小さな自分を抱きしめて∼∼易骨折性の体で生きると言う事∼∼ / 安積遊歩

土屋ブログ(介護・重度訪問介護・障害福祉サービス)

宇宙と私の体の特徴である易骨折性。今回はそれに私がどう向き合い、宇宙に何を伝えたかを書いてみよう。出生前診断で宇宙が私と同じ体の特徴を持っていると知り、私が最初に思ったことはお腹の中で骨折しないで欲しいということ。胎児がどれほどの痛みを感じるのか分からなかったけれど、とにかく骨折はして欲しくないと願い、いっそう横になって暮らすことを頑張った。

私たちの骨はカルシウムの取り入れが他の人とは違っているらしく、同じ量のカルシウムを食べてもその定着率が違う。カルシウムもたんぱく質からできているということで、タンパク質の代謝異常と書かれている論文も読んだことがあるが、私にとっては自分の体を分析して骨を強くするための試みはほとんど興味がない。骨折しやすいのは、私たちの体の特徴なので、薬の服用や治療は必要ないと考え、宇宙には一切それをしないことを決めていた。

確かに骨折は痛い。痛いけれどもたくさん泣くことができれば、それは私自身の体の特徴であって、その時の人間関係によっては幸福さえ感じることもある。ということを私は子どものときに直感した。

そして骨折の痛みは人間関係の豊かさで変化を引き起こせる。ギプスとレントゲン、手術。極め付けが、レントゲン技師や医師たちからの眼差しは、幼い私にとって激しいトラウマになった。宇宙が生まれたとき、骨折が避けがたいのは了解済みだったが、ギプスとレントゲンと手術をしないで育てようと決意しその決断にワクワクさえした。

障害者の権利条約は、私たちを医療モデルとしてきた長い歴史を変え、社会モデルであるという認識を作り出している。確かに私は医療モデルとして幼い頃の大半を生きてきた。しかしそれは己の身に引き受けただけで充分すぎるほどの絶望と痛み、そこからくる自己否定感にどれほど苦しんできたか。宇宙にはそうした一切から自由であってほしいと激しく願ったのだった。

医療モデルではなく社会モデルへ、それを生まれた瞬間から願われた宇宙。宇宙の出生の瞬間には、彼女の父親と祖母以外に6人の友人と私の妹が集まってくれていた。優生思想が跋扈する社会で8人もの人に「うまれておいでよ」と歓迎されて生まれた宇宙。お腹の中で障害があると診断されていたにもかかわらずそこになんら否定的な言葉も投げかけられることなく生まれた宇宙。

宇宙は生まれた瞬間からそのおだやかさで残酷な優生思想をひっくり返してくれた。

易骨折性の特徴が現れた生後3ヶ月目の初めての骨折のときには思わずレントゲンを撮られてしまった。しかしそれは最悪の結果ではなく、私と彼女の体の状況をよく知っている整形外科医にみてもらったために障害者手帳の取得もスムーズにできた。彼は私が乳母車を作らずに最初から車椅子を作りたいと希望を告げると、「それも良いだろう」と賛成してくれた。だから宇宙は4歳ぐらいの時には小さな車椅子を乗りこなしていた。乗りこなすということは自分で運転していたということではなく、介助の人たちに車椅子の取り扱いや押し方を上手に伝えていたのだった。それも私が私の介助者に伝えているのをよく聞いてそれを自分の言葉で危険な場所や状況を把握しながら教えていた。それを初めて知ったのは、ある若い介助者からだった。その彼女があまりに上手に私の車椅子を押してくれるので、「誰にこの方法を聞いたの?」と聞くと、「宇宙ちゃんです」とのこと。
率直に言って宇宙の年齢を思うと我ながら、なんと賢い子だと驚いた。しかしよくよく考えてみれば、私たちは誰もが生存への欲求と、そのために大人を模倣するという能力を持っている。もちろん宇宙が賢いことには間違いないのだが、私は彼女にとって最高の社会モデルであったのだ。
2回目の骨折は2歳半の時。宇宙が骨折するのではないかと不安でいた私は、床に物を置いて、彼女がそれに乗って滑って転ばないようにと気を付けていた。
ところがその日は、ようやく3、4歩、歩けるようになったばかりで、嬉しげに立ち上がったその先に白い布のエコバックがあった。それを退けようとする瞬間をついたかのように彼女の体は傾きながら、食器だなに激突した。

骨折した瞬間は、あまりの痛さに声も出ない。それを自分の体で熟知していた私は黙って痛みに耐えている宇宙の姿に私の方がパニックとなり、そこに一緒にいた私の甥っ子と宇宙の父のたけさんが救急車を呼ぶのを止めることには全く頭が回らなくなってしまった。それどころか病院につき医者にレントゲンを取ってみようとかギプスをしてみようと言われるまで、宇宙を産む前にしていた決断の数々を忘れていたのだった。しかしそれをくっきりと明確に思い出させてくれたのが、「助けて」と私に向かって手を伸ばしてきた宇宙の声と表情だった。私が骨折をして最も嫌だったことは、動かされることだった。それを宇宙が必死に訴えている。「動かさないで、おうちに帰りたい」と言われて私のパニックは急速に引いていった。

結局、その後宇宙は15回以上骨折したが、ほとんど病院にも行かずレントゲンやギプスはもちろん、手術もせず自力で回復していった。その姿は、痛みが軽減した二、三日後には穏やかで平和で介助者や友人達に「骨折をしていてもみんなに優しくされているので宇宙ちゃんが羨ましい」とさえ言わしめたのだった。

 

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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