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小さな自分を抱きしめて~雪の中で思うこと~ / 安積遊歩

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

冬がきた。四季の中で1番、冬が辛い。2月生まれだからもう少し冬が好きでも良さそうに思うが、とにかく冬になると憂鬱になる。特に朝の目覚めが真っ暗な中だと起きた気がしない。なぜこんなに憂鬱なのかを今朝は考えてみた。

私は父親と母親の精子と卵子の記憶の合体だ。母親のお腹の中に居た時から冬は嫌だった気がする。まず、両親ともに冬は苦手、というか嫌いだった。

父親は10代になってすぐくらいに満州に渡ったから、満州の冬の厳しさで気管支炎にもなった。戦後はシベリアに抑留されて凍て突く寒さの中、鼻水も涙も、時には立ちションさえ凍るのだと話してくれた。涙や鼻水は凍りそうだが、立ちションが湾曲しながら凍ってゆく様を想像し、ひたすら驚いた。

母親もやっぱり2月生まれで、貧しい小作農の7人兄弟の上から3番目の双子の姉だった。冬がどんなに厳しいか今思い出すと呪文のように彼女が言っていたような気がする。彼女の双子の妹は粟粒結核で24歳で亡くなった。亡くなった日は4月だというのに何故か大雪が降ったという。彼女の容態がひどく悪くなる前に、祖父母は母に結婚を迫った。とは言っても、非常に優しい祖父だったから両親の気持ちを察して、母は自ら寒い中でも結婚し、家を出たのだろう。

そんなこんなが重なって彼女の冬嫌いは、めちゃくちゃ本格化したのだろうと思う。母は昔語りをよくしてくれた。台所やトイレが外にある小さな長屋が結婚の新居だった。そこでの冬の炊事料理がどんなに辛かったかは想像に難くない。また双子の妹とは仲が良く、いつも楽しく遊んでいた。しかし冬は陽が落ちるのが早く電気も無い家の中は真っ暗だった。そんな中では遊ぶことも勉強することも叶わなかったから、毎晩早く寝るしかなかったのだと言う。

私もこの原稿を電気を付けず真っ暗な中で書き始めたが、今ようやく白々と夜が明けて来た。母の実家で冬に目覚めたことは思い出せない。私が物心ついたころには母の実家は裸電球だった。2階が蚕小屋になっていた大きな納屋の様な母の実家。そこを出て結婚してからもまた冬が嫌で嫌でたまらなかった母。

小さな子供たちと添い寝しながら真っ暗な中でゴゾゴゾと炊事場に立たなければならなかった母。私たちが幼い頃は、父は大抵、午前様帰りの深酒だったから、彼からの助けは一切期待できない。

洗濯機がない中での大量のおしめ洗い。私が生まれた時3歳だった私の兄は、小学5、6年までおねしょをしていた。毎朝、兄のおねしょと私と妹のおしめ洗い、それと同時に朝ごはんも作っていたわけだから、その忙しさの中での冬の寒さはいっそう堪えたに違いない。暖房も電気こたつとストーブになる前は、炭焚きのコタツひとつだった。家の中は隙間風がピューピュー通るような市営住宅だった。ある朝目覚めたら口元の寝巻きがパリパリと凍っていた時もあった。その寝巻きは母の手作りだった。着物を2枚重ねた間に綿を入れて寝る時用の綿入寝巻きだった。母は手作りで家族中の寝間着を作り、昼用の綿入れ半纏を作っていた。しかしそうした寝間着作りは私が家を出たので、ここ50年くらい全く見ることは無くなった。しかし母は66歳で亡くなるその年にも、妹や兄の綿入れ半纏を作り続けていたらしい。私も母が作ってくれたものを今でも大事に大事にとっている。

母が冬を呪いたいくらいに嫌っていたのには、もうひとつ理由がある。私をおんぶして病院や学校に通わなければならなかったこと。
真冬に私をおんぶしねんねこを着て、病院には兄の手を引いて通院していた母。妹が妊娠してからはそこにプラスして大きなお腹を抱えながら雪の中を歩いてバスに乗って病院に通った。

それも1日おきに男性ホルモンの投与という効果も全くなかった、馬鹿馬鹿しい虐待とも言える治療のためにだ。妹も2月生まれだったので、流石にお腹の大きい母を病院に通わせるのは医者たちの良心を目覚めさせたのだろう。1日おきの病院通いが臨月前には止まったらしい。

ただその後には学校通いが始まった。家から学校までの1.5キロ。そこを雨の日も風の日も私をおぶって通ってくれた母。母自身は貧しさ故に中学校にも行けなかった。だから私を学校に連れて行くのは彼女の夢の実現でもあったのだ。それでも吹雪の日には彼女の足取りがどんなに重くなったことか……
記憶の中に学校と家の中間にあった橋の上に、雪風におされて佇む母がいる。私は母の背ですっぽりとねんねこに守られながら、ただただ「早く早く歩いて、寒いから止まるな。」と言いたい放題に急かすだけ。

母がどんなに冬を嫌っていたかがこうして思い出すほど良くわかる。

今は寒さの厳しい北海道に住んでいるとはいえ、朝起きたらすぐに大きな石油ストーブのスイッチを介助者に入れてもらえる。その上、札幌の住宅は気密性抜群だから、寒さで口元の寝巻きが凍るということはあり得ない。母の「そんな楽な暮らしできて、幸せだっぺ〜」という声が聞こえてくるようだ。

 

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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