私の思う私の価値 / 古本由美子(本社)

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

ここ数か月で急に「古本聡さんの奥さんの由美子さん」と紹介される機会が増えました。そう紹介されると「はじめまして」の方でも大抵の方が「由美子さん」と呼んでくださり、急に親しい人が増えたようで嬉しく思っています。

3月2日に入社オリエンテーションを終え、土屋の仲間に加えて頂いたことで、さらに親しくする方が増えていくのが楽しみです。

因みに夫からは「ゆみちん」と呼ばれます。彼はその他にも「僕の天使さん」とか、愛する美しい人という意味で「シルビアーナ」などと呼んだりする大変なロマンチストです。

結婚前には、彼が数々の甘~い言葉を連発するものですから、あまりの恥ずかしさに勢いよく下を向いて、何度テーブルに額を打ち付けたことか…。

私は、ずっと人相手の仕事をしてきて様々なハラスメントを受けてきた中で、怒りを抑える力と自己覚知が大切だと思っています。また、人の価値というのは自分で決めるもので、他人から価値を決められ思わされるものではなく、その人がどんな心の幸福観をもって生きているかで自分の価値を上げたり下げたりするものだと考えています。

穏やかで優しい夫と結婚してからは沢山のロマンチックな言葉をもらい、小さな出来事も幸せだと感じられるようになり、随分と自分の価値、自己肯定感が上がったと実感しています。

私の両親は、私が10歳の時に離婚をしました。父に頼まれて母と15歳まで暮らしましたが、高校生になってすぐ家を出て独り暮らしをしたので、両親との縁はかなり薄かったと思います。

最近になって「3人で一緒に暮らしていた頃に幸せを感じたことはあった?」と、亡き父に聞いておけば良かったと思うことがあります。

残っているアルバムの中に両親2人での写真は無く、私と父、私と母の物しかありません。そして、それぞれの傍に立つ私の顔はいつもつまらなそうな顔をしています。

両親との記憶は、罵りあう怒号が飛び交い、父がお酒を飲んで暴れ、物が壊れ、母が父に投げつけたガラスのコップ、父の頭から噴き出す血しぶき、誰かが呼んだおまわりさんの姿とパトカーの赤色灯がまず浮かびます。

私が15歳になるまでに10回の引っ越しをし、園や学校も変わりました。母が元々引っ越し魔であったのと、夫婦喧嘩でそこに居られなくなったのが引っ越しの理由でしょう。

父は普段とても温厚でニコニコとよく笑う人で、私は父が大好きでした。離婚後はずっと一人でいてお酒で体を壊し、お金には常に不自由をして、私が渡すだけでは足りず何社ものカードローンでお金を借りることを繰り返していましたが、母と居た10年間の父よりは幸せそうでした。

亡くなった時の顔も「にかっ」と笑っていて、檀家だったお寺の住職様が戒名に「一人では居たけれど、楽しく生きた人だったよ」という意味で「寂楽院」とつけて下さり、私は「色々あったけれど、いい人生だったね」と思うことが出来ました。

母はとても変わった人で、行動も突飛で、喜怒哀楽が激しくてすぐに泣きわめく人でした。
唯一感謝するのは、本だけは渋らずに買ってくれたことです。本を読み、現実ではない世界に没頭できる時間が大好きでした。

でも母には、自分で本好きな子に育てたというのに、私が本を読んでいて返事の仕方が気に入らないとかでよく怒鳴られ殴られたのを憶えています。

外に放り出されて髪をつかまれ、家の前に敷いてあった砂利の上を引きずられた、台所の裏に投げられて台所の蛇口からホースで水をかけられた、昔の重いダイヤル式の電話の受話器で頭を殴られたなんて言う、ろくでもない記憶ばかりです。

私は子供ながらに母のことを「しんどい人だ」と思っていて、段々と家族にも自分にも興味がなくなってしまいました。今は母が何処でどうしているかも知りません。

でも、こういう家庭で育って「私は幸せではない」と当時思っていたかというと、そうでも無くて、よその大人に「可哀そうに」と言われて「うち、可哀そうなん?」と気が付いたというのが正直なところです。

殴られる度に自己肯定感は限りなく低くなったとは思いますが、自分の家の事しか知らないのでそれが普通と思っていました。でも、「可哀そうに」と言われた瞬間に自分は幸福ではないと気が付いてしまったのです。

この時の「よその大人」は、他人の(私の)価値を下げてやろうと思って「可哀そうに」と発言したわけではないと思いますが、こういう、人の評価をする発言は気を付けた方がよい言葉だと思います。場合によっては後々まで傷を残します。

たまに障害がある夫の事も「気の毒に」「可哀そうに」と他人に言われることがありますが、そう言われたからといって私達夫婦が価値を下げられたと感じるかと聞かれたら、それはノーです。私達はもう自分の価値や幸福度を自分で決められます。

また、皆さんから私たちに様々な質問をしてくださいます。
よく聞かれる質問は、「どうやって出会ったの?」「結婚に対して周囲の反対は?」など結婚したころの質問から始まって、「お風呂とかトイレとか普段どうしてるの?」「お家でも車いす?」なんていう普段の生活自体の質問。ちょっと昔、私が妊婦だったころには「お腹のお子さんはご主人の子?」なんて言うものもありました。

その度「え~っと、普通です」「勿論、夫の子です」と面白くもない返答で、自分の夫が「よそ様の興味の対象」とされる不快感を出してしまっていました。
だって私自身は、初対面の人に「あなたのご主人ってどうやってお風呂に入っているの?」「お子さんはご主人の子?」って聞くことは絶対に無いですから。

今思えば、尼崎生まれで関西を転々とし(その後岡山で生活をしましたが)、物心ついた時から関西のお笑いを見て育った私としては、ノリ突っ込みしながらウィットの効いた面白い答えを準備しておけばよかった!障害者を知ってもらうチャンスを逃した!という悔恨の念が湧き上がります。あ~っ悔しいっ!

昨年から夫がオンライン会議で社員の方々とのミーティングや講話を家でするようになり、その様子をすぐ傍で見ていて、熱く語るが故に怒っているような、こ難しそうなおじいさんだと思われているのでは?と思うことがあります。

そんなことないよ、とてもやさしい人なのよと、親近感を持って欲しい。脳性麻痺1種1級で重度障害当事者の彼の普段の姿を見ていただいて、障害者は体の不具合で生活に不便なこともあって色々大変だけれども、普通の人と変わらないということを知って欲しい。

また、彼の生涯最後の仕事となる土屋の最高文化責任者としての想いを沢山盛り込みながら「土屋の文化」について理解してもらえるかも?その上で土屋の宣伝にほんの少しでも貢献できたら、これは一石二鳥も三鳥になるのではない?

と思いついて、個人的に作り始めましたのが、土屋の「こもちゃんTV」のサブチャンネルにして頂いたYouTubeチャンネル「こもちゃん&ゆみちん」です。色んなことにトライし続ける夫をアシストしながら、私も自分の価値を高めていきたいと思います。

重度障害者の彼にとって、夫であり父であることに重圧があるでしょうが、その上で妻育て&子育てを経験し作ってきた家族の存在と、土屋に懸けている情熱によって、彼の高い自己価値を維持し続け、幸せでいて欲しいと願っています。それが私自身の幸せでもあるのです。

 

古本 由美子(こもと ゆみこ)
本社

 

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