サンタクロース / 安積遊歩

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

私の幼い頃にはサンタクロースは存在していなかった。クリスマスツリーを飾るということも、イブとクリスマスの違いも知らなかった。

私の父は中国で日本の兵隊として1943年から2年半、そして敗戦後4年半は捕虜としてシベリアに抑留された。彼の言動には共産主義の影響が随所に見られ、時々宗教は「麻薬と同じ」とマルクスの言葉をぶつぶつ呟いた。

母は母で貧しい小作農の次女だったので、2人がつくる家庭にサンタクロースは全く来なかったのだ。

ただ、唯一母のシングルで働く姉がクリスマスにはケーキを食べると言うことを教えてくれた。彼女は銀行員だったから少し裕福で近くにいる甥や姪を集めて、クリスマスにショートケーキをそれぞれに買ってくれた。赤いイチゴののったバタークリームのショートケーキ…。それが初めてのクリスマスの思い出でその後数年は続いたと記憶する。

その後1983年に初めてアメリカに行ったとき、私はクリスマスというものが西洋人にとって、こんなにも大切なものなのかと心から驚いた。私の幼い日々に貧しい両親が精一杯祝ったお正月と同じか、あるいはそれ以上にどの家庭もクリスマス一色だった。

当時私は英語がほとんどできなかったので、クリスマスの喧騒にかえって孤独感を煽られていた。だから教会に集まっていた人々や家でのパーティー以上に思い出すのは、路上で花売りをさせられていた黒人の車椅子の男性のこと。

クリスマスを前に教会でお金を集めようということとなったという。彼が路上で花売りをすれば教会で誰よりもお金が集まるに違いないと言われ、花を売っているのだと説明してくれた。彼があの人たちに見張られているのだと、震える手で指差した向こうには2人の中年女性がいぶかしげに私たちを見ていた。

美しいイルミネーションの中、なぜか悲しいクリスマスの現実がそこにはあった。

ところがアメリカから帰ってからの13年後、40歳で娘を産んでからのクリスマスはそうしたものとは全く違っていった。娘の周りにサンタクロースからプレゼントをもらったという人々が続々と集うようになったのだ。

特に私より16歳年下だった宇宙(うみ)の父親は、彼自身も小学校5年生ぐらいまでサンタを信じていた。だからプレゼントの選択には、注意深さと愛情がたっぷりだった。

彼らのサンタへの情熱は、私の無関心を嘲笑うかのように思えた。一才のお誕生日を前に迎えたクリスマスから、彼女にはいくつものサンタからのプレゼントが届くようになった。それは小学5年生まで続いた。

子どもたちの日々に、わくわくとした喜びや楽しみがいっぱいあるのはとても素敵なことだ。しかし私は娘にサンタクロースからのプレゼントが全くもらえない人がいるという現実をどう伝えたら良いのか、クリスマスの度に悩むようになった。

その頃私はフィリピンの貧しい子どもたちを支援する、『バタバタの会』というグループを作っていた。それで時々フィリピンにも行っていたのだが、そこで見たものは先に書いたアメリカでのクリスマスの孤独感を何倍にも超えるほどの辛さだった。

貧しさゆえにプレゼントどころではなく、小さな子がクリスマスの夜にもたくさん働かされていた。働くと言っても、花を売ったり駐車場で頼まれてもいない車の誘導をしてお金をせびったり、あるいは腕のない子がその腕を見せてきてはお金をねだってきたり。

その一方で、お金持ちの家々はクリスマス期間だけで何万円も払うほどのイルミネーションに彩られていたから、その格差に心が痛んだのだった。

ある時カトリック教会のクリスマス礼拝にストリートチルドレンたちが花売りをするというので一緒に行ってみた。12月とはいえフィリピンなので教会の神父の礼拝は、開け放されたドアから私たちの耳にガンガンと聞こえてきた。礼拝が終わったらストリートチルドレンが持っていた花は、お金もちたちが全部買ってくれるに違いないと、漠然と期待していた。

しかし現実は全く違っていた。ほとんどの身なりの立派な大人たちはストリートチルドレンが差し出す花を無視し、帰ってしまったのだった。

サンタクロースは貧しい人には全く来ないのだと、ストリートチルドレンを支援していたソーシャルワーカーが悲しそうに言ってそこを去ろうとした。しかし私は神父に一言はもの申したいと、ストリートチルドレンたちに頼み、入口の5、6段の階段を車椅子ごと持ち上げてもらった。

話し合いの結果は、彼の見事な事なかれ主義と貧しい人たちへの無関心を見せつけられたのみ。腹立たしさと悲しみで子どもたちの花を全部買い取って、(しかし商品はもらわず)別れた。

そうした子どもたちと毎年サンタにきちんとリクエストをしてプレゼントをもらえる娘。とうとうある日、サンタのプレゼントと同時に、彼女に他の子の痛みを想像する力をプレゼントしようという決意を持って話すことにした。彼女に「宇宙ちゃんはサンタさんは誰なのか知っている?」と聞いてみた。「世界にはサンタさんがまるで来ない人もいるのだけど、そういう子たちになぜサンタさんが来ないのか知っているかな?」とも。

彼女が小学3年生の冬、お風呂の中での会話だった。

彼女は私の話を黙って聞いた後に、「でもサンタさんも私にプレゼントしたいと思っているし、することでとても嬉しいと思っているだろうから、あと何年かはこのまんまプレゼントをもらっていてもいい?」と言うのだった。

私は彼女のさらなる現実主義と、サンタさんを悲しませたくないという視点になるほどと感じ入り、彼女に協力することを約束した。

日本の子どもたちがクリスマスシーズンに、美味しいケーキや綺麗なクリスマスツリー、それに加えてサンタからのプレゼントに心躍らせる同じ時代に、1日2食の食事もまともにとれず、働かなければならない子どもがいるということ。

今年24歳になった娘は、今ニュージーランドで様々な状況に追い詰められながらも、懸命に生きている子どもたちに寄り添いたい、それを一生の仕事にしたいと行動し続けている。私も彼女とともに世界中の子供達に幸せなクリスマスが来ることを心から願っている。

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ。

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

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