特性や演者の個性がありながらも、ひとつの音楽をつくるために協調する。
足し算したり引き算したり。
私には楽器の腕もセンスもないのだけれど、みんながひとつの音楽に向かって意見を交換し、試し、実践を繰り返していくさまを見ているだけで楽しい。
バンド演奏は、そのプロセスの中に本質的な幸せがある。面倒くさく、遠回りな作業かもしれないがそこが楽しい。
もう一度バンド演奏が堂々とできる日々がくることを祈っている。
と、言いたいところだが、もしかしたら祈っているだけでは足りないのかもしれない。この状況で何ができるのか。新たなバンドの形を模索しなければならないのだろうか。
今、このときを大事にしなければ。
時間がない。
◇
しき【四季】
季節を感じることは幸せである。
四季折々の最適な楽しみ方を知っている人は素敵だ。
自然とともに生きているということなのかもしれない。
特に折々の「風」は気持ちがいい。
「風」が好きだ。
冬になると南アルプスから吹き下ろして来ていた通称「甲州からっ風」を向かい風として受けながら、自転車を立ちこぎして家に帰った高校時代も懐かしい。
厳しい「風」だった。
日が沈んだあと、南アルプスの山の稜線が薄い線となって金色に輝くのである。
厳しいけれど美しいその景色はいつまでも心に刻まれている。
キャンプというと夏を思い浮かべるかもしれない。
しかし、実際は夏のキャンプは最悪だ。暑いし、虫がいるし、食べ物は保たない。
キャンプに向いている季節は冬だと、海千山千のキャンパーたちは言う。
ティピータイプのテントで煙突を立ててストーブを燃やし、寝袋にくるまって暖かさを感じるキャンプが最高だと言う。雪の中のキャンプが「幸せ」なのだそうだ。
私はそこまで玄人ではないので、やはり春や秋のキャンプが好きだ。
もっとも、私は車で寝泊まりすることをキャンプと呼んでいるので、夏は車中で寝ることなんてそもそもできない。地獄である。
涼しい夜の風を感じながら車で眠るのが「幸せ」だ。
キャンプといえば夏、はちょっと違っている。
他にもたくさんイメージと違っていることはある。
例えば、ざる蕎麦といえば夏。
これも、誤り。
ざる蕎麦は冬の冷たい清冽な水でしめた方が美味い。
本当の美味しさを味わいたいなら冬だ。
それから、生ビールも夏のイメージがあるが、冬に飲んだ方が美味い。
暖房の効いた店で、コートを脱いで飲むキンキンに冷えた生ビールは格別だ。
アイスも冬の方が扱いやすいし、美味しい。
それから花火。
夏よりも冬の乾いた空気の夜空に打ち上げられる花火の方が光と音が鋭く強烈に感じる。冬の方が美しい。しかしながら、これは個人の好みによるのかもしれない。
冬のイメージがありながら本当は夏が適しているものはあるだろうか?
寄せ鍋。
暑い日の寄せ鍋は乙かもしれない(笑)。
スキー。
そもそも雪がなくてできない。
凧揚げ。
夏は風がなくてできないだろう。
あまり、冬のイメージがありながら実は夏の方がいいものが思いつかない。
思いついたら教えてください。
夏にしかできないものは海やプールなどの水遊びだろう。夏を逃してはならない。
図書館も夏がいいかもしれない。
季節では「清明」が好きだ。
「春分」から「小暑」ぐらいがいい。
それ以降で出かけるなら「白露」からがいいだろう。
「二百十日」を過ぎた頃がいい。
季節を逃さず、四季折々のその時を最高に味わえることをしよう。
夏は暑いからいいし、冬は寒いからいい。
刹那を、生きたい。
次巻につづく