赤ちゃんの人権 / 安積遊歩

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

赤ん坊は最重度障害者と同じような体で生まれるから、全ての自己主張を聞かれることは無い。つまり、様々な身体に対するニーズを大人の勝手で管理され続ける。管理される中で冒険心や主体性がどんどん剥奪され、大人社会に完全に順応するいい子ちゃんとして育つことを強要される。

赤ちゃんは起き上がって動けるようになると何でも周りにあるものを口に入れて食べれるか食べれないかを実験する。その様は、人類が長い時間をかけて、何を食べて何を食べれないとするかを嗅ぎ分けてきた歴史を見るようだ。

特に1歳前後の赤ちゃんの探究心や好奇心は、驚くべきものがある。一生懸命真剣な顔で手に取ったものはとりあえず口に入れてみる。ビー玉やプラスチックの袋など危険なものでもどんどん口に入れるから、将来には様々なアレルギー的症状を発するのではないかと心配にさえなる。

また、赤ちゃんが最重度障害者に限りなく近いゆえんが、食べることと排泄にある。2歳くらいまではおっぱいという液体食だし、排泄はおむつをさせられる。おっぱいは消化器官が十分ではない訳だから当然のことではあるが、おむつは大人の要求でさせられているだけで、赤ちゃん自身の要求ではない。もし、おむつが心地よければ、大人になっても人はおむつを使うだろう。しかし快適とは程遠い感覚を子どもの時に徹底的に叩き込まれるから、大人は病気や障害があってもなお、おむつを使いたいとなかなか思えない。

わたしの友人に、赤ちゃんが要求する自由を最大に許して子育てしている人がいる。彼女は自然農を志し、やり続けている人なので、赤ちゃんのありのままを全て認めようとしている。赤ちゃんは離乳食が始まって、目の前に食べ物が置かれると、当然ながら自分の手を使ってまず食べようとする。つまり、手掴みだ。

次々と並ぶ目新しいものに好奇心を持って、ベタベタしていようが、熱かろうが、お構いなしに手を突っ込んでくる。これもまた人類の進化の過程を踏襲しているだけで、赤ちゃんにとっては自然な行為だ。

しかし、近代社会を生きている大人たちは、それを黙って見つめ続けることはできない。ほとんど、大抵の大人が、うまく食べさせようと、スプーンを使い、食卓をなるべく汚さないようにしようとする。歩き回って食べることはNGで、多くの赤ちゃんは、食事用の椅子に突っ込まれ、時にはベルトまでされて、“楽しい食卓”を強要される。

ところが、友人の赤ちゃんは、食事の間中、一言も注意されることはなく、次々に手を突っ込んでも怒られて泣くことは一度もない。たまに泣くことがあるとすれば、自ら熱いものに触れて、驚いて泣くだけだ。その時ですら彼女は、自分が少し目を逸らしたことを詫びるだけで、彼を全く責めることはない。

排泄は、さらに圧巻だ。おむつなし育児を試みようとしたが、それにはあまりに時間がないために、「ふんどし育児」という方法をやってみている。これは、お腹に巻いたヘアバンドのようなゴム輪に、そこにおむつを前と後ろに挟むだけ、という簡単な方法だ。赤ちゃんは遊びを中断されて、寝させられることもなければ、おむつかぶれをすることもない。ただ、赤ちゃんは快適だが、おしっこもうんちもほとんど床に漏れ放題。それをそのゴム輪に挟んで、それなりに濡れているおしめでサッサッサッと拭き取るだけの簡単なもの。

排泄物は汚い、という嫌悪感がなければ、赤ちゃんにとっても、親にとってもシンプルかつ快適な方法だ。彼女の家の床はほとんどがフローリングだし、もちろんおんぶや抱っこの時は、おむつやおむつカバーも使っているから、赤ちゃんとの交渉、妥協はそれなりにあるはある。

私は娘の主体性や意思を尊重はしてきたが、ここまで自由ではなかったな、と彼女の子育てを見て、振り返ることがある。私は病院にいたことが長かったから、娘が綺麗に食べてくれることを願い、6歳くらいまでは自分で食べるより食べさせる方が楽だと思っていた。だから、追っかけまくって食べさせてもいた。また、排泄も、骨折をしてしまった時は彼女は動かされたくない。シーツが汚れても変えて欲しくなくてよく泣いた。でも私は綺麗なシーツに寝て欲しくて、時々は無理な交換をして、よく泣かれた。

しかし、泣くことは悪いことじゃないと徹底的に知っていたので、「いっぱい泣いていいからね」と言いながら、おむつやシーツを交換し続けた。もちろん、あまりに痛いのでおむつカバーはしなかったが。

ところで、もう一度彼女の子育てに戻るが、彼女自身、一切化粧に興味がない。洗濯にもほとんど洗剤を使わないので、こんなに環境にも自分たちの身体にも優しい子育てはないだろう。また、食事も玄米と自分の手作り野菜、味噌、醤油がほとんどだから、子どももけっこう薄着でも全く元気だ。1歳になったばかりでも、私の車椅子に興味を示し、押してくれようとする。ただ、押すところが自分の高さには合わないので、前に回って押してくれたその賢さには驚いた。十分に興味を持ったものに触りまくれれば、こうした方がいいとか、ここをこうしなさいとか言われなくても、自分にとって心地よい付き合いを発見していくのだ。

とにかく、命の危険性がない限り、ただただニコニコと見守り続けることができたらと思うし、それをやり続けている彼女を心から応援している。

 

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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