赤丸と浣腸の話。 / 鶴﨑彩乃

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

風が秋らしくなって、虫がよく出るうちの近所では鈴虫が鳴き始めた。もう季節が変わったなぁー。としみじみしたけれど、そんな情緒のある「便り」の前に季節が変わったことは気づいていた。その最速の秋の「便り」が、自分の身体から届いたからである。腰痛というカタチで。

なんだろ。もうね。うんざりするよね。栗ごはんとか、秋刀魚や梨とかで秋の訪れを感じたかったわけですよっ!それなのに、「自分の腰痛の強さで秋を実感する私。」なんだこの絶望感。しかも、この季節の変わり目にだけ、プラスされる放散痛。

この放散痛というのは私の場合、お尻と腰の間に常に違和感があり、ずーっとジンジン・しゅわしゅわしている感じ。そして寝転んだらそれが倍増するため、ここ2週間ほど寝不足である。本当に勘弁してほしいが、「はーい。俺らのことも労わってね。」という身体からのサインだと思うことで、かろうじて正気を保っていると思う。

身体からのサインに耳を傾けていたのは、いつからだろうかと考え、記憶の引き出しを開けまくっていたらたどり着いた1番古い記憶は4歳。当時の私は、リハビリを目的に入院生活を送っていた。その施設の決まりかどうかは分からないが、トイレのドアの前に名簿があった。その名簿は、子ども達の排便管理に使用されていたもので、排便がなかった日に丸がつく。そして、それが3日続くと赤丸になる。そうすると、その日に必ず排便をしなくてはいけない。

子ども達、それぞれの性格によって便秘症との対決方法は違う。トイレから疲れ果てて出てくる子。一方で看護師さんにお願いし、浣腸を打ってもらい、手早く対決を終わらせる子。私はもちろん後者である。私はそのとき、「私の身体は人より多く配慮が必要なのかなぁ」と、すごくぼんやりトイレに座りながら考えていた。

それから、小学校・中学校・高校と歳を重ねて、「女の子」から「女性」の身体へ変わっていったときに少し痛みや違和感を感じていたものの、ずっと実家に住んでおり私の体を私より知っている母がいたこと。その上、その頃の私には、「若さ」という失ってから気づく万能な守護神がいたのだ。しかし、体力面での若さという私の守護神は他の人よりも早く去っていったと思う。それには、一人暮らしという環境の変化が大きな要因の1つだと考える。

一人暮らしをし始めて、1ヶ月ほど経ったある日。自分のおなかを見て驚いた。臨月の妊婦さんのように膨れて固くなっていたのだ。アテンダントさんにも驚かれ、病院に行くことになり、何かの腫瘍かと戦々恐々としていたが、原因は「便」だった。病院の先生が「今の体重の6kgは便だよ。骨盤に便が入っていたら入院だったよ。身体大事にしてね。」と言われたので、背筋が寒くなった。それをきっかけに療養生活に入った。

その頃から私は、生理とか特別なときを除いて、下剤や浣腸を用いなければ排便できない身体になった。しかし、下剤はあんまり使わないようにしている。その理由は簡単で、めちゃくちゃお腹が痛くなるのと、アテンダントさんがいないときに排便してしまうと、大惨事が起きてしまうから。浣腸だと必ず人がいるときに行う。小さいけれど私にとっては大きな違いである。

一人暮らしを始めてすぐは、アテンダントさんに排便作業(?)を手伝ってもらうことに抵抗があった。人に見られるという嫌悪感ではなく、汚いものを触らせてしまって申し訳ないなぁー。という思いがあった。しかし、1人のアテンダントさんが「うわっ。大きいの出てよかったね。」と満面の笑みで言われて、そんなに気を使わなくても良いのかなと思った。

アテンダントさんの中にもクライアントさんの排泄場面苦手だなと思っている人もいるのではないだろうか。そりゃあいい気はしないよね…。しかし、あなたのおかげで健康や清潔が保たれている人が絶対にいる。だからいつもありがとう。たまには、自分で自分のこと、「いい子いい子。」してくださいね。

 

◆プロフィール
鶴﨑 彩乃(つるさき あやの)
1991年7月28日生まれ

脳性麻痺のため、幼少期から電動車いすで生活しており、神戸学院大学総合リハビリテーション学部社会リハビリテーション学科を卒業しています。社会福祉士・精神保健福祉士の資格を持っています。

大学を卒業してから現在まで、ひとり暮らしを継続中です。
趣味は、日本史(戦国~明治初期)・漫画・アニメ。結構なガチオタです。

 

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