土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
私にとって65年物のウイスキーにあたる貴重な友だちは、佐藤四郎君(シローちゃん)と堀江喜代彦君(ちょんちゃん)である。
木町通小学校3年2組でのクラスメイト60人の中では、最も親しかった二人である。
女子では三浦和恵さん(かずえちゃん)がいる。和恵ちゃんは、我々がクラスの誕生会で演じるドタバタ劇のスターだった。
当時NHKラジオで放送されていた「一丁目一番地」でサエコさん役を演じていた黒柳徹子さんとイメージが重なる。
四郎君も堀江君も、今は仙台に住んでいる。私が仙台に帰ることはたまにしかないのだが、その「たま」の機会には、三人で飲む。
お店は、壱弐参(いろは)横丁にある焼き鳥「鳥よし」に決っている。
会えばすぐに昔の感じが戻ってくる。近況を語るでもない、昔話に花が咲くわけでもない。ただただどうでもいいことを語り合っている。
そんな時に私は、幼馴染みの幸せを噛み締めている。
♬おさななじみの 倖せに かおるレモンの 味だっけ♬
65年熟成した香りがするのである。
友だちの話から一旦離れて、お店のことについて書く。
「鳥よし」が先日開店三十周年を迎えた。私が20年以上通っている店である。
店長の横田良一さん(親方)と手伝いの栗田成子さん(クリちゃん)の二人でやっている小さな焼き鳥屋さんである。
私にとって「鳥よし」は「いい店」である。いい店というのは、酒が旨い、料理がいいというだけではない。
店の雰囲気が良くなければ、いい店とはいえない。「また行ってみよう」とはならない。鳥よしは店の雰囲気がとてもいい。
カウンターだけの10人で満席という狭い店だから、客同士の距離が近い。いろいろなお客さんと一緒になるが、いやな客には逢ったことがない。客筋がいいのだ。
「ここで飲む酒が一番旨い」と私は思っている。いい酒、高い酒だからではなく、ここ鳥よしのカウンターで飲むから旨い。
「鳥よし」には友や客をお招きすることが多い。「一番大事な人はここに招待する。その次に大事な人は料亭に招待する」というのが私の決まり文句。
大事な女性も鳥よしに連れて行く。才色兼備といった女性ばかりである。
内心では、「えーっ、知事招待なのになんでこんな店!!??」と思っているのだろうが、注文を受けてから串打ちする焼き鳥が超美味なのを知って、「納得」。
私の知事時代の秘書14人とは年に一回同窓会をやっている。会場は「鳥よし」に決っている。
壱弐参横丁にちなんで「いろは会」と称している。毎回、貸切りでやらしてもらっている。出席率がいいと席がなくなって、何人かはカウンターの中となる。
知事時代にコミュニティFMで「シローと夢トーク」という番組のDJをやっていた。毎週水曜日の7時半から8時まで。
ゲストが出演することもあり、番組が終わったらゲストを誘って鳥よしに行くのが定番だった。
番組中に「鳥よしさーん。3人で予約お願いしまーす」とやっていた。親方とクリちゃんは、お店でFMで放送中の番組を聴いている。
「公共の電波を使って店の予約をするなんて・・・」とあきれながらも、席を取ってくれる親方である。
鳥よしの二人とは、お店の外でも付き合いがあった。私の出版パーティにも、何度か来てくれた。
2009年3月の東京マラソンには品川駅近くの沿道から「シローさん、がんばれ」という応援の声が私の耳に届いた。
1万人を越すランナーの集団からよくぞ見つけてくれたものだ。それから2ヶ月後に私はATLで入院するのだが、そこにもお二人はお見舞いに来てくれた。ありがたいことである。
創業30周年を迎えた鳥よし。よくぞここまでお店を続けてきたものだ。
店の存亡にかかわる事件がいくつもあった。東日本大震災、横田さんの大病、そして今も続くコロナ禍。
こういった危機を一つ一つ乗り越えてきた。
私は「お店やめないでね。仙台に帰ってきても行くところがなくなってしまうから、辞めないでね」と病み上がりで81歳の横田さんにお願いしている。
◆プロフィール
浅野 史郎(あさの しろう)
1948年仙台市出身 横浜市にて配偶者と二人暮らし
「明日の障害福祉のために」
大学卒業後厚生省入省、39歳で障害福祉課長に就任。1年9ヶ月の課長時代に多くの志ある実践者と出会い、「障害福祉はライフワーク」と思い定める。役人をやめて故郷宮城県の知事となり3期12年務める。知事退任後、慶応大学SFC、神奈川大学で教授業を15年。
2021年、土屋シンクタンクの特別研究員および土屋ケアカレッジの特別講師に就任。近著のタイトルは「明日の障害福祉のために〜優生思想を乗り越えて」