土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
重度訪問介護制度の素晴らしい点は、長時間介護の実現と‘見守り’を介助ということで認めさせ た点だ。 身体介助や家事援助、移動支援など、ぶつ切りの介助項目を長時間介助にすれば、そ れを繋ぐためにも「見守り」という項目が必然となる。
ところが、この優生思想に満ち満ちた社会は見守りの重要性に気付かない。気付いたとして も、中々それが命を守るために最重要の介助項目であるとは思えないらしい。だから今日は見 守りのスーパーワンダフルな点を書いてみたいと思う。
まず、「見守り」という言葉で思い浮かぶのは、安らかに眠っている赤ちゃんか、臨終間近な お年寄りというイメージではないだろうか。「見守り」と聞くと、生まれて間もない頃と死に ゆく頃の穏やかな眠りを見守る、というイメージが立ち現れてくる。命を満喫して、そこに穏 やかに寛いでいる人の平和を、全き安らかさの中に共有すること…。
祖母が亡くなった時、私は14歳くらいだった。しっかり者と言われた祖母が死の恐怖に直面し て、周り中の人に文句や愚痴を言いまくった。私には、それもまた人間的に思えて、ある種感 動しながら聞いていた。6人の子供たちとその配偶者たちを次々に呼びつけて、握ってくれる手 が冷たすぎるだの、硬すぎるだのと文句を言っているのは、私には可笑しくも可愛く見えた。6 人兄弟の次女である私の母が辛そうに涙を拭っている姿は、可哀想ではあったが、そんな中で も祖母がお喋りに疲れ、大人しくなり、昼寝をするのを見守るのが1番好きだった。
また私が娘を産んだ時も、安らかな寝息を聞きながら見守っている時間が最高に幸せだった。
何をするわけでもなく、ただただ側にいて、見守り続けること。
それは彼女が昼寝をしなくなって、遊んだり、本を読んだり、時にはテレビを見ている時でさ
え側にいて彼女を見守るのは、至福の時間だった。
そんなふうに思っていた所に、知的障害を持つ人の介助をしていた人から同じような話を聞いた。
知的障害を持つと言われる多くの人々は、体の動きはある程度自由な人が多い。だから具体的 な介助より、とにかく側にいて見ているよ、見守っているよ、という姿勢そのものが介助であ る。そういったサインを送り続け、コミニケーションを取ることが最も大事なのだと言う。彼 らが何かを夢中でしているのを見ながら、感じながら、例えば食事を作ったり、お掃除をした りする。それをしながらも時々はきちんと注目していくこと。それをしないでいると彼らは、 ちゃんと抗議してくれるという。
40年以上前、私も在宅に暮らしていた重い知的障害の仲間たちを週に2、3回は訪ねていた時期 があった。農家の薄暗い部屋にポツンと置かれていた仲間の1人を訪ねた時のこと。私が行くと ても嬉しそうにしてくれるのだが、5分10分を過ぎると、興味が無くなったかのように、私が 話しかけてもあまり反応を返してくれなくなる。それで30分が過ぎる頃には、そろそろ帰ろう かと支度を始める。そうすると、じっと見ていてくれさえすれば良いのだと言うように、私の 服を引っ張った。だからまた腰を落ち着ける。それでも何も起こる訳では無い。
今から思うと、あの時に娘を見ていた時のような気持ちで、安らかに穏やかに見守れたらよかったなと思う。
見守りという介助は動きを伴う介助ではなく、静けさに佇み、その静けさ喜び、共有する介助なのだ。
もちろん動きながらそれを楽しんでいる障害を持つ人に危険が及ばないかどうかを注意深く見守るという介助もある。
私は最近、コロナ禍のステイホームで、家の中に居ることに疲れてしまい、子供の遊具の中で 唯一乗りたい、そして乗れるブランコを数分楽しむことにしたのだ。私は骨折しやすい体を持 つから、介助者の殆どははじめは危惧するのだが、私が嬉しそうなのを見ると、安心してくれ る。
小さい頃は妹と2人で、近所の子供公園でよくブランコに乗ったものだ。妹は生まれた時から私 の介助者としての位置を強力に担っていたので、年下でありながらも常に私を見守ってくれて いた。少しでも私が無理をしそうになると、何気なく後ろに立ったり、もう帰ろうと声をかけ てくれた。 自分の楽しみは、私が安全の中で楽しんでいるかどうかを確認し続けることにある、という所 に立っていた妹だ。
だから私は見守られること、見守ることが、本当に好きだ。見守られることが好きというと、 特に男性たちからは驚かれるが、私にとっては人間関係の中で作られる、究極の平和な形、在 り様が、見守り見守られることだと思っている。 それは施設の中にある監視と放置とは対極の関係性で、2人の人間によってもたらされ、成就す るべき平和の在り様だ。
見守る、見守られるという関係性には大抵の場合、逆転も起こる。見守っていたと思う子が、
振り向いて大丈夫かなという様にこちらを見てくれる時、昼寝をしていたと思っていた人が目
をパチっと急に開けて、「あなたも疲れたでしょう、少し休んで」と言ってくれた時。それは逆転というより対等感の共有というような、更なる平和が構築される事態だ。
まだまだ徹底的な男性社会であるこの世界は、「見守りが作る平和」という関係性を、全く評 価してない。見守られることは弱さ、愚かさと同義のように聞こえるらしく、見守られること なく何でも自分でやりなさいということを強要してくる。そしてその強要されて一人で頑張っ た過程をドキュメンタリーにしたり、映画にしたりして観てくれる人を求めている。これは 中々のアイロニーだ。
見守りという言葉にもしネガティブなものを感じるとしたら、そこから徹底的に自由になるために、どうぞ見守るという行為を沢山、自分の日常に取り入れて欲しい。どんな命も見守り、見守られるということの中に、大いなる安らぎを感じることができるのだから。
今私の家の前には、紅葉に染まった山が美しい。黙って見てると、私と山々の関係が対等感の中に豊穣してゆくのを感じる。見守り、見守られるの関係は、介助という小さな枠を宇宙レベルにまで広げられる素晴らしい関係性なのだ。
安積遊歩プロフィール
1956年、福島県福島市に生まれ。骨が弱いという特徴を持って生まれた。
22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。 著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。
2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。
好評で再放送もされた