この体が平和を作る。争えない体になるということPart2 / 安積遊歩

先回、養護施設で育って17歳で車椅子ユーザーとなった友人のことを書いた。前回は彼の10代までの日々のことだったが、今回はその後のことと、同じ施設ではあっても養護施設と障害を持つ子の施設との違い等についてもちょっと書いてみる。

彼は17歳の時、ボクシングのジムに通いながらも、障害を持つ子どもたちのボランティア等もしていた。経済的な後ろ盾が全くない中、必死に働きながら、なおかつ子どもたちのボランティアをしていたのだった。彼らと触れ合う中で、障害を持つ体がどんな風に動くのかをよくよく見ていたに違いない。ある時、家に帰って腕がどんどん動かなくなっていくのを感じた。誰か近所の人にでも助けを呼ばなければと思いながら、その時間もなくなりそうな不安の中、両肘で受話器を抱え、なんとか自分で救急車を呼んだ。救急病院から移され、入院しなければならないとなっても、未成年の彼は親がいないという事でさらに窮地に立たされた。

子どもは社会の宝という言葉を聞いたことがあるだろうか。私は多分小学生の低学年の頃その言葉を聞き、なんとはなしのはれがましさを感じたことを覚えている。子どもは、その子どもを産んだ親の宝というだけでなく、社会全体の宝であるというのだ。その認識を作り出すのは教育であり、政治であり、社会なのだ。その認識が機能していないと、人々の意識は親だけに責任を負い被せていく。その結果、とんでもなく悲惨な目に遭うのは子どもだ。

彼が入院した時も親は、倒れた彼の元に翌日にしか行けないと言い、最終的にも彼の面倒はみれないと言ってきたという。その後、彼は病院から施設に回された。そして、そこでも彼の自由を求める心は管理され監視され、服従する事を拒否した。彼は養護施設の中でも、様々なルールや大人たちからの圧力を掻い潜って生き延びてきたので、障害を持つ人の施設の中で車椅子を使っていてさえも、自由を求める心は屈することはなかったのだ。夜遅くに外に出られる扉を開けて勝手に飛び出しては、夜中や朝に帰ってくることはしょっちゅうだったという。彼は笑いながら「僕のケースワーカーはしょっちゅう始末書を書いていたらしい」と教えてくれた。

障害を持つ人の施設は、体の機能が自由でないために、入所者が脱走するだろうということはほとんど考えられていない。彼のような脱走常習犯が現れるとは、職員はじめ、同じ入所者という立場の人でも想像もできないことだったろう。だからその間隙を縫って、彼は車椅子を駆使し、行きたいところにはどこにでも行ったのだろう。

私が子どもの時に行った施設は、歩ける子でも、庭に出ることにさえ許可がいった。だから皆、それに従順で、庭で遊んでいる子はほとんどいなかった。私はその時、車椅子を使うことも禁じられていたし、年齢も小さかったから、夜中に脱走して遊びまわるということは考えもつかなかった。だが、彼は養護施設での体験があったから、車椅子でさえも動き回れる限り動き回ったのだろう。

18歳になったとき、ネットで知り合った人が彼を雇用したいと言ってきた。しかし、それには運転免許が必須だということで、多分彼は必死の思いでそれを取得。ところが、取得してすぐにその雇用すると言った人が急死した。その後彼の受けさせられた試験はあまりに奇妙なもので、彼がそこで働くことの婉曲な拒絶であったようだ。結局彼はそこでの職は得ることはできず、また別の人の声かけで通算1年近く、何度かに分けてアメリカに渡った。アメリカでは、お金を持ち、人を思い通りにコントロールできると思い込んでいる大人たちとの暮らしだった。理不尽な大人たちは彼に、夜中起きて、1本の電話もミスしてはならないと言ってきた。全く別世界でワクワクすることはあったが、言葉もままならない中でコントロールされ続けるのは中々に辛かったという。

20歳になって、彼は初めて様々な書類を書いたり、ケースワーカー等に頭を下げ続けなくともよくなったことにほっとした。養護施設や障害を持つ人の施設で、必死に彼を思ってくれる人に巡り合うことなく、書類やケースワーカーたちの思惑の中で生き延びた日々。今彼は一人暮らしをしながら、障害を持つ仲間たちの間で生きようと決意している。

ところで私は、もう1人ボクサーでチャンピオンでもあった人が重い頚椎損傷になったドキュメンタリーを見たことがある。彼はマオリの人で、様々な抑圧が強い中にいた。ボクサーという職業は、養護施設で育った彼や、人種差別の中にいた彼らが、幸せな人生を求めたときに、男性としては学歴もいらずの、具体的な方策とも見えたのかもしれない。

しかし今彼らは、変化した自分の体を使って介助という仕事に関わっている。彼らの身体、そしてそのそれぞれの人生は暴力的な戦いのためにあるのではなく、どのように助け合うことができるかを、その仕事への関わりを通して考えさせ続けてくれている。その変化した体は1人ずつで戦うのではなく多くの人を巻き込んで分かち合うことの大切さを示してくれている。究極を言えば、介助という仕事は争えない体に関わる事で、様々な差別を越えるための平和を作り出す仕事なのだ。

 

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

関連記事

TOP