ゴーゴリの「狂人日記」に思う Part 1 / 古本聡

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

ロシアの古典文学作家の一人で、日本でも一定の人気を得ているニコライ・ヴァシーリエヴィチ・ゴーゴリ( ロシア語: Николай Васильевич Гоголь; 1809年4月1日(ユリウス暦3月20日) – 1852年3月4日(ユリウス暦2月21日))という人物をご存じだろうか。

この作家は、当時の帝政ロシアにおける、委縮しきった小市民的な社会の俗悪さ、空虚さ、卑小さへの絶望と、諦めから来る詠歎などが入り混じった、独特な文体を特色とする。その嘲笑やアイロニーは、「外套」や、「死せる魂」といった、日本でよく読まれている代表的な作品にくっきりと現れている

なお、このコラム記事には、精神障害に分野に属する言葉や言い回しが出てきて、それらは現在では使用するのにふさわしくない可能性があるが、敢えて岩波書店の横田瑞穂訳の形のまま使用することをあらかじめお断りしておきたいと思う。

さて、今日ここで私が取り上げたいと思うのは、ゴーゴリが1835年に発表した「狂人日記」という題名の短編小説だ。確か、魯迅も同じ題名の小説を執筆している。

大まかなストーリーとしては、社会がおかしいと考えている男が、その社会に精神をむしばまれていき、ついには自分が精神障害になってしまう、というものだ。

この作品は、精神病者の目を通して官僚や上流階級の俗悪・虚飾を批判した小説という側面があるとともに、幻覚や妄想などの症状を呈した下級官吏が精神科病院に入院させられるという物語でもある。したがって、そこには幻覚妄想患者の心理や当時の精神科病院に関する優れた描写を見ることができる。

主人公について

この物語の主人公、ポプルゥイシチンは中年の下級官吏で、彼には幻覚や妄想など、さまざまな症状が現れる。それは、犬同士の会話だったり、犬が書いた手紙だったり、地球が月の上に乗ることを心配するなどのほか、月はハンバーガーのように柔らかく崩れやすいとか、人間の脳髄はカスピ海の方から風に送られてくると思い込むといった奇想天外なものなのだ。

そんな彼は、「おれは、このあいだごろからときどき、ほかの人間たちには見たり聞いたりすることが決してできないようなことが、見えたり、聞こえたりはじめている」とか、「こんどこそ、いろんな事情や、思惑や、その動機やらがすっかりわかって、いよいよいっさいが明るみへでるときがきたのだ」といった、いかにも幻覚妄想患者らしい思いに取りつかれるのだ。

彼の変調は職場でも気づかれて、上司は彼の勤務態度について、次のように叱責する。

「どうしたというんだい、おい、君。君の頭いつもどうかしているじゃないか?どうかすると、きみは、まるで気がふれたようにふらふらするし、仕事をすればときどき、書類の表題を小文字で書いたり、日付や番号をつけなかったりして、まるで見わけがつかぬようにしてしまう」

しかし主人公は、上司に叱責されても、反省するどころか、上司は自分への嫉妬からこのような言いがかりをつけるのだと解釈するのだ。ここにも主人公の判断力の弱まりと歪みがうかがえるが、彼は上司に対して、

「これはみんな、あの課長めのやったことだ。あいつめ、おれを不倶戴天の敵のように恨んでいやがるんだ――だから俺をことあるごとに、やっつけよう、やっつけようとかかっているんだ」

といった被害妄想的な感情をますます強くする。

また彼は、自分自身の身分についても疑問を抱くようになって、

「ひょっとしたら、おれはぜんぜん九等官なんかじゃないかもしれんぞ?もしかしたら、俺は伯爵だか将官だかの身分でありながら、ただ自分で下級官吏だという気がしているのかもしれんぞ」

と、血統についても妄想を持ち始めるのだ。

そして、ある日、彼は新聞でスペインでは王位につく者がいなくなったという記事を見て、実は自分こそがスペインの王様なのだと、とうとう思い始めてしまう。

「スペインに王様がいたのだ。見つかったんだ。その王様というのはこの俺だ。今日初めて、それが分かった。まるで稲妻が照らすように、ぱっとそれが分かった」

自らの身分に対する日頃の疑念が解消するこの思いつきは、何の根拠もないのに突然あることを思いついて確信するという、いかにも妄想らしい思いつきである。

以来、自分をスペインの王と思うようになった彼は、それまで3週間以上休んでいた役所に出た時に、本来は長官が署名するはずの書類に「フェルジナンド8世」と署名するといった奇行に走ってしまうのである。

古本聡 プロフィール
1957年生まれ。

脳性麻痺による四肢障害。車いすユーザー。

旧ソ連で約10年間生活。内幼少期5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。 早稲田大学商学部卒。 18~24歳の間、障害者運動に加わり、 障害者自立生活のサポート役としてボランティア、 介助者の勧誘・コーディネートを行う。大学卒業後、翻訳会社を設立、2019年まで運営。

2016年より介護従事者向け講座、学習会・研修会等の講師、コラム執筆を主に担当。

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