『パパは新米支援員』 後編 / わたしの

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

「俺にとっての幸せって何だろう?俺にとっての幸せは………」

虎吉にとっての幸せは………。

言わせるな!決まってるだろうが馬鹿野郎!

音楽だ。Rockだ。LIVE だ………と、過去の自分だったら自信を持って言い切っていただろう。

しかし、今の虎吉には言い切ることができない。

「幸せって何なんだろう………?」

パッとしないミュージシャン人生だった。ミュージシャンと名乗るのもおこがましいくらいクズのようなバンドマンだった。客もほとんどいないLIVEを無理して行い自分でミュージシャンと言い張っていただけだった。

高田馬場の安アパートで学校帰りの子どもたちの声で目覚め、布団の上に座って夕方の教育テレビを見ている時は虚しさに襲われたものだ。
アパートの隣の部屋から東南アジア系の女性の泣き声がいつもしていた。

「虫ケラみたいな生活だぜ」

虎吉はそう考えていた。
時代はバブルが弾けた後の「失われた10年」の真っ盛りだった。就職難と叫ばれ、企業は非正規などの安い歯車を求めアルバイトの求人雑誌がどんどん分厚くなり、いつの間にか少年ジャンプくらいの厚さまでになっていた。虎吉は雑誌を買う金はないのでコンビニで立ち読みしてその場で求人先の電話番号をメモり、家に帰ってきて電話したものだ。ホテルのボーイ、ウェイター、業務用エアコンの清掃員、印刷工場、深夜の郵便局の仕分け、コンビニ、皿洗い、おせち作り………様々なアルバイトをして食いつないでいた。

何者にでもなれそうな気がしていた。
何者にでもなれそうでいて、何者でもなかった。
夢を見てワクワクしていたなんてものでは決してない。日々、自分はこの先一体どうなるのだろうと不安にさいなまれていた。怖かった。

窓の外が暗くなって通りに灯りがともるころに虎吉はようやくアルバイトに出掛けた。
そこに集まる同じような境遇の仲間と会えば傷を舐め合い、少し不安や虚しさを忘れられた。
職場の中には虎吉とやはり同じように片足をミュージシャンに突っ込んでいるような年上のおじさんがいた。しかし、その人の肌はボロボロで生気がなく、やつれて全体的に腐って半分崩れた状態に見えた。こうはなりたくない。

「この人は幸せなんだろうか?」

心の中でそう思っていた。
しかし、このまま行くと自分もいつまでも深夜のアルバイトを続けながら生きて行かなければならない。そこから抜け出す道はミュージシャンとして売れることしかないはずなのに、そこに突っ込めば突っ込むほど抜け出すのが困難になっているように思えた。

「どうしたらいいんだろう。ヤバいぜ…」

デフレの影響でどんどん安くなっていく牛丼並盛をアルバイト終りの夜明けによく食べたものだ。
とにかく貧乏でお金がなかった。
電気やガスを止められることは日常茶飯事だった。ライフラインの中でも水道はなかなか止められることはないようになっている。どんだけお腹が空いても水だけ飲んでいれば何日かは生き延びられるからだ。しかし、その最後の最後の水道までも止められたことが何度あったことか。

まかない付きの職場で働くことができたので、そこの食事でなんとか食いつなぐことができた。一日一食という日もざらだった。次にいつ食事ができるか分からないので食べられる時にたくさん食べておく癖がその時に付いた。おかわり自由だったので大盛りの白飯だけを何杯も食べて蓄えた。自分でもいやしいと思う。育ちが悪いという奴だな…その癖が未だに抜けず苦笑いしてしまう。

その時は必死だった。サバイバルだった。ふと立ち止まって考えると襲われてしまう虚しさから逃れるためにも、とにかく食べて食べて頬張って虚しさを忘れたかった。逃げたかった。

今振り返ってみればロストジェネレーションの代表みたいに鬱屈とした時代の底を這いずり回って虎吉は生きてきた。

それでもステージに立った時は全てを忘れることができた。スポットライトに照らされると目の前は真っ暗闇だった。闇の中に自分だけが立っていた。
見上げるとスポットライトの激しい光源がギラギラと光っていた。一瞬のきらめきのように思えた。

「時よ、とまれ!」

声にならないような声で泣きそうになりながら叫んだ。音楽と一体化したまま消えてなくなってしまっても構わないと思った。

そんな虎吉が32歳の時、家具屋でアルバイトしていた弓子(ユミコ)と運命的な出会いをし、心の底から惚れて結婚した。式は挙げなかった。式を挙げる資金は持っていなかったし、そもそも弓子の親戚や同僚などに紹介できるようなまともな人間じゃないと自分のことを虎吉は考えていた。

結婚したからといって生活はあまり変わらなかった。高円寺の安アパートに引っ越して虎吉は深夜のアルバイトを続け、時々ライブハウスでステージに上がった。依然として客はいなかった。

30歳までやってみて駄目だったら音楽をやめようと思ったこともあった。仲間の中には30歳を一区切りにして音楽をやめて故郷に帰っていく奴が多かった。しかし、30歳を過ぎてもだらだらと続けてしまったのは、続ける方が楽だったからかもしれない。区切りを付けるということは今までの生活を大きく変えることであり、それは虎吉にとってはかなり難しく、エネルギーが必要なことだった。

虎吉は相変わらず売れないミュージシャン崩れの生活だったが、弓子はそれでもいいと言ってくれた。二人のアルバイト代を出し合えば裕福ではないが食べ物にも困らずに慎ましく生きていくことはできる。二人は幸せに暮らしていた。そんな生活が4年ほど続いた。

36歳の時に子どもができた。
それを期にさすがの虎吉も自分勝手な生活を改めて家族を養えるような人間になろうと覚悟を決めた。これまで散々だらだらと音楽を続けた虎吉がその時は迷いなくスパッとやめた。何日も悩んで決めたのではなく、瞬間に答えを出し、そして行動した。LIVEもやめた。バンドも解散させた。やめることができたことに虎吉自身が一番驚いていた。

正規職員になるために職探しを始めた。
髪の毛も黒色に戻し、短くした。ピアスも指輪も外した。
どんな仕事でもいい。
とにかく弓子と娘を守れる男になりたい、そう思いながら履歴書を書いて面接を受けて回った。

そんな矢先のことである。
娘がまだ一歳になるかならないかの時に弓子のパニック障害が発症した。
ある日娘を抱っこ紐で連れて電車に乗っていて突然の動悸とめまいに襲われたのだ。一緒に乗り合わせていた乗客と駅員に助けられ、すぐに救急車で大きな病院に運ばれた。そこで検査したが身体的な異常がどこにも見つからなかった。最終的にドクターが出した診断がパニック障害だった。

それから何回か電車で弓子はパニック発作を起した。電車に乗るのが怖くなり、だんだんと外に出ること自体が怖くなって家に引きこもるようになった。月に数回出ていたパートも続けられなかった。
そればかりか弓子は次第に鬱の状態になり家事育児が手に付かなくなっていったのだった。虎吉が家にいる日は育児を任せ部屋を暗くして一日中寝込んでいることも多くなった。

虎吉は仕事をして家族を養えるだけの給料を稼がなければならなかったし、娘の育児を担わねばならなかった。それに加えて弓子の介護をしなければならなかった。
これまで怠惰に生きてきた虎吉が急に現実的に追い詰められるような苦しい状況に立たされた。若い頃のしわ寄せなのかな…。他の人がキリギリスのように努力して働いていた頃にいつまでも夢みがちで好きなことばかりしていた報いが来たのかもしれなかった。

働きに出ていても家に残している弓子と娘のことがいつでも心配だった。慣れない仕事でくたくたになって虎吉が帰ると、弓子はすぐに自分の部屋に入って鍵を閉め寝込んだ。笑顔もなかったし言葉を交わさないことも多かった。

そこから虎吉は自分と娘の食事の支度をし、食事が終わると娘をお風呂に入れた。お風呂に入れながら洗濯機を回した。入浴を終えるとパジャマに着替えさせ歯磨きし、寝かしつけを行った。
寝かしつけで自分も寝てしまうことが多く、夜中に起きて洗濯機の中の物を干した。それから弓子と娘の次の日の食事の用意をしてからもう一度布団に入って、やっと虎吉の一日が終わるのだった。

自分のことは二の次。仕事と家事と育児と介護の生活がしばらく続いたのだった。
「自分の時間」なんてまったくなかった。

自分が支えなければという使命感というのか責任感で最初の内は頑張れた。ところがある時ふっと力を緩めることがあって少し緊張状態を解除した後にどっと疲れが出て倒れそうになってしまった。ヤバいと思ってもう一度気を引き締め直さなければならないと考えたが、それをするには今までの数倍の力が必要だった。

「もう、頑張れないかもしれない」

弱音を吐きそうになった。どうやったらこの疲れを吹き飛ばせるのか分からないまま、それでも日常は押し寄せる。仕事をし、家事と育児をし、介護をし、時間だけが過ぎていった。

「虎吉さん、虎吉さん。聞いてますか?」乃亜に呼ばれてはっと我にかえった。ハッピーデイの企画の途中だったのに虎吉は自分の人生を振り返るのに没頭してしまっていた。

「虎吉さんの幸せは何ですか?」

そう聞かれてもすぐに答えることができない。
「ハッピーデイか………」虎吉は呟く。

………俺も幸せになれるのかな?

笑顔もなく言葉もなく暗い部屋に閉じ籠ろうとする弓子の背中を見送りながら、自分もいつか幸せになれるのだろうかと思った。
仕事家事育児介護に追われ、自分のやりたいことなんて一切できずにこのまま死んでいくのだろうか?

そんな暗い気持ちになっていた時のことだ。

朝、目覚めると二歳の娘が先に起きていて横になりながら虎吉を見つめ微笑んでいた。
無垢な純真な微笑みだった。この世にこんなに優しく尊い微笑みがあるのか。

「パパ………」

寝起きのかすれた小さな声で娘が言う。

「パパのこと大・大・大好き………」

虎吉はそれを聞いて感情がこみ上げ、目から涙が溢れた。シーツに顔を埋めて嗚咽をこらえた。涙は止まらなかった。

「パパ、どうしたの?何で泣いてるの?」

これを幸せと言わずして何を幸せと言うのか?
この尊さ。この小ささ。生命は簡単に授かることができるものじゃない。偶然のような必然のような奇跡の産物。貴重な子宝に恵まれた喜び。愛らしい娘を得た喜び。
その娘が微笑んでいる。

これを幸せと言わずして何を幸せと言うのか?

しかし、虎吉にはその幸せをとどめておくことはできなかった。

手のひらからこぼれ落ちていくように一瞬にして消えてしまう儚いもののように感じた。

目覚まし時計が鳴って虎吉はすぐに子どもと妻の世話と仕事へ行く支度をしなければならなかった。

これを幸せと言わずして何を幸せと言うのか?
これ以上の何を求めたいと言うのか?
もう何もいらないじゃないか。そうではないのか?これでは足りないというのか?
まだ何かが欲しいというのか?

「何だろうな、幸せって」虎吉は呟いた。

その時、その瞬間には確かにあった。だけど今、ここにはない…。見せろと言われても形がなく、言葉で説明しようとすると嘘くさくなる。捕まえても消えてしまうし、残っていたとしてもこれじゃないと思ってしまう。

幸せは一瞬のきらめきなのか………。

刹那的なものなのか。

幸せって何だろう?

幹太の顔が浮かんだ。幹太の幸せって何だろう?
自分の幸せも分からないのに、他人の幸せが分かるのだろうか?
福祉という言葉は「福」は幸せ、「祉」も幸せという意味だと職員から聞いた。シワとシワを合わせて幸せなのに、さらに幸せと幸せを貪欲に合わせて「福祉」なのだという。

人の幸せのため…。

幸せって何だろう?

虎吉はやっぱり答えを出せない。

〜おわり〜

 

 

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