土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
今回の事件によって実に色々なことを感じ考えた。原稿を何度書き直したかわからない。この原稿もまた、言いたいことがまとまったから書き出したわけではない。ただ、今回の事件は福祉という名で行われていることの数々が、あまりに暴力的で虐待的なものが多いということを明らかにしていると感じている。K氏の性暴力の被害者になり、それを訴えた方は、障がいのない女性2人であった。10年以上の時を要したが、彼女らは障がいがない故に訴え出ることができた。その勇気と不正に対する立ち上がりを心から称賛し応援したい。
それと同時に気になってやまないのが、障がいを持つ女性たちにこのK氏が何をしていたかということだ。私はDPIとは一線を画する、「DPI女性障がい者ネットワーク」の会員でもある。DPI女性障がい者ネットワークは、私たちが優生保護法の差別撤廃に向けて闘う中で作っていった組織だ。
1994年、エジプトのカイロで国連主催の人口と開発会議が開かれ、私はそこであったNGOフォーラムに車椅子を使って参加した。研究者や学者によって組織された、障害のない女性たちによる「女性と健康ネットワーク」の中で、唯一障害を持つ者として優生保護法の撤廃を2千人の参加者に訴えた。それまでの日本国内における仲間たちとの諦めない運動と、私のそこでのスピーチがきっかけとなって優生保護法の差別的な条文の削除と改訂を勝ち取ることができた。
この事件を知った後、あのときもし女性と健康ネットワークのメンバーの中に、女性だけでなくK氏のような男性が入り込んでいたら、あるいはよくあることだが、女性が中心の組織の中でありながら男性リーダーが仕切っていたら、私はあの会議には行かなかっただろうと、極めて疑問になった。
その思いを抱きながら、今回、DPI女性障がい者ネットワークの事務局の仲間にこの事件についてどう思うかを尋ねてみた。K氏は自分の部下から訴えられた人ではあったが、障がいを持つ女性たちには非常に尽力してくれていたという。
さらにDPIは、オリパラネット(2020東京オリンピック・パラリンピックに向けた障害者の文化芸術活動を推進する全国ネットワーク)という、彼が推進、尽力して作った組織のメンバーでもあった。
私自身はDPI女性障がい者ネットワークだけの会員で、DPI本体の会員ではない。だから、本音で言わせてもらえば、私はオリンピック、パラリンピックは優生思想そのものであると思っているので、それには全く関わりたくない。できればこうした事件が起こったのなら即刻解散してほしいとさえ思っている。オリパラは優生思想そのものの競争原理主義と比較評価文化の、生き物のいのちの本質とは真逆のものだ。
障がいをもつ人は、いのちそのものの価値を体現した存在だ。何ができてもできなくても生きているということに価値がある。どんなに重い障がいをもっていても生きているというその一点を大事にすることができれば、助け合って共に生きるという社会しか想定できない。
ところでこのいのちそのもの、生きていることそのものに価値があるという考えを分断するものが優生思想のひとつでもある、ジェンダー観だ。私たち障がいをもつ女性の体は、男性たちのジェンダー観をハイスピードで見抜ける素敵な体でもある。
身体に障がいを持った女性たちは、この身体性を以って、女性としてみなされること、つまりセクシュアルオブジェクトとしてみられることは非常に稀だ。特にK氏のような人にとって、私たちの体は性的対象にならない。そしていったんそうみなされたらひたすら無視されるだけだ。
私もK氏とは25年以上も前に何度か会っている。たぶん彼の記憶には私はいないだろうし、私もまた名前をぼんやりと覚えているだけだ。彼は権威のある人にどんどん近づくのが得意で、そのネットワークを自分の権威にもしていくことも上手だったという。それによって集客集金率満載のイベントを計画実施するイベント屋でもあった。
それらのイベントには様々な福祉や行政関係者が招かれたが、私は人間は好きだが権威は嫌いだ。イベントにも魅力は感じない。だからそのイベントには招かれたこともなければ自分から行ったこともない。私はそうした人間が、障がいを持つ人の芸術文化活動の推進者と言われ、そこでリーダーシップをとっていたことが本当に怖い。
障がいが重ければ重いほど、今度は「介助」という名で性暴力は徹底的に正当化される。性暴力はもちろん性虐待とさえ呼ばれない。重い障がいを持つ人にとっては性暴力を耐えることが、生きるために必須のことでもあるのだ。性暴力を介助と言い換えることで人間の様々な基本的人権が保証されるという歪な日常。
例えばお風呂に入れないために障害の重い女性が、父親や兄弟の介助を受けていることもある。あまりに深刻な状況がある故に、私は、K氏の今までが明らかになったことで、彼の身の回りにいた知的障がいを持つ女性たちの安否が気にかかる。
この男性中心主義社会は、女性を対等な人間としてみていないことは明らかだ。それは福祉の世界においても全く同じである。それを目隠しして進んでいる福祉界の障がいのない男性リーダーたち、そしてときにそれに追従しているようにさえ見える、障がいを持つ男性リーダーたち。
それらを少しでも変えたいと願う行動の最初は権威に対する抵抗であり、権威からの自由を求めることだ。そして、性暴力をはじめとするあらゆる暴力に対してNOと言ってきちんと立ち上がり続けること。
今回の事件で私は障がいを持たない女性たちに対するものは性暴力と言われ、障がいを持った女性と、障害のあるなしに関わらず、子どもたちに対しては性虐待と言われていることに気がついた。性暴力を性虐待と言い換え、私たちと子どもたちをさらに弱い立場へ追い込んでいこうとするある種の差別と偏見を、その2つの言葉に感じるのである。虐待という言葉を使われることで暴力には立ち向かえない弱さをさらに持っているのだと言われている気もする。加えて、その言葉は「僕たちがやっていることは酷いことではないのだよ」という騙しのニュアンスを感じる言葉でもある。
K氏の裁判をきっかけに福祉界の非対等性や、若い女性たちへの差別が暴露され、全ての人との対等が半歩でも一歩でも進んでいくことを願ってやまない。
◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ
骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。
著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。
2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。