地域で生きる/22年目の地域生活奮闘記108~身体を休めることの重要性を噛みしめて~/ 渡邉由美子

この原稿を書いているときは、まだ社会参加活動が始まっておらず、お正月休みの延長のようでした。こんなに長いお休みをまとまって確保できたのは遠い記憶の彼方だというくらい、久しぶりに休日らしい休日を過ごしました。そんな日々を堪能してわかったこと、反省したことについて、「重度訪問介護の介護者との関係性を円滑に保つ」という観点から考えていこうと思います。

これまで年始早々から”やりたいことを全てやる“という意識をもち過ぎるあまり、悩むことが多々ありました。一昔前、自分の思い通りに身体が動かないということに困難を抱く私たちのような人が、地域で自立生活を始めるにあたって言われてきた「介護者とともに暮らす生活は1+1=2ではなく、あくまでも1であって2になってはならない」という議論について、朝まで激論を交わしても全く結論が出なかったことを今になって鮮明に思い出します。

まもなく怒涛のように忙しい日常に戻ることになりますが、まるで嵐の前の静けさのように今は余裕のある日々を過ごしています。それでもついつい何かに急き立てられるように「ふだんは忙しくてできないでいることを、この休みの間に一気にやろう」と年末からバタバタと動き回り、ふだん洗えないカーテンや大物寝具のカバーたちを家の洗濯機をフル稼働させて洗濯しまくりました。

そうこうしている間にスペースの限られたベランダには洗濯物が干しきれなくなってしまい、穏やかなお天気の年末年始にコインランドリーに駆け込んで慌てて乾かすという失態をしてしまいました。

とはいっても私自身が実際の動作をできるわけではないため、重度訪問介護の介護者たちにTo Doリストをつくってもらい、端からこなしてもらうことになります。「頼み過ぎた」「やり過ぎた」という自己反省もしつつ、ゆっくり休もうと心に誓い、やっと減速してきたところです。

私はたとえ少しでも休息する時間があっても「人生をムダにしている。もったいない」と心の底から思ってしまう性分で、年がら年中マグロのように前へ前へと突き進んで過ごしています。そうでもしていないとこの世に生きているという感覚や自己肯定感がもてなくなり、考えてもしかたのない先々のことや起こるか起こらないかわからない出来事を想像して、あたかも自分の目の前でそれが起こってしまったかの如く不安や焦燥感に駆られます。

だからスケジュール帳が真っ黒に埋まっている生活が大好きで、自分で多忙な日々をつくりだしているのです。それが全ての安定や人間関係の円滑さにもつながる。そんな気さえしていました。

ところが近年はそうとばかりも言っていられない日常が自分でも信じられない程のスピード感と迫力で襲いかかってくるようになりました。それは障がいの有無に関わらず、皆に等しく訪れる初老期のスタートというものです。

気持ちや頭は今までどおりに、たくさんの物事をバリバリとこなしてやろうと思っているのですが、疲労や睡魔に襲われることが多くなり、障がいとは直接関係ない部分で身体的な衰えを感じます。

最近は少しでも身体機能の低下を遅らせるために、急性期の障がいをもつ人が機能回復のために行うようなリハビリを週に3~4回受けています。これだけ身体のためになることをしているのだから、老化とは縁なく、今までと同じスタンスの生活を継続していけると、私自身は頑なに信じています。しかし機能回復が見込める身体の状態ではないことをすでに悟っている自分もいます。

この長期休みを通して実感したのは、ただただ身体を横にしたり、昼夜を問わず「もういい。十分だ」と思えるまでひたすら眠ったりすることで、身体の芯の部分や脳にたまった疲労が軽減するということです。

24時間365日、他者の力を借りていなければ生活そのものが立ち行かない暮らしを続けてもう22年の時が経ちました。2月には23年目に突入します。そんな自立生活を送るうえでは長時間睡眠をとるとか、なにも考えず心底ぼーっとするということはむずかしいのです。

最近では複数の介護者から「もし由美子さんが障がいをもっていなかったとして、本当にその膨大な事務仕事や家事を自分ひとりでやれると思って頼んでいますか?」と言われる機会が多くあります。私にとっては大変手厳しい、返答に困る問いです。

私は幼少の頃から重度障がいを抱えて生きてきたので、複数の物事を一度に人に頼むときには、一つひとつの物事をやり遂げるのにどの位の時間を要し、体力的にどれほど大変なのか、できる限り想像しようとしてきました。

「頼み過ぎないようにしよう」とか、「一つ終わったらその次を一呼吸おいてから頼もう」といった努力をしているつもりでも、頼まれた介護者からすれば「自分でやるんだったら、絶対にこんなに一気にたくさんのことはしない」と感じるようです。

想像と現実がぴったり重なる事はとてもむずかしいもので、たびたび私は「健常者ならこれくらい簡単にできるでしょ?」という思いに駆られ、物事を頼み過ぎてしまいます。またやってもらった行為そのものも、そうしてほしいという依頼こそすれど、実際に自分で行っていないので、自分事と捉えているつもりでも、どこか他人事となってしまうようです。

介護を受ける側も提供する側もお互い人間なので、体調も感情もその日その日で異なります。折り合い点を上手に見つけ、自分自身の身体の声を素直に聞く時間も適度に増やしながら、熟成しはじめた23年目の自立生活の在り様を模索していきたい。それから重度訪問介護の利用者も介護者もお互い”いい塩梅“で暮らしていける生活を、改めて検討していきたいと思います。

 

◆プロフィール

渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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