土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)
全身麻酔から目覚めた。とにかく熱かったことを覚えている。氷枕を用意してもらった。
右肩から腕にかけての感覚は乏しく、指先に残るわずかな感覚をたしかめる作業が続いた。
ようやく腕の輪郭がつかめてきたころ、空き地のほうから焦色の光が差し込んできた。
朝は来てくれた。
たった五日間の、たかだか鎖骨骨折の手術であったが、妻の出産の直前に、まったく予期せぬ出来事に、意味を見出せずにはいられなかった。
かつての休日は休日ではなかった。
出掛けに鳴るアラートは、すべての思考を止め、手足の温度を下げ、晴れを曇りにした。
家族の時間を犠牲にした。
何か月もスタッフが入ってこない時期が続き、代わりもいない状況に耐えかねて、何人ものスタッフが退職を申し入れてきた。そのたびに何人ものスタッフを引き止めてきた。引き止めることはスキルとされ賞賛された。
辞めてほしくないといいながら、辞めないという決断とノルマはセットであることは変わらず、また最前線に立ってもらうしかなかった。
嘘をつくのがどんどん上手くなったが、ピエロでいるしかなかった。
弱みを少しでも見せたら自分を保てなかった。
だが、コロナのピークにそれは起きた。
経済の魔力に爪の先まで浸食されながらも、僅かに残された矜持と正義はそれを許さなかった。
やはり、このままでいいはずはないのだ。
右肩の傷を無意識に触る癖がついていた。
変化をする、と決めた。
別れを告げることさえ許されず、
ささいな行動を盟友に誤解されたりもした。
正しさを見失うくらいに悲しいことだった。
その夜は、珍しく妻に愚痴をこぼした。
それでも別れを直接伝えられた人たちがいる。
過ごした時間はほんの僅かだけれど、忘れることはない。
大事なのは自分で決断することであり、決して責めてはいけないし、責められるいわれもない。
私は変化をすると決めた、それだけである。
思い出も出会いも、反省も自責もある。
寄せては返す波のあとに残るいびつな貝殻はポケットにしまったまま、ゴツゴツした感触と痛痒は、絶対に忘れてはいけないと思っている。
新生とは何か、自分に問いかける。
眼前に広がる空の青さと海の広さに、いまなら思いを馳せることができる。
海図も方位磁石も、問題ない。
そこに吹く新しい風に、まっさらな帆を上げる。
目指すべき交響圏はまだまだ遠いけれど、
この誇らしさがあれば大丈夫だと、今度こそ言える。
小さな声を探す、真なる航海はまだ、はじまったばかりである。
◆プロフィール
笹嶋 裕一(ささじま ゆういち)
1978年、東京都生まれ。
バリスタに憧れエスプレッソカフェにて勤務。その後マンション管理の営業職を経験し福祉分野へ。デイサービス、訪問介護、訪問看護のマネージャーを経験し現在に至る。